ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




祝学生会館開館絵葉書カバー、絵葉書表のフォーマット

駿河台にあった中央大学が八王子市の多摩キャンパスへ移転して、駿河台校舎閉校式が行われたのは1980(昭和55)年3月22日だ。当日は雪が降ったそうだ。ぼくは当時まだ古い建物を写真に残そうなどとは思いつかず、自分で撮った写真はないので、1967(昭和42)年に中央大学が発行した絵葉書を紹介する。「学生会館開館」を記念したものだが、この学生会館とは生協などが入った「小川町校舎」のこと。発売したものなのかどうかは知らない。ぼくが入手したのは在学証明書を取ったときに窓口でくれたのだ。以下、説明文の英文は絵葉書の表側から。

中央大学二号館 2nd Building
The oldest building on the campus. Classrooms for the Departments of Law, Economics and Commerce are located in the building.
『日本近代建築総覧』では「中央大学、神田駿河台3-9、建築年=1926(大正15)年〈8月15日〉、構造=RC3階建〈地下1階〉、設計=阿部美樹志、施工=大倉土木」。4階は増築したもので、中央大学公式サイトの年表に「1952(昭和27)年9月14日、駿河台校舎本館4階増築工事(一般教室3、大学院研究室2、一般学生研究室1)落成式・暖房装置竣工式を挙行」とあるのに当たるのではないかと思う。


中央大学三号館 3rd Building
The Auditorium. Built in commemoration of the University’s founding, seating 3,000.
『総覧』では「中央大学講堂、神田駿河台3-11、建築年=1935(昭和10)年、構造=SRC4階建、設計=阿部美樹志、施工=大倉土木」。ゴシック様式の建物は二号館や図書館に合わせたものだろうが、昭和10年に建てられたとは思えない外観だ。ぼくは見ているわけだがまるで覚えがない。関心がないとそういうものなのだろうか。創立50周年を記念して建築された。普通は「大講堂」といったらしい。


左:中央大学四号館、右:五号館
4th Building : Lecture theaters and smaller rooms for seminars.
5th Building : Classrooms chiefly for use by the Literature Department, 32 study rooms for the faculty and language laboratory facilities.
四号館は1964(昭和39)年の4月の竣工。6階建地下1階、大階段教室3・小階段教室4・普通教室25。五号館は同年8月の竣工。10階建地下2階、研究室32・視聴覚教室1・ヒヤリング教室2・普通教室21・図書室1他。


左:中央大学学生会館、上:理工学部校舎
The Students’ Union : Center of campus activity. Club rooms, meeting rooms, a dining hall, the Co-op and the Health Service.
学生会館は小川町校舎のこと。中央大学公式サイトの年表に「1966(昭和41)年6月 30日、学生会館完成(小川町校舎、地下1階・地上6階、延2197.9坪)」「1967(昭和42)年 1月 28日、学生会館入館式を学生会館6階大集会室で挙行」とある。
1978(昭和53)年3月に敷地・建物をトヨタ自動車工業へ売却、今も「トヨタお茶の水寮」として使われている。中央大学の遺構といっていいものだろうか。

Korakuen Building : Classrooms for the Department of Science and Technology. 96 study rooms, 118 laboratories.
理工学部校舎は後楽園キャンパス(文京区春日1)にある。写真の校舎が現在の1号館なら残っているのだが。

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コメント
 
 
 
トヨタお茶の水寮 (k-kai)
2015-10-07 22:46:30
ご無沙汰しております。「廃景録」のk-kaiです。

トヨタお茶の水寮が、中央大学の学生会館だったとは知りませんでした。
これは中央大学の貴重な遺構ですね。

僕は駿河台の日大に7年+2年通いました。
バブル崩壊の翌年の入学だったので中央大学の校舎群はすでになく、
中央大学の施設は「大講堂」跡地に新築された「記念館」のみでした。
 
 
 
>k-kai様 (流一)
2015-10-08 17:59:53
私もトヨタお茶の水寮が中大の生協が入っていたビルだったとは、当記事を書くまでは気が付きませんでした。母校とはいえ後楽園校舎で過ごして駿河台とはほぼ無縁でした。小川町校舎へは入ったこともないと思います。
k-kaiさんは学生だった頃は年中トヨタお茶の水寮を目にしていたと思いますが、特に注意が向くということはなかったと思います。ごく普通のビルですよね。とりあえずこんどそばを通ったら写真に撮らなければ。それにしても中大の「遺構」になるのでしょうかね?
 
 
 
Unknown (道草亭ペンペン草)
2023-02-25 07:38:31
私は1976-79年は隣の大学に通っていました。小中の同級生が中大に通っていて、案内されて中大の学食で安価な定食食べました。確か、そこが生協の入った校舎だったと思います。若かりし頃を思い出します。
そういえば、お茶の水駅前にウイーンとサンロイヤルの喫茶店が並んでました。他のネットの書き込みで、サンロイヤルの宮殿の様な建物を元ウィーンだという書き込みをしている人がいて、間違った情報なのに不思議に間違いが定着していて、嘆かわしいです。
 
 
 
Unknown (ぼんくら)
2023-02-25 09:07:46
当時、近隣のサラリーマンの人も、食事や買い物で利用していました。会員になると、雑誌、レコードは25%引きで買えましたからね。八王子(多摩校舎)移転後も、神社の並びの居酒屋樽八?の隣のビルで、生協は暫く営業していて、卒業後も利用していました。雪が降る中、戸田学長先頭に、雪が降る中提灯行列、靖国通りからスズラン通り、ぐるっと歩いたのが思い出すなー。
 
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