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イラクのテュルクメンがクルド独立国民投票に反対

2017年09月11日 | 国際
9月12日 イラクのテュルクメンの諸政党が、近づくクルド独立国民投票に反対し、支持者たちに25日の投票をボイコットするよう呼びかけています。

 Hurriyet
テュルクメン諸政党の共同声明を発表するエシャド・サリヒ議長(中央)


9月9日、キルクークで開かれた記者会見で、「イラク・テュルクメン・フロント」のエルシャド・サリヒ議長は、テュルクメン諸政党が調印した共同声明を読みあげ、国民投票に反対の意を表明したと、アナドル通信が報じました。

声明文で、諸政党は、国民投票の結果は認めないと威嚇し、国民投票は“イラクのテュルメンに敵対するための道具”だと言っています。「イラクは現在、危機の時代にある」と、サリヒ議長は言いました。「ISテロリストに対する勝利は近い。しかし、キルクークのISが支配しているハウイジャその他が解放されなければならない」

共同声明は、「イラク・テュルクメン・フロント」とともに、「テュルクメンの党」「テュルメン公正党」「テュルクメン決断党」「テュルクメン忠誠党」「テュルクメン・イスラム連合党」「テュルクメン愛国者社会党」など、テュルクメン諸政党が調印しています。

トルコも、イラクのクルド独立国民投票には反対で、この地域の安定は、イラクの統合と領土非分割の維持が重要だと主張しています。
 

ローマ時代のヘラクレスの石棺が、9月13日、帰国する

ローマ時代のヘラクレスの石棺が、まもなく故郷トルコに帰ってきます。貴重な石棺は、国外に密輸されてから50年たって、9月13日、その故郷であるアンタリヤに帰ってくることになりました。

 Hurriyet

ヘラクレスの12の功業が描かれた石棺は、2010年、ジュネーヴの自由港の倉庫で差し押さえられました。2011年3月、スイス共和国文化庁は、石棺はトルコの古代都市ドキミオン、現在のアンタリヤから来たものだと言いました。2013年10月、このケースを担当した判事がトルコに来て、証拠を調査しました。そして、2015年、スイスの検事が、石棺をトルコに返却するよう命じました。

両国は、石棺を3か月、ジュネーヴ大学に展示することで合意しました。トルコの文化観光省は、9月9日の声明で、石棺はジュネーヴで梱包され、トルコ航空によって、13日、トルコに運ばれると言いました。「これはきわめて貴重な、文化的価値のあるものだ」と、ジュネーヴ当局は言っています。石棺は、アンタリヤがローマの支配下にあった2世紀末頃、彫られたものですが、フェニクス古代美術ギャラリーの目録に入っていました。

トルコは2011年から石棺の返還を要求してきました。多くのトルコの歴史的美術品が、オスマン時代以来、国外に密輸され、盗品であるにもかかわらず、大きな美術館に堂々と展示されていました。文化観光省は、このケースが、他の国々の博物館にとって先例となることを願っています。


「対テロ戦でカザフスタンとの協力を強化する」エルドアン大統領

トルコとカザフスタンは、テロ組織、とくにギュレン派(FETO)との戦いで、協力関係を強化すると、9月9日、エルドアン大統領が語りました。

 Hurriyet
エルドアン大統領(左)とカザフのナザルバエフ大統領


「トルコはわが国のためだけでなく、友人同胞の安全のために、FETO(フェトフラー・テロリスト組織)と戦っている。ナザルバエフ大統領の支持に感謝する。われわれは両国の国家安全保障を脅かすギャング(FETO)を、両国の協力によって抹消したいと思っている。われわれはIS(イスラム国)やFETOやアルカイーダのようなテロ組織との戦いで、協力を強化する」と、エルドアン大統領は、アスタナで、カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領との共同記者会見で語りました。

トルコとカザフスタンは、2009年、戦略的協力関係を樹立、2012年には、「トルコ=カザフスタン・ハイレベル戦略協力会議」に変わりました。

ナザルバイエフ大統領は、「トルコはカザフスタンの最も親密な、信頼できる、政治的、経済的パートナーの1国である。ハイレベルの会談をもっとしばしば行うべきだ」と力説しました。


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