トルコのトピックス

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113年昔のアルメニア教会が地震のダメージで閉鎖

2023年02月28日 | 国内
3月1日 トルコ唯一のアルメニア人居住地ヴァクフルにある113年昔のアルメニア教会が、2月20日にハタイ県を襲った地震以来、閉鎖されています。

 Hurriyet

ハタイでは、2月6日、南部カフラマンマラシュで起こった2回の大地震で、大きな被害を受け、多くの建物が破壊されました。トルコ唯一のアルメニア人居住地ヴァクフルでは、大規模な破壊はなく、死傷者も出ていませんでしたが、2月20日にハタイで起こった地震が、この地区の多くの家々に大きなダメージを与えました。

この地区のシンボルとされている113年昔の「処女マリア・アルメニア教会」も、数か所が破壊されました。教会は、最初の地震では外壁に部分的なダメージを受けただけでしたが、2月20日の地震で使えなくなり、閉鎖されました。

「処女マリア・アルメニア教会基金委員会」のメンバー、ミサク・ヘルゲルさんは、2月20日の地震はアルメニア人の居住地に大きなダメージを与えたと言いました。

「私たちの村では命を落とした者もなく、大きな破壊がなかったことは幸せでした。私たちの教会は1910年から礼拝が行われてきました。100年余も昔の象徴的な教会は、1997年、基本的な修復が行われました。この修復で、私たちの村の名は知られ、注目されるようになりました」と、ヘルゲルさんは語りました。

「2月6日の地震では、教会のダメージは僅かでしたが、20日の地震で教会は廃墟になりました。ハタイには使われている教会が2つあります。ひとつはこの教会で、もうひとつはイスケンデルム地区にありますが、どちらも当分は開けないでしょう」と彼は付言しました。


アメリカがハタイに野外病院を建てた

地震の後、トルコにやってきたアメリカ兵たちが、ハタイ・ムスタファ・ケマル大学の中庭に、ベッド100床と、救急室と手術室を備えた野外病院を建てています。

 Hurriyet

アメリカ海軍と空軍の兵士たちが野外病院の建設に精出しています。病院が完成したら,保健省に移行されます。10張りのテントからなる野外病院とその設備は、メディアに公開されました。

「私たちはトルコ保健省の要請でここへ来ました。私たちはアメリカ国際開発庁と連携しています」と、アメリカ海軍のジェフリー・カスティグリオーネ中佐は語りました。野外病院は100床のベッドのほか、小児科と救急室なども備えます。

「アメリカ国際開発庁」(USAID)の「災害対応チーム」(DART)のステフェン・アレン部長は、「われわれはトルコの災害緊急管理局(AFAD)と連携している」と言いました。

「われわれはトルコの保健省の指令に従って働いています。このような災害の中でも、トルコ保健省の職員はりっぱにやっています。彼らは効率よく活動しています」とアレン氏は付言しました。


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マラティヤでまたマグニチュード5.6の地震。被害も出ている。

2023年02月28日 | 国内
2月28日 マグニチュード5.6の地震が、2月27日、また東部マラティヤ県で起こり、少なくとも1人が死亡し、すでにダメージを受けている建物が崩壊しました。

 Hurriyet

マラティヤのイエシルユルト地区を中心とした地震の結果、69人が負傷したと、トルコの災害緊急管理局(AFAD)のユヌス・セゼル局長が発表しました。AFADは29戸の建物が崩壊し、6戸の建物で捜索・救助活動がつづいていると言っています。

カフラマンマラシュの崩壊した工場では、1人が命を落とし、4人の作業員が負傷しました。作業員たちは、揺れているときに、鍋や皿のようなものを取りに工場に入ったと言われます。

マラティヤでは、父親と娘が、大きく損壊した家の中から持ち物を取ってこようとしたとき揺れが起こり、瓦礫の下から救出されました。


エルドアン大統領が地震の傷は1年間で癒すと誓った

エルドアン大統領は、新しい住宅地を迅速に再建し、生活を正常化するための実質的な活動を開始することによって、地震の被災地を1年間でほぼ回復させると誓いました。

 Hurriyet

「私たちは以前より活気ある生活を築く決意をしました。ですから、私はわが国民に1年間の約束をお願いをします。私は国民の皆さんの前で、1年間で地震の傷を癒すと約束します。私たちはいつも約束を守り、解決できないような問題も解決してきました」と、エルドアン大統領は2月27日、地震で被災した11県の中の1県アドゥヤマン県を訪れて語りました。

現政権・公正発展党(AKP)のパートナー、愛国者行動党(MHP)のデヴレット・バフチェリ党首も、大統領に同行していました。エルドアン大統領は、災害緊急管理局など国家の機関が、地震後すぐに対応できなかったことに触れ、アドゥヤマン県の住民の理解を求めました。

「最初の2,3日は、地震と悪天候のため、アドゥヤマンでは、政府は思うように活動できませんでしたが、私たちはすべて把握しています。私たちはまちがいなく必要なことをしています」と大統領は言いました。

再建活動はすでに11県すべてで始まっており、3月4月にはさらに進行すると、エルドアン大統領は強調しました。「地震被災地の皆さんに申し上げたい。永久に故郷を去らないでください。私たちは皆さんのために、もっと強く、りっぱな、もっと良い家を建てます」

「皆さんの町は千年以上の歴史と、豊かな文化と経済を持つ、トルコのバックボーンです」と大統領は力説し、政府は新しい都市の設計に、科学者、技術者、建築家、都市プランナーたちと協力していると付言しました。「政府は有効な都市改造計画を含む新しい災害に備えるシステムを導入します。このシステムは全国に及ぶでしょう」


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日本が地震被災者に2700万ドルを提供

2023年02月27日 | 国際
2月27日 日本政府が緊急人道支援として2700万ドルを、トルコとシリアに提供すると発表しました。

 Hurriyet

大地震後、多くの国々からトルコとシリアに支援の手が差しのべられましたが、日本の松野博一内閣官房長官が人道支援として2700万ドルをトルコとシリアに提供すると発表しました。

松野官房長官は、支援の1600万ドルは国際組織を通じて提供され、両国の地震の被災者への避難所、食物、その他の生活必需品を提供するために使われると語りました。松野官房長官はまた、日本はNGOを通じて400万ドルを提供するという情報をシェアし、都市の再建の支援のために、トルコとシリアに人道的支援をつづけると強調しました。

日本はまた、国際援助基金を通じて、シリアの援助に700万ドルを送ったということです。


240トンの支援物資がケニアからトルコに到着した

トルコ航空機が、国連の国際移住機関(IOM)がケニアの首都ナイロビで集めた支援物資240トンを、アダナのインジルリク基地に運んできました。

 Hurriyet

トルコ航空広報室によると、支援機の到着前に、ケニアのスブタイ・ユクセル駐トルコ大使、ジャスティン・マクダーモトIOM副地域部長、トルコ航空とトルコ貨物の代表らが出席して式典が行われました。

この便で、IOMは85トンのテントおよびテント付属品、毛布15トンなど、100トンの支援物資をアダナに届けました。さらに2機の飛行機が地震被災地に、さまざまな支援物資を届けました。3,523張りのテント、1,8245枚のプラスチックの防水シート、1261巻の防水プラスチック、26,565枚の毛布、34,705点の就寝用マットなど、約240トンが地震被災地に到着しました。


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鉱夫たちが地震から248時間後に瓦礫の下から救出された少女を見舞った

2023年02月25日 | 国内
2月26日 地震から248時間後に、瓦礫の下からアレイナ・オルメズさんを救出した鉱夫たちが、いまも病院で治療中の彼女を見舞いました。

 HUrriyet

鉱夫たちの捜索・救助隊の隊長セルダル・エルマン・キュテュクチュさんは、鉱夫たちは元気で幸せそうなアレイナさんに会って、とても喜んでいると語りました。「私たちは心理的にいささか参っていましたが、アレイナに会って、元気を取り戻しました」とキュテュクチュさんは言いました。

アレイナさんを救出する瞬間を共有したキュテュクチュさんは、1人の人を救ったことは喜びであり、誇りにも思っていると言いました。

「私たちは6日間、瓦礫の中にいました。アレイナが見つかった建物の残骸の中で、8人から10人のチームを組んで働きつづけました。私たちは瓦礫の下で生きている人を探すために、コンクリート破片をバケツで取り除いていました」とキュテュクチュさんは話しました。

「最初、私たちはアレイナさんの足を見ました。私たちはすぐに救急車を呼びました。私たちは幸福と誇りを感じています」と彼は言いました。鉱夫のヒュセイン・トクソズさんは、「私が最初に、瓦礫の下のアレイナを見つけたのです。彼女を見た瞬間、すべてが止まりました。私は大声で仲間を呼び、彼女のいるところにムラトを行かせました」

チームのメンバー、ムラト・カラマンさんは「アレイナに近づき、彼女が呼吸しているのを見たときは、めちゃくちゃ嬉しかったですね。そこは斜面になっていたけど、どうやって彼女に近づいたか思い出せません。私とチームの監督は見つめ合い、喜びの涙にくれました。彼女がにっこりしたときは、めちゃくちゃ嬉しかった」と語りました。

医師のネジュデット・ウニュヴァンさんは、アレイナさんの健康状態は総じて良好と言いました。「アレイナとは短いけれど、感動的な出会いでした。鉱夫さんたちは彼女に花を贈りました。彼女は彼らに賞状が用意されたか、私に尋ねました。私たちは賞状を贈りました。アレイナを瓦礫の下から救ってくれた彼らの努力には感謝しています」


100万人の地震被災者が移住した

ほぼ100万人の人々が地震の被災地から他の地方へ移住しました。また、18,000人のシリア人が、地震後、祖国へ帰りました。

 HUrriyet

44,218人が亡くなったトルコ大地震後、市民たちは災害緊急管理局(AFAD)の指導を受けたり、自分で方法を考えたりして、被災地を去りました。被災者たちはできるだけ早く帰ってきたいと言っています。

AFADの調整で、474,520人が空路、陸路、海路、鉄道で移動し、105,683人が自身の方法で被災地を去り、登録されていない移住者を合わせると、移住者の総数は100万人を超えると思われます。

ハタイのAFADの避難センターに他県への移住を登録に来た地震の被災者たちは、いつか帰ってくると言っています。「大地震と、その後の絶えまない余震で、精神状態がおかしくなってきました。住宅問題が解決したら、私たちの町に帰ってきます。故郷の町と土地は決して忘れません」と生存者たちは言っています。地震生存者の多くは親戚のいる地方へ移住しています。

また、地震の後、18,000人のシリア人が、地震は戦争より嫌だと言って、祖国に帰っていきました。地震で亡くなり、いまだに身元の分からない約2000人のシリア人の遺体が、彼らの祖国に送られました。地震後2週間以内に、18,070人のシリア人が祖国に帰りました。


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ロシア侵攻1周年にエルドアン大統領とゼレンスキー大統領が電話会談

2023年02月24日 | 国際
2月25日 エルドアン大統領は、ウクライナのゼレンスキー大統領と、ロシアのウクライナ侵攻1周年に電話で話し、ウクライナの人々へのトルコの支持を表明しました。

 Hurriyet

大統領室は声明で、2月24日の両大統領の会話を発表しました。1年前の2月24日、ロシアはウクライナに対して戦争を仕掛けてきました。エルドアン大統領とゼレンスキー大統領は、1年間のロシアとウクライナの戦争について話し合いました。

エルドアン大統領は、戦っている両国が話し合いをベースに、休戦と平和に達するために、トルコは努力をつづける意志と用意があると、くり返し語りました。エルドアン大統領はまた、2月6日の地震後、ウクライナがトルコに送ってくれた支援と人道的援助に対し、ゼレンスキー大統領に謝意を述べました。

トルコはロシアとウクライナの戦争が始まった時から、ウクライナの領土保全と政治的統一を支援し、ロシアによる武力の行使を非難してきました。トルコはウクライナとロシア間の主張の差異を解決するために、両国間を対話によって調停し、2022年3月、アンタリアで、両国外相の会談をアレンジしました。

さらにトルコは、ロシアとウクライナが穀物その他の食料を輸出できるように、国連と力を合わせて、黒海の「食料回廊」の設立のための両国の合意を仲介しました。この回廊による食物輸出によって、世界の、とくにアフリカの発展途上諸国の、大きな食糧危機を回避することができました。


地震被災地の隣接都市の人口が2週間で40%増加

南トルコを襲った大地震後、ほぼ40万人の地震生存者が隣接するメルシン県にやってきて、メルシンの人口は2週間で40%増加しました。

 Hurriyet

メルシン県は地震による移民の波によって、多くの局面、とくにインフラ、宿泊、運輸の面で市の財源を上まわり、緊急移民は「社会的災害」になってきたと、メルシン県の47の施設や組織、NGOが共同声明で訴えました。2週間で40万人の人々が地震地帯からメルシンに来たと声明は言い、市のインフラ、宿泊、運輸について再計画しなければならないと力説しています。

「メルシンは特別支援県にするべきです。2022年には人口190万だったメルシンが、40万人の地震被害者を受け入れたのです。2週間という短期間で、メルシンの人口は40%増加しました」

メルシンでは保健や教育などのニーズも増えてきたと、声明は強調しています。「このニーズに応じるために、われわれはこれらサービス機関と担当する職員数を増やさなければなりません」

共同声明はまた、メルシン県も2月6日と20日の地震で被害を受けていると言い、この地方で続くと思われる中規模大規模の地震に備えて、同県の建物の耐震性を強化すべきだと付言しています。

メルシンに移住してきた被災者たちはいま、割り当てられたホテルや、社会施設、住宅センターなどに宿泊していますが、一部家主や不動産業者の中には、この機に乗じて家の値段を法外にづり上げようとしている者もいます。ある地区では家賃が2倍になり、シリフケ地区やエルデムリ地区では、家賃は前払いで請求されています。

現在、家賃の最低価格は3000リラ(160ドル)から8000リラ(424ドル)と上がっています。


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生存者たちはテント村で生きのびている

2023年02月24日 | 国内
2月24日 2000万の人々に被害を与えた地震後、被災地11県の生存者たちは、スタジアムなどに設置されたテント村とコンテナ村で暮らしています。温室に住んでいる人々もいます。

 Hurriyet

2月6日、南部トルコを襲った地震で、少なくとも43,556人の人々が家を失いました。この大地震で家を失った多くの人々の住の問題を解決するために、さまざまな方策が考えられています。

アドゥヤマン県の生存者たちは、スポーツ競技場の真ん中の緑地に造られたテント村で暮らし、ストーブを焚いて暖を取っています。地震で心を傷つけられた子供たちのために、心理学の専門家たちが子供たちをオモチャで遊ばせています。

「アスリートたちが汗を流した競技場で、私たちはいま、命をつなぐために懸命になっています。1日も早く以前の暮らしに戻りたいと思っています」とイブラヒム・ユルマズさんは言いました。彼の家は地震で大きく破壊し、いまは家族とともに競技場のテント村で暮らしています。

2月20日に起こったマグニチュード6.4の地震後、最も厳しい被害を受けたハタイ県の人々も困難な生活を送っています。被災者たちはテントに入ることも怖がっています。ほとんどの市民は朝まで寝ずに焚火を焚いて、屋外で夜を過ごしています。いまだにテントも手に入れられず、温室の作物を除去して住んでいる人たちもいます。

「私たちの家は壊れました。でも、私たちにはテントもありません。 最後の地震で私たちはさらに不安になっています。私たちは温室に住んでいます。私たちのために解決策を考え、救いの手をさしのべてください」と生存者の1人は言いました。

トルコ国営鉄道総局(TCDD)は6000人の人々が貨車や壊れた駅に泊まっていると発表しました。最も被害の大きかったガジアンテプ県の地区のひとつイステヒエでは、幼稚園や小学校、中学校、保育園を含むコンテナ村が設置され、子供たちのための遊び場や、市場、洗濯場、シャワー・トイレ、食事ホール、パン屋、礼拝堂が設けられました。


906ベッドの船が地震生存者の宿泊のために提供された

906ベッドの船がイスケンデルム港に泊まって、地震の被災者たちに宿泊サービスを提供しています。

 Hurriyet

客室数400、ベッド数1056のこの船は、エネルギー天然資源省によってこの港に運ばれた後、運輸インフラ省も参加して、906ベッドのローロー船が提供されることで合意に達しました。この船は2月20日、イスケンデルム港に入りました。

また、トルコ軍の貨物船TCGイスケンデルムも、被災者のために活躍しています。地震で負傷した人の何人かはイスケンデルム港からTCGイスケンデルム船で、隣県のメルシンに運ばれています。327人の負傷者が、野戦病院に改装された3隻の船でメルシンの病院に運ばれました。

TCGイスケンデルでボランティアとして働いていたある外科医は、彼らは船中で負傷者に応急手当を施していたと語りました。「2人の女性が船の中で出産しました」


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地震から248時間後に17歳の少女が救出された

2023年02月17日 | 国内
2月17日 生存者発見の望みが薄れてゆくなか、2月16日、トルコの救助隊が17歳の少女を瓦礫の中から救出しました。

 Hurriyet

大地震によって、トルコ南東部とシリアでは、ほぼ40,000人が亡くなりましたが、地震から248時間後に、アレイナ・オルメズさんが救出されました。

「彼女は1度、目を開き、また閉じました。元気に見えました」と救助活動に参加していた炭鉱夫のアリ・アクドーアンさんは、地震の震源地に近いカフラマンマラシュでAFPに語りました。「私たちは物音を聞き、希望を持ってここに来て、1週間、この建物を捜索していました。私たちは、たとえ猫1匹でも、生きている者を見つけられたらと思っていました」

少女の伯父は涙を流しながら、救助隊の一人、一人を抱きしめ、「みなさんのご恩は決して忘れません」と言っていました。


「マラティヤで続いている余震は次の地震の警告」専門家

この4日間にマラティヤで起こった4回の余震は、断層がまだ活動していることを示すものだと、ムンズル大学地質工学部のタイラン・サルチャン准教授は警告しています。

 Hurriyet

南トルコでマグニチュード7.7と7.6の2回の地震があった後、マラティヤでは300回以上の余震があったと、災害緊急管理局(AFAD)は発表しました。2月12日、ヘキムハン地区ではマグニチュード4.9の地震が起こりました。その翌日には、ヘキムハン地区とピュテルゲ地区を中心とするマグニチュード4.5と4.2の2回の地震が起こりました。

2月15日の朝には、ダレンデ地区でマグニチュード4.6の地震があったと、AFADが発表しました。振動は地下12.4キロで起こりました。「最近の余震は断層上の振動ではありませんが、余震は断層がまだ活動していることを示す重要な指標です」とサルチャン准教授は言いました。

2600~2700年昔、この断層上で地震があったと、准教授は力説し、中東工科大学が行った調査では、近い将来、マラティヤ断層が地震を起こす可能性があることを明らかにしたと付言しました。

「次の地震はマグニチュード7より大きいでしょう」とサルチャン准教授は言いました。「断層の長さから考えて、マグニチュード7.4~7.5と予想されます。当局は予想される地震に備えて、マラティヤに地震に対する抵抗力をつけるための必要な対策を急ぐよう警告します」


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     ★1週間ほど忙しく、このブログ休みます。

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NATO事務総長が地震後の団結を表明するためにトルコを訪れる

2023年02月16日 | 国際
2月15日 イエンス・ストルテンベルグNATO事務総長は、トルコ大地震に対するNATO諸国の団結と支援を表明するために、2月16日、トルコを訪れます。

 Hurriyet

「トルコに行って、エルドアン大統領とチャウシュオール外相に会い、弔意と連帯を伝えます」と、ストルテンベルグ事務総長は、2月15日、ブリュッセルの記者会見で語りました。事務総長は地震の被災地も訪れるものと思われます。チャウシュオール外相とストルテンベルグ事務総長は会談後、記者会見を開くでしょう。

事務総長は、NATO加盟諸国はトルコへの深い弔意と支援を表明していると言いました。「NATOが提供したシェルターが近く被災地に届くでしょう」

彼はまた、NATOはどのようにしてトルコの人々への支援をつづけるかを、エルドアン大統領とチャウシュオール外相と話し合うと言っています。

ストルテンベルグ事務総長はまた、スエーデンとフィンランドのNATO加盟問題も、アンカラでの会談の議題になるだろうと言いました。「私はトルコに、スエーデンとフィンランドの加盟を批准するよう勧告したい」

トルコがフィンランドだけを批准したいというなら、それはトルコ次第だが、NATOの究極の意向と希望は両国をともに加盟させることにあると、事務総長は言いました。

地震後、ノルウエイは避難活動と救急輸送を支援するために、Cー130Jヘラクレス輸送機をトルコに送ったと、事務総長は言いました。「最新の医療輸送団が、2月13日、トルコへ飛び、28人の患者をアダナ経由でアンカラの病院に運びました」


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被災地に206,000張りのテントが設置された

2023年02月15日 | 国内
2月14日 トルコ10県を襲った2度の大地震の被災者のために、206,000張りのテントが設置されました。

 Hurriye

被災地で働く捜索・救助隊の人数は35,495人になり、救援のために海外から来た要員数は9,793人に達しました。フアト・オクタイ副大統領は、被災した10県で働いている要員は、捜索・救助隊と保健要員を含めて238,459人に達したと言いました。

被災地の夜の気温は零下になるため、基本的な必需品に事欠いている被災者には、居場所と暖房が最大の関心事になっています。そのため、206,357張りのテントと200万枚の毛布が、トルコの災害緊急管理局(AFAD)、家族・社会サービス省、国防省、青年・スポーツ省、紅新月社、国際組織によって現地に送られました。

334の移動キッチン、86台のケータリング車、33の移動オブン、252台のサービス車も、地震の被災地に運ばれました。

ボランティアたちの団結
全国から来た多くのボランティアも被災地で働いています。ボランティアの1人、エンジニアのヤシン・メルジャンさんは、最も被害が激しかったハタイで被災者のために働いてきました。

「地震後、私は家にすわっていられなくなりました。私と4人の友人はパイ皮を持って、ここへ来ました。私たちはほとんど休まずパテをつくっているので、背中が痛みます。近くに診療所があるので、注射を打ってもらって立っています」とメルジャンさんは言いました。

黒海岸のリゼ県のビジネスマン、オヌル・ユルドゥスさんたちは、大地震の3日後に、12平米のプレハブの家6軒を被災地に送りました。ビジネスマン仲間を代表して、アンタキヤにプレハブの家を運んだユルドゥスさんは、「私たちは地震後すぐにプレハブの家を準備しはじめ、3日後には被災者とともに家を設置しました。この傷を癒せるのは団結です」と言いました。

ブルドゥル・メフメト・アキフ・エルソイ大学は、地震の2日目から、被災地で20人のチームをつくって、2500人の人々に1日3回の食事を提供してきました。同大学の講師ビラル・カラサカルさんは、被災地でスープをサービスしていました。「いまこそ団結のときです。こんな時こそ、団結が重要です」

ベルクス・シャヒネル軍曹は、マラティヤでテント村の子供たちと遊んで、子供たちを元気づけていました。また、舞台俳優のオメル・コナクチュさんは、子供たちの気分を盛り上げるために、ナスレッティン・ホジャの衣装を着て、ホジャを演じて見せていました。


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死者は増えているが、まだ救出される人も

2023年02月14日 | 国内
2月13日 2月6日、トルコ南部を襲った7.7と7.6マグニチュードの地震で、少なくとも31,643人の人々が命を落としたと、災害緊急管理局(AFAD)が発表しました。

 Hurriyet

死者とはべつに、少なくとも80,278人が地震によって負傷したと、AFADは報じています。10県を襲った地震から1週間が過ぎましたが、生存者を探す捜索・救助活動はまだ続いています。

フアト・オクタイ副大統領は、233,000人が被災地で働いているが、その中の35,000人は捜索・救助隊だと言いました。これまでに寄宿舎に落ち着いた被災者数は、全国で120万人に達したと、オクタイ副大統領は言い、約400,000人が被災地から他県へ移動したと付言しました。

副大統領はまた、瓦礫の下から救出された、身元のわからなかった赤ちゃんと子供たち574人のうちの76人は、家族に引き渡されたと言いました。118人の子供たちは家族・社会サービス省傘下の児童施設に入ったということです。

ベキル・ボズダー法相は、被災地となった県では、地震関連の犯罪以外のすべての裁判は、2か月間延期されると発表しました。

175時間後に女性が救出された
8日目も、捜索・救助隊は瓦礫の中から被災者を救い出そうと努力をつづけています。最も破壊の激しかったハタイ県では、ナイデ・ウマイさんが地震から175時間後に、瓦礫の中から生きて救出されました。ウマイさんは救助隊によって救急車で病院に運ばれました。

ガジアンテプでは救助隊が崩壊した5階建てのアパートの1階に到達でき、170時間後に瓦礫の中からシベル・カヤさんを救出しました。まさに時間との戦いです。マニサ消防隊の捜索・救助隊は熱量計を使って生存者の存在を確認し、166時間後に、60歳のエレンギュル・オンデルさんを救出しました。

アドゥヤマンでは救助隊が瓦礫の中から聞こえる音に気づき、地震から165時間後に、44歳のナイメ・シャカルさんを救出しました。また、1人の少年と62歳の女性が、2月6日の地震以来、崩壊した建物の瓦礫の下に7日間、埋まっていましたが、奇跡的に救出されました。

ハタイでは、7歳のムスタファとナイーゼ・ユルマズさんが、12日、163時間ぶりに救出されました。


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