楠亭。文京区本郷1-28。1988(昭和63)年2月21日
春日通りの真砂坂上交差点から南に入り壱岐坂通りに出る通りの中間あたりにあった。現在はマンションのビルになってレストランの楠亭もそこで営業している。
写真は楠亭の南の駐車場から撮ったもの。駐車場は本郷MKビルに変わったが、当時の住宅地図では「川口梱包運輸」となっている。
楠亭の前の楠。1988(昭和63)年2月21日
巨大な楠の木は江戸時代から知られていたらしいが、今もマンションの前にそびえている。
楠亭
1989(平成1)年5月5日
司馬遼太郎の『街道をゆく 本郷界隈』に楠亭の記述がある。楠木正成がどうとか、というところは飛ばして、江戸期は甲斐庄喜右衛門という旗本の屋敷だったという。明治になって楠と改名、明治期は屋敷を維持する。以下、文章を引用する。
あらたに所有した人は古屋敷をとりこわして、大正ふうの木造西洋館をたてた。このあたらしい持ちぬしは駒沢という人だったそうで(近所に住んでおられた上村明(あき)さんの話)、その後、いまの当主の中山弘二氏の父君がゆずられた。
いまの当主の中山弘二氏は昭和初年うまれで、この家で育った人である。
透きとおったような感じの紳士で、この西洋館を愛し、クスノキを大切にしてきた人で、ついに建物と木を保存するため、永年つとめてきた国鉄を退職して、
「楠亭(くすのきてい)」
というフランス料理屋をはじめられた。
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ブログで文中リンクに使わせていただきたいのですが よろしいでしょうか?
近くに息子夫婦が住んでおりますので シェフや店名は違いますが同じ場所のレストランにお食事行ってまいりましたので。
貴ブログでは楠亭へは行きそびれたようですが、残念でしたね。ご主人なら当ブログの黒くつぶれた写真でも、なにか思い出すことはあったでしょうか?
たしか大きな楠の木があったからと本郷辺りを探したり、検索したりしたけど分からず・・ 数年経った今日思い立って再検索したところようやく行き当たりました!! そうそう^^ このお店です!
外観も内も本当に素敵でした。今は普通のマンションだなんて残念です・・・
30年来のナゾ(大げさ?)が解けてスッキリしました。このブログに感謝です♪
これからもよろしくお引き立てください。
楠が600年、お向かいの弓町本郷教会が140年でしたでしょうか。
本文にございますように、マンションになりました時、大きな工事がございました。
楠の根元が切られたからでしょうか、緑の輝きが少々薄れたように感じております。
教会が多い町は、戦争中に爆弾をあまり落とさなかったと聞いております。
だからでしょうか、本郷から御茶ノ水にかけまして古い建物が残っておりますね。
もしかしてkaoruさんの家もお屋敷だった?
母屋に続いたマントルピースのある洋館の2階でお色直しの着替えをし、階段を降りたのを思い出しました。
その後も結婚記念日などの何回か伺いましたが、マンションになってからは1回伺ってそれきりでした。
今はその楠亭は無いのでしょうか?
懐かしく拝見しました。
大学3年の1993年から本郷界隈をうろつくようになって、夏ごとにこの近所(本郷2丁目)の履物屋で2000円の下駄を買って闊歩していました。店主の老人が鼻緒を締め直して「これで大丈夫です」と渡してくれた下駄は、黒ずんで歯がちびてしまうまで、すげかえなしで履けました。当時は下駄履きで歩く人が少なくて、わざと大股で鳴らしながら歩いたものです。下駄履きで旧東海道を歩く、という妙なことを思い付いて、その下駄で箱根山を三島から小田原まで越えたこともあります。――それはともかく、四季折々にこの楠も眺めたはずですがやはり夏の印象が強いです。その後、大学院に進みましたのでマンションになったところまで見届けましたが、お店の方にはバブル後世代の貧乏性のため一度も入りませんでした。
昭和の東京は体験していない私ですが、平成1桁と比べても随分変わってしまったなぁと、このブログを拝見するたびにしみじみ思います。
件の履物屋ですが、まさに大横丁通り(恐らく本郷2丁目18番地の北側)で、店主は当時70代か或いはそれより上、小柄の、井伏鱒二を善人にしたような印象でした。そこで院生時代まで毎年、一番安い下駄を新調していました。そして、~三河稲荷~履物屋~本郷弓町の楠~真砂図書館(現中央図書館)~炭団坂~というルートを良く歩いたものです。(長くなりまして申し訳ありません)
現況をGoogle Earthで見てみましたが、この並びは綺麗に建て替えられてしまいましたね(ですから最初のコメントを投稿したときにはどこだか分かりかねました)。花屋かその西側のジーンズショップの辺りでしょうか。炎天下の昼下がり、かっと照り付ける陽射しの下、この通りを歩いたように思うのです、もっと空が広かったような。
大横丁で検索して6件の記事を拝見しましたが、建物が残っていても改築されたり(加藤薬局)廃業したり(旭商事不動産)随分趣が変わってしまって。・・・そのうち何の変哲もない、マンションの並ぶ通りになってしまいそうですね、仕方のないことですけど。
それだけに、これだけの数の写真を撮影し、かつ公開されていることは、本当に貴重で意義あるお仕事だと改めて思いました。
予約時刻より少し前に着くと、バーコーナーのあるウェイティングルームに通され、そこで軽く食前酒をいただきましたが、本棚にはたくさんの洋書などの蔵書が置かれた素敵な空間でしたね。
ダイニングルームに移動するときの廊下のキシミ音とかも記憶に残っています。
その後も職場の仲間との会食や海外からの客人等との会議後のビジネスディナーでお世話になりましたが、当時の東京の多くのレストランとは違うノスタルジックな建物の雰囲気にも静けさにも、もちろん料理にも皆さん大変満足していました。
時代の変化で、あの楠亭がなくなってしまったのは仕方ないとは言え残念ですね。
ウェイティングルームには本棚があったということは、元は書斎だったのでしょうか? 洋書を収めていたとは、かっこいいですね。