ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




コカジ洋菓子店。中央区銀座6-4。1987(昭和62)年12月27日

写真右の古いビルは海洋ビル。洋館の洋菓子店にはローマ字、カタカナ、漢字(小鍛冶)と丁寧に3種類の表記で看板がかかっている。建物左の入口はバーのようだが、住宅地図では「らどんな」という店。
建物はかなり古そうだが戦前の建築なのかどうかは知らない。昭和30年頃の地図では「バー・スイング」。

左:1987(昭和62)10月4日、右:同年12月27日

asahicom>2007.07.09』に小鍛冶洋菓子店の沿革が少し書かれた記事があった。それによると、JR神田駅そばの内神田3丁目にあった小鍛冶洋菓子店は戦後すぐの1945年にしるこ屋を出したのが始まりという。1960年には洋菓子店に転向する。一時は都内に7軒の店を展開したが銀座の支店もそのひとつ。2006年7月で事業不振のため閉店した。


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コメント
 
 
 
懐かしい写真です。 (suzu)
2010-06-17 17:00:06
はじめまして、いや~懐かしいですね小鍛冶の銀座店ですね。偶然目に入り遅ればせながらコメントさせて戴きました。

学生時代の昭和54年から55年にかけて銀座店と新宿店でアルバイトをしていました。銀座店は十数席程のこじんまりとした喫茶店でした。2階はバーですね。ちょっと店の名前は忘れましたがホステスさん達が店によくケーキを買いに来てましたね。

そうですか、小鍛冶は閉店してしまったんですね。
当時は確か村田さんという方が夫妻で経営してたと思いましたが?

当時の事を思い出しノスタルジックな気分に浸れました。
 
 
 
>suzu様 (流一)
2010-06-18 10:06:29
もう30年以上前になるわけですか。お互い歳をとりました。喫茶店があったとは知りませんでした。席はいつも埋まっていたのでしょうね。
シャッターが開いた開店中の写真を撮るべきでした。気が利かないことです。『海洋ビル』の写真に開店しているコカジが小さく写っていますが、このとき撮影しておけばよかった。
 
 
 
小鍛冶荻窪店・・・ (Tony)
2017-06-22 21:40:19
 流一様

1960年代後半、荻窪駅からほど近い壽通りにあった小鍛冶洋菓子店左隣の河合楽器荻窪店に勤務していました。
向かいはフタバ薬局、裏手にはまだ現役だったNHKの徳川無声さんが住んでいましたし、三浦雄一郎(スキー)さんの長女エミリーちゃんも教室に通って来ていました。

 音楽教室の生徒たちが帰って一段落すると隣の小鍛冶での一杯の珈琲が楽しみでした。小さいけれど家庭的な温かいお店でした。

 昨秋、阿佐ヶ谷ジャズストリートへ参加の時ふと思ってひとつ手前の荻窪で下車して壽通りを抜けてみたのですが既に閉店していました。無声さんのお屋敷もフタバ薬局もありませんでした。思い出は遠くなりました。

Tony
https://www.youtube.com/user/midorigaoka32
 
 
 
懐かしい (銀座っ子)
2017-07-23 00:18:38
2階の
らどんな、クーラーがクライスラー社でした
らどんな、みなさんはエルドールのケーキがお好きでしたから、コカジさんには悪いからとエルドールでは包装紙を裏返して白地にしてもらって包装してもらっていました
隣の岡田ビルの岡田医院、岡田先生は泰明小学校の校医さん
優しいお医者様でした
大変懐かしい写真をありがとうございました
 
 
 
>銀座っ子様 (流一)
2017-07-23 15:40:40
2階が「らどんな」という有名なバーだったとは初めて知りました。看板も表札もないようですね。固定客が来ればいいわけでしょうか。エルドールも知りませんでしたが、当ブログの「熊谷ビル」で取り上げていました。
 
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