とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

梨の花が満開

2015年04月28日 | 日記

 鳥海山水系の日向川と荒瀬川の合流地点に、酒田市豊川地区刈屋がある。肥沃な土地柄から明治時代より梨の産地で知られており「刈屋梨」として有名である。今は、44名の生産者が40haの梨畑で栽培している。
 一面の梨畑は梨の花が満開となった。平年より5日ほど早く、作業の中で一番気を使う花粉交配作業が、もう終わった。当たり前の事だが受粉しなければ梨はならない。受粉作業はキツイ作業で、人手も多くかかる。以前は親戚や手の空いている農家に頼んで作業を手伝ってもらっていたが、今は人手がいない。シルバー人材センター等から応援をもらい急場をしのいでいるのが実態だ。機械化も試されてはいるが、交配させたい花以外にも受粉させてしまうので納得がいかないのだ。2カ所に1個くらいを受粉させ、一枝に6~8個ついている花のうち、良い位置に咲いている花を選んで受粉させる必要がある。そうすれば恰好の良い梨に育つのである。商品価値を高めるための手作業になる。
 日向川にスーパー農道の長い橋がかかっている。その周辺一帯が刈屋の梨畑である。鳥海山と梨の花の絶景さに、晴れた日はカメラマンがどっと現れる。そこから見下ろす梨畑の花は一幅の絵になる。
 何気なくおいしいと食べる梨にも農家の苦労があるのだ。

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忙しい春

2015年04月25日 | 日記

 日差しの強さと共に春の農作業は忙しさが倍加する。ここ数日で耕運作業は、ほぼ終え、明日あたりから、田んぼに水が張られ水田の様そうが一変する時期になる。同時にビニールハウスでは育苗が併行して進められており、苗丈が3センチを超えた。
 この時期のハウスの温度管理が一番難しい。気温や日差し、風の強さ等で刻々と変わる気象条件に、遮光材の上げ下ろしやハウスの開閉で対応し、苗の最適温を維持する苦労は半端ではない。もう2週間も経てば、12センチ位に成長し田植となる。一見自然に出来上るように見えるが、影の細かい作業が健苗の成否を分ける職人芸でもある。
 農家は春の花見や秋の紅葉には縁がない。丁度農繁期と重なってしまうのだ。前ほどの重労働ではなくなったものの、夜明けから日没までなんだかんだと農作業に追われる日々である。日が長い分仕事も多く疲れもたまり、春眠暁を覚えずになる。ブログの更新も遅れてしまった。5月15日から臨時議会が始まり、新議員による議会構成が決まり、5期目がスタートする。

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桜が満開

2015年04月15日 | 日記

  外気温は17℃晴天である。桜が満開、今が盛りと咲き誇っている。360度、点在する集落のどこかに桜はある。見渡す限り桜が一斉に集落へ白色の色付けをしているようだ。自然の営みは不思議なものだ。
 一本一本桜の樹木を良く見ると、元気いっぱいの桜と、少しくたびれていると思える桜もある。昨年はもっと元気だったのだが、今年は少しさみしい感じがする木もあったり、遠くに見れば同様の桜だが、個々に樹木の事情があり、それなりに咲いているのだ。
 新井田川、幸福川の土手の桜は圧巻である。何よりもそっと咲いているのがいい。ぼんぼりや屋台の出店などで「さあ、見なさい、見なさい今ですよ」と自分の都合で煽り立てる桜公園は、品がないと私は思う。全て自然の営みが心を癒してくれているのだ。桜の命は短いけれど、また来年もきっと咲いてくれる希望が桜にはある。

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酒田特別支援学校の入学式

2015年04月11日 | 日記

 昨日、酒田特別支援学校の入学式に行ってきた。幼稚部、小学部、中学部、高等部併せて24名の入学生だった。104名の生徒に教職員108名の体制で教育にあたっている。畑山校長先生の式辞が印象に残った。「皆さんの夢がかなう事を努力しています。学校に来ることです。待っています。勉強を頑張ること、友達と仲良くすることです。子供が主役で、明るい学校にしたい」当たり前の事を当たり前に努力する。教育の原点のように思う。
 特別支援教育が学校教育法に位置付けられたのは平成19年の4月である。酒田市に県立聾学校はあったものの、他の障がいを持つ児童は山形市や、多くは鶴岡養護学校にに通学しており家族の負担が大きい事から「手をつなぐ親の会」の皆さんから、「酒田特別支援学校の設立」に強烈な要望があった。                            皆さんと共に要望活動を展開、平成21年には知事陳情までこぎつけた。工事は1年前倒しされる迄に進展した。聾学校の皆さんの同意を得て、平成23年に山形県で初の複数障がい種別を対象とした学校として開校した。
 特別支援学校は、それぞれの障がいに寄り添って教育するきめ細かさがある。しかし、普通学校に通学する肢体不自由児もいる。子どもが満足しているのだろうか。保護者から特別支援学校の障がい種別を拡大して欲しいとの要望が出ている。教育庁と議論してみたいと思っている。

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出陣式で第一声

2015年04月05日 | 日記

 出陣式には300人を超える皆さんが集まってくれた。来賓の激励を受けて、私の第一声は始まった。
 今日まで準備してくれた関係者と集まってくれた方々への感謝を申し述べ本論に入った。「政治は現代を生きる、私たちのためだけにあるのではない。子供や孫たちのために、今やらなければならない事。引き継がなければならない事を見極めて、しっかり前に進めなくてはいけない。それを試されるのが、今の選挙である。
 市街地を取り囲む膨大な農村地帯がある。ここが元気にならないと町は元気が出ない。採算割れしている現状の米価では、どんなに規模拡大しても、農地を集約化してもゼロ。ゼロは足しても、掛けてもゼロである。この事を訴えて行きたい。
 やっぱり酒田は港町。コンテナクレーン1基増設出来たおかげで、酒田港は息を吹き返した。国際コンテナ定期船は週2便が3便になり、その半年後は4便になった。5便も近い内に実現するだろう。酒田港がこのスピードについて行けるよう、整備を進めなくてはいけない。対岸貿易はイッキに進むだろうと思う。
 若者の地元定着は地元企業の元気とリンクする。先ず、地元企業を知っていただく。加えて、家庭での話し合いや学校の取り組み、企業の努力の総合力で地元定着率の向上を図りたい。人口減少の抑制は最大の地域課題である。
 山形新幹線の酒田延伸は残された大きな課題である。無駄な投資ではないかと懸念する声もある。しかし、やらなければこの地域は、このままで終わってしまう心配がある。この思いを広げて、面の行動となり議論を深めて実現するしか道はない。地方創生の起爆剤としては充分の価値がある」と述べ最後に、一番くじを引いた弟に感謝を言って、第一声を終えた。拍手に送られながら、選車は街に消えた。

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戦後初の無投票当選

2015年04月04日 | 日記

 県議選告示日4月3日午後5時、酒田・飽海選挙区の無投票当選が決まった瞬間である。激しい雨の中選挙カーを走らせていた時に携帯に連絡が入り選挙は終わった。予想はしていたものの正式な決定となり、ほっと安堵したのが本音である。
 出陣式にこぎつけるまでにドラマがある。庄内総合支庁に立候補の届け事務がある。届け順番はポスター掲示上の位置が決まり、マスコミも届け順に報道されることから重い責任を伴う嫌な仕事である。これは弟に頼んでいた。もう一人いとこの恵一君にお願いし、車は万が一を考えて2台で行ってもらった。
 先ず、届順序のくじを決めるくじがある。その順番に従って届け順のくじを引く事になる。弟は前日から緊張でドキドキすると言っていたので「何番でもいいのだから、心配するな」と何度も言っていたが、一番を引きたいと思うのは、仕方のないことでもある。選対全体も同様の気持ちであるのが痛いほど分かる。
 神事が終わった頃に「一番だそうだ」と耳打ちがあった。「まさか、届順のくじの一番だろう」と自分の耳を疑った。しかし、どうやら本当に一番くじを引いて、届け順が一番であることがはっきりした。マイクを通して、届け順が一番である事が全体に知らされ、でっかい拍手がわきあがった。弟の気持ちを思うと、ぐっとくるものがあった。
 あとで知ったことだが、早朝に墓参りをして祈願したのだと言う。今は亡き、父母や祖先のお蔭様かも知れない。そんな気持ちを込めながら大勢集まってくれている出陣式会場へと移動した。

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飛島で県政報告会

2015年04月01日 | 日記

 定期船「とびしま」で山形県唯一の離島飛島に渡った。県政報告会のためである。飛島は酒田港より39キロ西の日本海にあり、定期船で75分の所要時間で、周囲10キロほどの島である。気候は温暖で年平均気温は12℃、酒田市の花「トビシマカンゾウ」やタブの樹が群生し、最近はかんきつ類の栽培も試験されている。
 島の歴史は古く縄文時代初期の遺物が発見され、その特色は南方系と北方系が混在している事から、飛島は文化交流の重要拠点であった事がうかがえる。昭和25年に酒田市と合併、昭和38年に国定公園に指定され、現在に至っている。
 午前9時半に酒田港を離岸した「とびしま」は予定通り10時45分に島民の出迎えを受け、飛島に着いた。会場の中村自治会館まで車で送迎してもらい、車中の会話からすでに意見交換が始まって、予備知識を得ることが出来た。
 10数名の皆さんが集まってくれた。私は「私の市議時代は、1千人の島民が暮らしており、定期船は年間6万人の乗降客があった。今は、230人程に人口は減少したが、若い方の移住や離島を大切にしたい風潮があります。皆さんの思いを聞かせて欲しい」と挨拶した。
 堰を切ったようにポンポン意見が飛び出した。「とびしま」の欠航が多すぎる。何とかならないのか。津波に対する避難路が崩れている。もっと現地を見て欲しい。避難場所の設置に工夫がいる。市道の舗装の劣化がひどく、杖替わりの手押し車が使えない。ここには書けない意見も多くあった。持ち帰って県政の課題にすると答え、意見交換は終わった。サザエのお土産を頂いて、1時半発の定期船で帰った。

 

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