ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




旧宮川医院。中央区新富1-7。1986(昭和61)年9月7日

平成通りの1本西の裏通りにあった。写真左の家は入口に「GEDOL」という社名の表札をつけているが、ちょっと変わったファサードだ。昭和25年頃の地図では宮川医院となっていて、なるほどと納得できる。戦前の地図でも「医院」である。写真右の民家の方はその地図では「待合」だが、その建物ななだろか?


新光貨物新富倉庫
新富1-6
1991(平成3)年4月21日

この建物は「丸新青果店」の2枚目の写真に写っている。1985年にはあった「丸金工機株式会社」の袖看板がはずされている。

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コメント
 
 
 
Unknown (したまちっこ)
2007-12-07 16:51:19
 またまた頬が緩むような懐かしい写真を掲載していただきまして、ありがとうございます。
 ここは昭和40年代後半までは宮川医院ではなく、1階が歯医者、2階は女医さんの内科でした。その前は1階も内科(土屋医院?)だったようです。
 右の民家は魚河岸の仲卸しIさんのご自宅。ここの飼い犬は恐かった!
 新光貨物・・になっているファザードがあるビルは、1階は会社は違いますが、ずっと倉庫です。
 2階は3部屋程ある貸し部屋(家?)でした。その隣の家との間に短い渡り廊下のようなものがありました。今の聖路加タワーの空中通路を見るとその渡り廊下を思い出します。
 この2階は私の幼馴染の家でよく遊びにいきました。このビルの外壁相手にキャッチボールをしたのも懐かしい想い出です。
 次はどんな写真を掲載していただけるのか・・楽しみにしております。
 
 
 
 
>したまっちこ様 (流一)
2007-12-07 23:54:13
楽しんで頂けると、私もブログを書くはげみになります。しかし、したまっちこさんはあちこちに思い出の建物があるんですね。
 
 
 
Unknown (したまちっこ)
2007-12-09 18:56:53
 新富町は狭い地域の町ですから、町全体が想い出の塊のようなものです。
 中学校入学まで住んでいて、○十年離れ、そして4年前にまた戻ってきました。
 建物は高層化され、商店は無くなりと町はどんどん変わってしまいましたが、空気は変わりません。どんなに様変わりしても新富町はやはり大好きな町です。私の生まれ故郷ですから。
 
 
 
 
>したまっちこ様 (流一)
2007-12-10 14:57:04
子供の頃は自分が住んでいる周りが全世界でしたね。
私の父は八丁堀の印刷屋で働いていたので新富町はすぐ隣だったわけですが、銀座への通路としてしか縁がなかったようです。それでも新富町の「空気」というのはなんとなく感じられたような気がします。銀座のように高尚というのではないが、いわゆる下町の気安さとも少し違う。モダンで落ち着いているというか…、うまく表現できませんが。明治期に花街だったという歴史がまだ尾を引いているのでしょうか?
 
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