ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




三共生興東京支社。日本橋富沢町11。1986(昭和61)年2月9日

西北の角。写真右奥が堀留町、左奥が人形町2丁目の方向。
撮影時は大阪に本社があったようだが、現在はここに建てたサンライズビルに本社を移した。

左:三共生興。1989(平成1)年3月26日
ビルの西北側。3棟の古いビルを三共生興が使っている。写真左方向へ行くと浜町川があった時は千鳥橋を渡った。この辺りの浜町川は戦後の数年で埋め立てられたようだ。
昭和30年頃の火保図では写真左側の2棟が「丸紅ビル、3階建て」なので中央の5階建てのビルは増築として扱っているらしい。写真左の4階部分も増築で、これは見れば分かる。右のタイル張りのビルは火保図で「大日本紡績東京営業所」。
戦前の火保図では「丸紅商店」と「人形町ホテル」だが、タイル張りのビルがその建物かどうかは判断がつかない。
右:三共生興と第一衣料。1987(昭和62)年4月5日
かつて浜町川の河岸の道だったみどり通りの南側からビルの東北面を見ている。写真中央は第一衣料ベビー用品館(旧北越銀行)。


旧大日本紡績。1986(昭和61)年7月6日

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
富沢町 (東京散歩人)
2007-06-06 00:50:42
毎日、覗かせて頂くのが楽しみになっています。
ところで、中段右の写真の白い第一衣料のビルは日本橋アフロディテという結婚式場として今でも残っていますね。
しかし、この界隈はほんの20年前まではこんなにたくさん近代建築が並んでいたんですね。でも、今では残っているのはハリオグラスとこの第一衣料(アフロディテ)だけ。東京の街並みの変化の早さには改めて驚かされます。
 
 
 
>東京散歩人様 (流一)
2007-06-06 12:54:04
コメントをありがとうございます。当ブログを見るのは週一くらいでいいかと思いますが、少なくとも1日おきくらいにはアップしていくつもりです。次回に「日本橋アフロディテ」を。
富沢町や堀留町は仕事以外で人が来るような場所ではないので、街の記録も少ないのかもしれません。
 
 
 
ポスト8 (kzs)
2008-07-07 00:15:41
!?
 
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