ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




下久呉服店。千代田区神田須田町1-13。1987(昭和62)年12月31日

靖国通りから、かつての交通博物館のほうへ別れるところの角にあった店。現在はビルに替わった。「下久呉服店」をネット検索すると「神田下久」が出る。「登」のマークが同じなのでこの店だろう。竹むらの横を入ったところに移っていた。そこのHPによると、「明治4年の創業で、初代木村久作の出身地にちなんで下総屋としたが、いつのまにか下久と呼ばれるようになった」という。ということは「しもきゅう」と読むのだろうか? 
写真左端に「協和銀行」がある。「そういう銀行があったなあ」という感じだが、神田須田町スクエアビルで、現在は「りそな銀行」。このビルは当ブログの「鷹岡東京支店」の3枚目の写真に「協和銀行」の看板で写っている。協和銀行神田支店は元はスクエアビルの小川町側にあった。下久のすぐ向かいは西定商店(食料品)と第一洋服という店があった。 『東京DOWNTOWN STREET 1980’>千代田区神田須田町』に、その出桁造りの西定商店の1982年1月に撮影された写真が載っている。この写真の後ろの煙突は「富士の湯」。西定商店と第一洋服の間が少しあいているが、そこが銭湯への入り口だったらしい。ぼくは1983年8月にこの付近を歩いて写真を撮っているが、西定商店の写真はないから、その時点ではすでに建物はなくなっていたのかもしれない。



左:まつや。1987(昭和62)年2月1日
上:開進亭。1987(昭和62)年9月13日

まつやは有名な手打ちそばの老舗。ぼくはいまだに入ったことがないが、格別の理由があるわけではなく食事時にこの辺りにいなかっただけである。もりそばの一枚くらいならいつでも腹にはいるとは思うが。
『出会いたい東京の名建築』(三舩泰道、新人物往来社、2007年)によると、建物は1927(昭和2)年に二代目の福島米吉が建て直したもの。店が完成してすぐ、なぜか廃業することにした。当時、須田町で「いせ松」という酒屋を営んでいた小高政吉という人がそれを惜しんでまつやを引き継いだ。建物の外観はほぼ創建時のまま維持されている。二階の欄干は青銅で出来ていて(銅板を貼っていたのだろうか)、出入り口の欄間にはステンドグラスがあったそうだ。特徴的な両側の行燈は昭和35年頃につけたものという。

開進亭と五両はまつやから右へ数軒いった並びにあった。写真からは開進亭の商売が分からない。やはり建物全体を撮らないとだめである。洋食屋だろうか。建物は昭和30年代には中華の五十番だったものだと思う。ぼくがまだ中学生だった頃のことだと思うが、大崎さんに連れられて入ったことがある。なぜそんなことを憶えているのか不思議である。その大崎さんは今頃どこでどうしているのやら。

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コメント
 
 
 
Unknown (min)
2017-09-29 20:06:57
まつやは、あのあたりでとっても素敵な建物です。耐震工事などを施して、保存してもらいたいお店です。
 
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