ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




中央区立明正(めいしょう)小学校・北側の角。中央区新川2-13。1986(昭和61)年6月8日

写真左の道路が新亀島橋からの通りで新川1丁目と2丁目の境になる。



明正小学校・西側の角。1986(昭和61)年6月8日

区立明正小のHPによると、昭和2年3月、霊岸島尋常小学校と越前掘尋常小学校が合併して創立した。大震災後に、この校舎を建てて2校を収容したのだろう。昭和20年3月10日の空襲で講堂を残して全焼し、生徒は八丁堀の京華小に転入している。戦後に再度開校するのは昭和26年9月だ。
昭和20年代の火保図では「明正アパート」の名称になっていて、校庭には5軒の家さえ建っている。学校の北側に隣接する越前掘児童公園にも20戸の家があり「都営住宅」となっている。戦後の住宅政策だろう。



明正小学校。1987(昭和62)年11月20日

現在は新川1・2丁目が通学区域で、昔から変わっていないようだ。統廃合が進む中央区では珍しく、親が学んだ校舎に子供もが通う、ということが実現しているらしい。2007年の児童は136名。

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