ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




スミー美容院。中央区新富1-18。1987(昭和62)年頃

写真右のデンヨーのビルが新大橋通りの入舟町交差点に面している。写真手前の角の床屋は、写真左端に「パーマ・スミー美容室」の看板があるから、「スミー理髪店」とでもいったのだろうか? その右が鈴木金物店。



ハウス商会。1987(昭和62)年頃

新大橋通りの西の裏通り。写真右に1枚目の写真の床屋。そこから左にハウス商会(不動産)、旧・昌平堂印刷、生美堂印刷所。
この並びは旧住所では入舟町2丁目で、写真の通りが新富町との境界だった。大震災までは入船川という堀川が桜橋川と築地川を結んでいて、そこで町を分けていたからだ。現在の写真の道は入船川の西の河岸の道で、建物は埋立てた川の上に建てたようだ。



ハウス商会。1987(昭和62)年5月

鉄砲洲祭りでの少女たちの踊り。これは手古舞という踊りなのだろうか?『現代では花街が断絶した地域においては、地域の若い女性が扮する場合が多く、又、小中学生以下の少女(稀に少年)が扮する場合も多い。』(ウィキペディア)に該当するのだが。

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コメント
 
 
 
Unknown (シタマチッコ)
2007-12-07 16:37:21
 この頃はまだ手古舞が残っていたのですね。
 私も子どもの頃何度か踊りました。
 銀座と新富町に分かれて競って踊らされました。
 お揃いの浴衣を作ってもらうと心がワクワクしたものです。 
あちこちの休憩所でお菓子や飲み物を出してくださるのですが、一番印象に残っているのが、今は銀座タワーになってしまった旧料亭「万安楼」。
 普段は入れない黒塀の中に入り、塩むすび等をいただいたきました。
 
 
 
>したまっちこ様 (流一)
2007-12-07 23:52:09
現在では手古舞やらなくなってしまったようですね。この写真を1枚だけ撮っただけですが、このときにしばらく手古舞について回って見物しながら、せめてもう何枚か撮っておけばよかったと思います。
 
 
 
なつかしい! (新富ッ子)
2007-12-08 18:30:40
はじめまして。
新富座の掲示板でここを知りました。
懐かしい光景の写真があったので嬉しくて書き込ませていただきます(^^)

写真には写ってないと思うけど私もこの列で踊ってました。京橋小学校の体育館で練習を重ねて本番に臨むんですよね~。歌舞伎座の前まで行って踊ったこともありました。
シタマチッコさんも書いている「万安楼」、私も覚えてます。おむすびと沢庵を食べたなあ。懐かしいです。
 
 
 
>新富ッ子様 (流一)
2007-12-10 14:22:09
子供の頃、京橋小学校で学び、お祭りでは花街の伝統を受け継ぐ手古舞を踊り、万安楼の接待を受けたといえば、かなりのステータスではないですか。すてきな体験だったことだろうと思います。
これからも当ブログをよろしくお願いします。
 
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