ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




十仁病院。港区新橋1-12。1987(昭和62)年12月27日

新橋駅銀座口前交差点から見て裏側にあった建物。外堀通りに面したほうにも十仁病院の建物があったが別の建物だと思う。奥ではつながっていたかもしれない。『 廃景録 十仁病院』によれば、1938(昭和13)年の建築。2004(平成17)年4月に解体されている。
十仁美容整形』の「沿革」によると、十仁病院は1931年に御徒町に開院した。この建物は京浜東北線の車窓からも見えていた2階建ての病院だった。1938年に新橋に十仁病院を開設。このとき写真の病院を建てて開院したのだろう。
2005年4月に銀座8丁目の天國ビルへ移転したという。
『廃景録』のk-kai氏が指摘しているように、玄関、その右側、左側、それに2階建て部分のそれぞれで外観がバラバラである。『十仁美容整形』のHPには開業当時の写真が載っているが、それから変わっていないので増築したようでもない。



左:1987(昭和62)年12月27日、右:1992(平成4)年1月3日

左右の写真は撮影日がちょうど4年の間隔で、その間に看板のデザインが変わっている。右写真では壁のタイルが目立たないが、タイルの上からクリーム色に塗ってしまったようだ。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
待ってました大統領!(古い?) (田沼久太郎)
2011-07-30 20:06:36
って叫びたいです^^
ホント『大御所登場』って感じですよね。

大学入試の時、新橋第一ホテルに宿泊し夜の新橋辺りをドキドキしながら探検。
この看板の多さにビックリするとと同時に「さすが大都会東京」と感動。「絶対東京大学に行く!」と改めて誓いました。
まあ「じゅうじん」と読めなかった頭脳ですが・・・・・
 
 
 
>田沼久太郎 (流一)
2011-07-31 09:18:18
「古い?」といえば若い人は使わないような気がします。青大将が若大将に向かって言うような感じかな?
受験する大学が大学なら泊まるホテルも一流ですねえ。
十仁病院の院長は自分の仕事が絶対に世の中の役にたっているのだという自信にあふれていたのだと思います。それが看板の林立になって表れている、ということではないでしょうか。
 
 
 
青春? (定マニア)
2013-09-02 17:57:05
高校生時代は、映画をよく鑑賞しておりました。今はなき上野松竹の1階にあったファーストキッチンで、ハンバーガーとパンプキンパイとシェイクを買って、中で食べながら見ていました。必ず、十仁病院とじゅらくのイラストだけのCMが流れていました。現在建設中の吉池の隣にあった白いレトロなビルに十仁病院がありましたが、どこに移転したのでしょう?
 
 
 
>定マニア様 (流一)
2013-09-04 10:39:40
ありましたねぇ、休憩時間中のCM。今ではテレビのCMと同様なのをやっているようですが。いつ頃から始まったものか、最初はスライドで映画館付近の店を宣伝するようなものだったと思います。十仁病院などはいかにもかかりそうな感じですから、私もそのCMは見ているに違いありません。
「吉池魚の新館」の隣の「十仁美容整形」は戦前の建物だったと思います。写真に撮ろうと思っているだけでグズグズしているうちに消えてしまいました。
 
 
 
撞球場 (ひで爺ィ)
2014-08-16 21:30:02
十仁美容整形
S37~40年頃、御徒町駅そばの十仁ビルにB1~2階に病院が入っておりました。
小生はと言うと、美容整形には関係なく、そのビルの3,4Fにあったビリヤードが目当てで夜な夜な小遣い稼ぎに通いました。
店には5,6人の女性が居たのですがみな十仁病院の看護婦さんのアルバイトでした。(吉池裏のビルに寮が)
院長がたまに突きに来て、ずいぶん横柄な態度で遊んでいましたよ。
当時60才ぐらいに見えましたから今はもう代替わりしているのですよね。
院長院長とずいぶん持ち上げられていましたが。
(誹謗中傷に当たりますか? であれば削除して下さい)
 
 
 
>ひで爺ィ様 (流一)
2014-08-18 10:54:15
ひで爺ィさんが若い頃ですね。夜中にビリヤードをやりにいくなどとは不良ではないですか! なんだかうらやましい。
下町の人間は人を正面からは褒めません。院長への表現は持ち上げている内容ですね。
 
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