とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

自民党山形県連の体質

2019年07月22日 | 日記

  参議院選挙は終わった。全国的に自民党の堅調さは予測されていたものの、かつては保守王国と言われた東北・新潟で、自民党は多くの議席を失った。格差によるモヤモヤ気分が、政権党に素直なイエスと言えない有権者意識が表れたのかも知れない。  

 山形県にも同様の気配が感じられる。しかし、実績のある現職議員を落としたことは残念である。大半の首長や圧倒的な県議会議員が支持していながら、選挙を取り仕切った自民党県連の責任は大きい。  

 現状で知事とのスタンスや、排除の論理の傲慢さが見える自民党県連に、県民はノーと言っている。  

 自民党県連は総括して、無党派層も取り込んだ活動を実践し、幅広いウイングに舵を切らないと今後の選挙に未来は持てない。  

 自身、勝手連を組織し自民党候補を応援した結果、業界選挙の粗さは、有権者に何も伝わってない事を知った。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

参院選は終盤戦

2019年07月17日 | 日記

 参議院選挙はいよいよ終盤を迎え、各紙が一斉に終盤情勢を報道している。報道機関のリサーチが、我が家にも2回の調査があり、報道合戦が熱を帯びている。  

 新聞の見出しは、リサーチだけではなく記者の見方も加味されて活字になると聞いている。例えば「芳賀氏、大沼氏競り合う」となれば、トータル的に競り合っている中でも、芳賀氏が上に位置していることを示唆した見出しだと読める。  

 「抜け出す」となれば当確に近い差があり「猛追」となれば投票日までに当選可能性が残っていると読める。「競り合う」「猛追」「激しく追い上げる」日本語の使い方は難しいが、微妙なニュアンスが伝わる。  酒田の情勢は山形新聞では言及されてないが、堅い保守層で攻勢を強めている地域には入っていない。  

 自民党酒田支部が、真剣に自民党公認候補を勝たせたいと思うなら、無所属県議へのアプローチもせず、演説会場ガラ空きにさせるとは情けない限りだ。自民党酒田支部には猛省を促したい。同じ顔ぶれの動員にも限界がある。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七夕のサンセット直前

2019年07月09日 | 日記

 七夕の7月7日、湯の浜温泉「愉海亭みやじま」の温泉宿に泊まった。「みやじま」は日本海に突き出した温泉宿で、旅館の下は、海水が流れていた記憶がある。今は、防潮堤の構築などで砂浜の上にその温泉宿が建っている。

 部屋は5階である。ひと風呂浴びたあと、部屋でビールを注ぎ合いながら昔話や健康の話に花が咲いた。晴天で波静かな、日本海を眼下にするロケーションは最高である。これは夕日を撮るには又とないチャンスだと直感が働いた。「夕日の写真を撮りたい」と告げると誰かが「日没は7時5分30秒だよ」と教えてくれた。  

 6時から、2階の宴会場で宴会が始まった。時間が経つにつれ、カラオケなどで盛り上がったが、私は部屋の鍵を預かり、7時10分前に5階の部屋に戻った。まだまだ明るく、夕日状態ではなかった。待つ事12分、夕焼けのサンセットらしくなってきた。この頃に「夕日がきれいなので窓の外をご覧下さい」と館内放送があった。  

 太陽が水平線に着いたのが7時5分15秒。シャッターチャンス到来。バカチョンカメラのシャッターを切った。夕焼雲と水平線の間に、丁度太陽が入った瞬間であった。うまく撮れればいいと願うだけだった。

 広い浜辺に犬の散歩をしている女性の姿が小さく小さく見えた。絵になる光景だった。パチリである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後援会を解散

2019年07月01日 | 日記

 市議会議員3期12年間、県議会議員5期20年間、併せて32年間の議員活動を支えてくれた皆様に感謝する会を藤悠会として主催してくれた。やはり32年間は長い。時代の流れも変わったし、政治状況も大きく変わった事を感じるに十分すぎる年次であると実感した。  

 会は、選挙用ポスター8枚を期別順にパワーポイントに写し出されることから始まった。相馬大作青年部時代から市議時代、市議から県議へと転身するてん末。議員活動の足跡を振り返りながら実現できなかったことや、酒田の未来の礎になれた大きな事業成果など、時代と共に変わる課題に挑んできた事をを振り返り、事務所が閉鎖するまでの32年間を、20分間のスライドに圧縮して映し出された。

 身内の会なので、来賓は招かず林有一郎さんが会を代表して御礼を述べ、私を褒めて下さったが、嬉しさ半分、恐縮半分の心境だった。  

 私も檀上で御礼を申し上げた。「私の師匠相馬大作さんは、酒田のためなら悪魔にでも頭をさげるが口癖だった。相馬さんの地元酒田を思う心を「私の政治信条」にして、活動してきたつもりである。実現できた事出来なかった事いろいろあるが、皆さんと一緒に取り組めた事がありがたかった」と申し上げた。  

 最後に、私の子どもたちを壇上にあげ、私と一緒に深々と御礼を申し上げセレモニーは終わった。懇親の場は、それぞれ生臭い話も飛び交いながらも楽しい会だった。

 最後に幹事長宮本宏二郎さんが、私の後援会「藤悠会」の解散を宣言して長い歴史に幕を下ろす事となった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする