下見板のアパート。千代田区飯田橋1-12
左:1982(昭和57)年4月、右: 1986(昭和61)年9月23日
目白通りの飯田橋二丁目交差点の辺りの裏通りにあった木造アパート。『都市徘徊blog>飯田橋の木造家屋(2008.08.30)』で紹介されている。そこで「…昔のままの下見板張りの外観だったため、2棟の建物はかなり黒ずんで、周辺の街並みの中で目立っていた。このため、派手なデザインではなかったが、かなり印象に残るものだった」と書いていて、ぼくもこの建物を見たときはやはり同じように驚いた。外壁を南京下見板にした建物は東京ではあまり見かけない。モルタルを塗りつけてしまう場合が多いのだろうか。
同じような建物が2棟並んでいる。同じ石垣の上にあり、外観も似ているので家主が同じで、施工者も同じではないかとも思ってしまう。写真では後ろでくっついているようにも疑えるが、裏には別の家が建っていて、表の2棟はそれぞれ独立している。
『加藤嶺夫写真全集 昭和の東京3千代田区』(デコ、2013年、1800円)には建物の間の階段とその奥の家が写っている写真が載っている。左の家の玄関がどうなっているかも判って貴重な資料である。その写真のキャプションには「左は入院もできる助産所だった」とある。昭和44年の地図では「九谷助産所」、右の家は「日報社」。
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