ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




旧川崎第百銀行。中央区新川1-3。1986(昭和61)年1月19日

信号の「新川一丁目」交差点は永代通りと箱崎町の湊橋の通りとの交差点。写真右手が茅場町の方向。
戦前の火保図に「川崎第百銀行支店」となっている建物。小さいビルだが見るからに銀行建築と分かる古典様式の外観の建物だ。撮影時は神林印刷倉庫。
ウィキペディアによると、第百銀行は1878(明治11)年創立の第百国立銀行が始まりで、1927(昭和2)年に川崎銀行と合併して川崎第百銀行となる。1936(昭和11)年に第百銀行と改称。1943年に三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に吸収合併された。というのがおおよその経過である。
たぶん三菱銀行に合併された時点で新川の支店は閉鎖されたのだろう。戦後の火保図では「東京洋品衣料KK」。なお、永代通りの永代橋よりに三菱銀行永代橋支店(新川中埜ビル)があった。


旧川崎第百銀行の正面上部
1986(昭和61)年6月8日

追記(2016.05.28)
『日本近代建築総覧』に「松和産業K.K.、新川1-3、建築年=大正11年頃、構造=RC2階建、備考=葉書による回答。旧川崎第百銀行支店と云う」で記載されている。1969年の住宅地図では「日軽ビル(高橋)」。

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コメント
 
 
 
これもすごい! (えいじ)
2007-11-07 23:09:55
私が子供の頃に、自転車でこの物件の前を良く通っていたのですが、いつも不思議でならなかった物件です。私が見ていた頃は、シャッターにスプレーで落書きされていて、流一さんの写真では、その落書きがペンキで塗られているような状態かと思います。(今は、もうこの物件はないと思います。)

川崎系の銀行建築では、新宿物件もあったと思います。
http://www.jmam.net/matikado/bank.html

後は、川崎財閥の当主だった川崎八右衛門(2代目)の六本木5丁目物件(川崎ハウス)があるにはあるのですが、塀しか残っていません。しかも、最近になって、取り壊されてしまったようです。どうも、跡地を森ビルと共同開発するようです。
http://www.nikon-image.com/jpn/enjoy/life/machi/2007/0705_12/pic_0705_15.htm
 
 
 
>えいじ様 (流一)
2007-11-08 12:43:36
早速のコメントありがとうございます。
当物件は平成になって外壁の塗装工事をしています。そのときにファサードの装飾の一切が削られたか塗りこめられたかして、わけのわからないビルに変貌していました。その前の姿を記録できてよかったと思います。変貌した姿も資料として残せばよかったかも。
川崎銀行新宿支店は解体されているようです。ブログ「都市徘徊blog」にレポートされていました。
http://blog.goo.ne.jp/asabata/e/f0ff46c2fde819b43f56b285e1a0357a
 
 
 
そうだったんですか! (えいじ)
2007-11-08 23:11:00
残念です。私は、何だか良く分からないのですが、このビルが好きだったんです。(このビルのみならず、川崎系の銀行建築がとても好きです。)
今後のコレクションを期待してます!
 
 
 
Unknown (floaterswaltz)
2021-02-01 21:57:10
1980年代、当時すでに空き家になっていたこのビルを、アーティストグループが共同で借り受けてました。
グループはクルクルと名乗り、看板に薄巻マークを掲げていました。私は末期の半年間だけ、ここの二階にスタジオを設けて作曲なんぞを行ってました。
どこかにビルの写真が残ってないかと思って検索し、こちらに行き着きました。
 
 
 
Unknown (floaterswaltz)
2021-02-01 22:03:58
>ファサードの装飾の一切が削られたか塗りこめられたかして、わけのわからないビルに変貌...
これは我々が出ていった直後だと思います。
飾りの突起が崩れて歩道に落ち、警察沙汰になったことがありました。それで、塗り固めてしまったのでしょう。
 
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