ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




千葉大園芸学部のフランス式庭園。千葉県松戸市松戸648。2008(平成20)年3月30日

千葉大園芸学部がある台地は、徳川昭武が建てた戸定邸とつながっていて、戸定が丘と言われる。キャンパス内には大正の初期に造園された洋式庭園が残されている。かつての正門だった門柱は千葉県立園芸専門学校のときのもので明治末のもの。その他に古いものというと、農園の温室に戦前からあるものがあるかもしれない。使われているかどうか怪しいプールはどうだろう? 戦前の校舎は木造ばかりだったようで残っていない。
フランス式庭園は「サンクガーデン」と言われていたらしい。写真奥の建物は研究A棟。大正6年に建てられた講堂があった場所に、そのイメージを模して昭和58年に建てられた。
A棟の前に円形に配置された扇形の池が造られていて、その中心に円筒形の記念碑が置かれている。彫が浅くてはっきりしないが「大禮記念 昭和三年十一月十日/等園芸學校職員/生徒建立」と書かれているようだ。昭和天皇の即位の礼を記念したもの。



左:大礼記念の碑。右:イタリア式庭園。2004(平成16)年11月24日



旧正門。2012(平成24)年2月15日

千葉大園芸学部の前身は明治42年に設立された千葉県立園芸専門学校。写真の門はそのときの建造かと思われる。園芸専門学校は大正3年に千葉県立高等園芸学校と改称した。戦後、千葉大学に併合された後も正門として扱われていたが、今は松戸駅に近いほうに変わった。
旧門があるのはキャンパスの台地の西の麓で、松戸駅からだと戸定邸の丘を回り込んで来るか、流山街道の小山バス停から常磐線の歩道橋を渡ってこなければならない。しかし、昔は門の前の道が県道で、にぎやかな商店街から北総台地の奥へ向かう往還へ入る地点で、人の行き来もけっこうあったのだろう。今はこの門を通る人は日に10人いるかどうかではないだろうか。

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