トルコのトピックス

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「世界で最も大勢集まった朝食会」でギネス記録

2014年06月02日 | 国内
6月3日 「世界で最も大勢集まった朝食のテーブル」というギネス記録が、6月1日、破られました。東部ヴァン県で、5万1793人の人々が、ともに朝食を楽しみました。

  
Hurriyet 5万人の朝食会! 参加してみたいですね。
  

「ヴァンは最も大勢の朝食会で世界記録を打ち立て、アメリカの1万8941人の朝食記録を超えました」と、トルコのギネス代表セイダ・スバシュ・ゲミジさんは言いました。
何千何万の人々が、商工会議所主催のこのイベントに参加しようと、20か所に設けられた改札口から会場に入りました。

朝9時、地元の衣装を来た人々の歌と踊りの後、ギネス代表が見守る中、人々は朝食を楽しみました。
アメリカの記録を破るために、会場には2万50000脚の椅子と6000のテーブルがセットされました。椅子にすわりきれなかった人々は、草原に持参のテーブルクロスをひろげてすわりました。

イベントの終わりに、「私たちは平和と友愛のために、この朝食会をセットしました。ご参加の皆さんに感謝します」と商工会議所のネジュデト・タクワ会頭は言いました。

・・・5万人! すごいですね。写真で見ると、大きな紙箱が配られて、その中にいろいろ入ってるみたいですね。たぶん、パンとチーズとオリーブとジャムと・・・サラダや卵も入っているかな。5万1793人に朝食をふるまう商工会議所も太っ腹ですねえ。箱の中身も報道して欲しかった。こういう平和なニュースはいいですね。


副首相はギュレン運動に腹を立てている

ビュレント・アルンチ副首相は月曜、「私はあらゆる場面で、彼ら(ギュレン運動)を支援し守ってきました。私は彼らを許せません」と発言しました。

 Sabah

副首相はまた、だれがAKPの大統領候補になるのかという質問に、「それは私に尋ねないでくれ。あなたがたはもうだれが候補か知っているでしょう」と答えました。


「PKKよ、子供を返せ」プロテストはまだつづいている

ディヤルバクル市庁舎前で、PKKにさらわれた子供たちを返せと、すわり込みプロテストをつづけていた家族は、道路の反対側に移動して、まだ抗議をつづけています。
このすわり込みは、高校生の子供たちをPKKにさらわれた3人の母親たちが、クルド系政党BDPに子供たちの解放の仲介を求めるプロテストから始まりました。

 Hurriyet
 
すわり込みに加わったお父さんやおじいさんたちと市庁舎職員がもめました


プロテスターによると、すわり込みは76人にまで増えましたが、市庁舎職員ともめて、いまは47人になったそうです。
プロテスターの1人、サブリ・オナランさんは、19歳の孫息子が9か月前にPKKに入ったと言っています。「デモを支援したくて、隣県ビンギョルから来ました」

「市の職員たちがプロテスターたちをどかそうと、市庁舎前のエリアに花を植えはじめたので、私たちは道路の反対側に移動したのです」とオナランさん。「私は平和民主党(BDP)の指導者セラハッティン・デミルタシュに子供を取り戻すための助力をたのみました」

・・・PKKは当然、「若者たちは自分の意志で参加している。家に帰りたくないと言っている」と回答するんじゃないでしょうか。


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警察がゲジ記念日プロテストを蹴散らした

2014年06月02日 | 国内
6月2日 土曜、警察はまた催涙ガスを使って、タクシム周辺のプロテスターを蹴散らしました。プロテスターは昨年のゲジ公園プロテスト1周年を記念するためにタクシム広場に行こうとしていました。
「タクシム団結グループ」が、ゲジ公園プロテストが始まった日を記念して大プロテストを呼びかけましたが、機動隊はタクシム広場周辺に厳重な警戒態勢をとっていました。

 Sabah

昨年、タクシムはデモの中心となり、その後、反政府プロテストが全国で起こり、警官1人を含む8人がなくなる結果になりました。
機動隊はバリケードを築いて、イスティクラル通りなどの道路を閉鎖し、タクシム広場への道を封じました。広場に入れたのは記者たちだけです。

イスティクラルとオクメイダヌ近くに集まって、スローガンを叫びながらタクシムへ向かおうとする集団に、治安部隊が介入しました。
デモに参加していた最大野党・共和人民党(CHP)と人民民主党(HDP)の議員数人が、警察に広場に行進させるよう要求しましたが、警察が許可しなかったため、デモ隊は治安部隊と衝突し、バリケードを破ろうとしました。

機動隊は催涙ガスと放水車で群衆を散らしました。近所の商店数軒がダメージを受け、5人以上が拘束されました。昼過ぎ、タクシム広場へ行進しようとした16人も拘束されました。警察のヘリも上空からパトロールしていました。

ゲジ公園プロテストは2013年5月31日、小さな環境デモから始まり、全国的な反政府デモになりました。政府が、ゲジ公園内にショッピングモールを建てるなど、広場近くを再開発する計画を実行しようとしたため、プロテストが勃発しました。

・・・あれから1年たつのですね。催涙ガスの臭いを懐かしく思い出します。

 
  ムスリム集団がアヤソフィアの前で朝の祈り

アヤソフィアをモスクに戻せと要求する人々の集団が、5月31日、アヤソフィア博物館前に集まって夜明けの祈りを捧げました。このイベントを呼びかけたのは「アナトリア青年協会(AGD)]というグループです。
アヤソフィア博物館のステータスに関しては、さまざまな議論があります。

 Hurriyet

537年の建立時から、オスマン帝国が都を征服した1453年まで、アヤソフィアは東方正教会の聖堂であり、コンスタンティノープル総主教座でありました。オスマン帝国によってモスクに変えられ、その後、1953年に、宗教とは無関係の博物館になりました。

青年協会はコンスタンティノープル征服の日を記念して、このイベントを呼びかけました。
さうじゅアラビアのムエッジン、シェイク・アブドゥラ・バスファルら有名なイマームたちも、このイベントに参加しました。
群衆は礼拝後、「アヤソフィアをモスクに」とスローガンを叫んで散会しました。

・・・昼間は観光客でいっぱいのこの広場に集まった人たち、アヤソフィアでお祈りすることに、どういう意味があるのでしょう。


スルタン・アブデュルハミド2世の孫娘、89歳で死去

スルタン・アブデュルハミド2世の孫娘ネスリシャー・アブデュルカディル・オスマンオールさんが土曜、マルマラ大学付属病院で、89歳で逝去されました。

 Sabah

オスマンオールさんはファティフ・モスクで葬儀の後、日曜、カラジャアフメト墓地に埋葬されました。
彼女の葬儀には、ヒュセイン・ヴァリ・ムトゥル・イスタンブール知事、カディル・トプバシュ・イスタンブール市長、ムスタファ・デミル・ファティフ区長および多くのオスマン家の方々、市民が列席しました。

ラシム・ジニスリ元議員も出席しました。彼は1974年、オスマン家の人々の追放地からの帰国を提案した議員の1人です。

・・・この方たち、べつになんの咎もないのに、長いこと祖国に帰れなくて、お気の毒だったと思います。オスマン時代は遠くなりにけり。


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