ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




長崎金物店。千代田区神田小川町3-2。1988(昭和63)年1月15日

前の通りは靖国通りで、写真右の二階建ての建物が平和堂靴店、中央の角のビルは小川町薬局。間の横町を北へ入ると太田姫稲荷神社の横を通るお茶の水仲通り。写真左の茶色の看板建築が長崎金物店。
平和堂靴店(神田小川町2-4)は熱心な顧客が多かったようで、ネット上で閉店を惜しんだ書き込みがいくつも見られる。大正12年創業としたサイトもあった。建物は戦後のもの。10階建ての平和堂ビルに建て替えられたのが1993年9月、閉店したのは2006年3月だ。今はビルの名称も「いちご神田小川町ビル」と変わってしまった。「靖国通りから平和堂靴店の角を入って」というふうにも使われた。
長崎金物店と小川町薬局は昭和25年頃の火保図にすでに出ている。戦前築の看板建築と思われる長崎金物店は、ビルに建て替えられて「長崎商会/かなものや」として続いている。その左の看板建築は撮影時はスキーショップだったらしい。現在も建物はそのまま残っていて立喰寿司の「魚がし日本一」になっている。
写真左端は石田ビルというが、その左の路地を入ると「天心館ビル」がある。『ビル業界四季報第525号』の「株式会社天心館」によると、昭和46年に建てた3階建てのオフィスビルを平成17年に5階建てに建て替えたものだ。天心館は「戦前は江戸川橋牛込天神町にて旅館を経営していたが、戦火で家屋を焼かれ、戦後に現在ビルが建つ神田へと落ち着き旅館経営を再開した。……昭和28年に、「株式会社旅館天心館」を設立、宴会場を兼ね備えた学生向け旅館として経営を行っていた。当時は明治大学や中央大学の「バンカラ」が飲んで騒ぐ活気ある学生街だったという」。1986年の住宅地図の「旅館天心館」という記載は会社名で旅館だったわけではないらしい。

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