ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



味の素宝町ビル。中央区京橋1-15。左:1985年(昭和60)年11月10日、右:1987(昭和62)年12月20日

昭和通り沿いに、清水建設とビルに並んで建っていた。住宅地図には「味の素(株)宝町ビル、鈴木三栄(株)」と記載されている。周囲には別のビルで「味の素宝町ビル第一新館」「味の素(株)」「味の素宝町ビル第二新館」がある。
現住居表示になる前は、昭和通りの1本西の通りから楓川(現在は首都高)の間が宝町で、都営地下鉄の駅名に「宝町」があるが町名としてはなくなった。
味の素ビルは1932(昭和7)年7月の竣工。設計は安井武雄、施工は清水組。竣工時の名称は「鈴木三栄ビル」といった。
時計塔周りのデザインをアールデコとしている本もあるが、装飾というほどの感じはしない。壁面をずらしていくだけでまとめているようだが、素晴らしい手腕だと思う。
清水建設200年作品集で竣工時の写真を見ると時計塔の上に飾りの箱状のものが乗っていて、より時計塔らしい形になっている。各階の窓の上下の縁に少し出っ張ったラインを通している。時計の盤面はアラビヤ数字を置いたありふれたもので、これは写真の盤面のデザインのほうが建物と調和していると思う。


味の素宝町ビル。1987(昭和62)年12月20日

右の道路を奥へ行くと首都高速の下に宝橋がある。
設計者の安井武雄は主に大阪で活動した。大阪の実業家、野村徳七や山口吉郎兵衛とのつながりが深い。大阪倶楽部(1924年)、高麗橋野村ビル(1927年)、大阪ガスビル(1933年)、東京では日本橋野村ビル(野村證券)(1930年)がある。安井武雄建築事務所の創設は1924(大正13)年だが、安井建設設計事務所として現在も活動している。

味の素宝町ビル・裏側。1986年(昭和62)年10月11日
時計塔を頂点に、後ろに行くに従い階数が減っていく。

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コメント
 
 
 
味の素ビル (東村山のヨウタロウ)
2007-07-05 22:58:25
中もデザインが凝っ手相ナ感じですね。味の素といえば、高輪プリンスの隣にあった創業者の鈴木邸が取り壊されてしまいましたね。私も写真でしか見たことがありませんでしたが、和風の立派な邸宅だったようです。

追伸:流一さんがタグで使っている銀座(木挽町)のビル、今回はUPしてみました。
 
 
 
すいません (東村山のヨウタロウ)
2007-07-05 23:03:05
申し訳ございません。確認ミスで、冒頭は『中のデザインも凝ってた感じですよね・・・・』と書くつもりでした。
 
 
 
>東村山のヨウタロウ様 (流一)
2007-07-06 12:01:02
味の素ビルは近代建築を紹介する一般書にはほとんど掲載されていないようで、あまり注目されなかったビルではないかと思います。改めて自分の写真を見ると、大きさとデザインとのバランスの取れたいいビルだと思います。言われてみると内部の様子はどんなだったのか気になりますね。
 
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