ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





野村証券本社。中央区日本橋1-9
上:1988(昭和63)年4月24日
左: 1985(昭和60)年4月14日

日本橋の袂の野村証券のビルは、あるのが当たり前という感じがして、このビルが建て替わったりしたら周辺の景観がどうなってしまうのか想像しづらい。都心の一等地で、無駄に遊ばせてはおけない場所ではあるが、野村証券の創立者野村徳七が東京進出の拠点としてこだわった「日本橋区通一丁目一番地」に巨費を投じて建てたものだから、永久保存と決めていじらないように願いたい。
建物は『日本近代建築総覧』では「野村証券K.K.本店(旧日本橋野村ビル)、日本橋1-9、建築年=昭和5(1930)年、構造SRC7階建て、設計=安井武雄、施工=大林組、備考=地下2,塔屋付,建坪,302坪「建築の東京」による」。
『近代建築ガイドブック関東編』(東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年、2300円)の「日本橋野村ビル」の解説では「…安井武雄は、近代の日本における建築様式、あるいは建築の美とはなにかを真面目に考えた建築家であった。彼は様式主義建築家という立場に自らを置きながら、西洋の建築様式を採用せぬという初心を貫いた建築家であり、また自己の様式を創出するという困難な道をたどった建築家でもある。彼は、青年期満鉄に勤め、そこで身につけた安井調とも言える独自の建築様式から出発した。この作品は、晩年の珠玉の作、大阪ガスビル(大阪 昭和8年)に至る前段階の作品と位置づけることができる。大阪ガスビルによって彼はその造型力の精粋のみを発揚させたが、この作品は彼が中国からひきずってきたオリエンタルな造形性の総決算である。運河側のまとまりも良く、戦後なされた東側増築部もこの建物の持ち味を壊さぬように配慮されている。」としている。増築部(1986年の住宅地図では「野村証券㈱本社本館」で、安井設計のビルは「旧館」、江戸橋際に「新館」)は昭和34年の竣工。
『建築探偵術入門』(東京建築探偵団著、文春文庫、1986年、480円)では外観の特徴として「下部を五島産の砂壁、中層部を黒褐色の化粧煉瓦貼り、上部を明るいプラスター塗りとした三層構成の外観」「3年前に竣工した大阪高麗橋野村ビルディングに通じる所が多いが、作風としては満州時代の影響をひきずっている」とある。当書の写真では「野村證券」の文字が置かれている5階の壁面に「東洋信託銀行」の文字がある。
『東京建築懐古録Ⅲ』(読売新聞社編、読売新聞社、1991年、2000円)によると、建設工事は昭和3年6月着工、昭和5年3月の完成。日本橋川の地盤の弱い場所で難工事だったという。終戦後の昭和21年から28年までGHQに接収され「リバービューホテル」として婦人・士官の宿舎として使われた。
当ブログでは、建て替わってしまったが、安井武雄設計の「味の素ビル」を収録している。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« テーラー富士... 三菱倉庫/日... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。