蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

皇太子結婚記念日  (bon)

2017-04-10 | 日々雑感、散策、旅行

 今上天皇が皇太子であった時のお話です。

 1959年4月10日に結婚式を挙げられました。 58年前の4月10です。

 前年の11月の宮内庁発表に、『皇太子明仁親王殿下は、正田英三郎氏 長女 美智子嬢と
約されることに決定した』とあり、日本中の大きなニュースとなったのです。 これまで、
皇太子妃は、皇族か五摂家といった特定の華族から選ばれるのが慣わしでありましたが、
この度 始めて平民から妃を迎えられることになったのでした。

 日清製粉グループ本社の創業者・正田貞一郎の三男、正田英三郎氏の長女、美智子さま
が当時の皇太子、明仁親王殿下と結婚されたのです。 正田家は、一族の中から文化勲章
受賞者 2人を出す名家とはいえ華族ではない平民の実業家なんですね。正田家も美智子さ
んも、「家格が違いすぎる」と頑固に拒否されたそうですが、皇太子の「柳こうり一つで
来てください」というお言葉に心を動かされたとありました。当時、美智子さまの皇太子
評「ご清潔で、ご誠実で、ご信頼申し上げられる方」は流行語にもなりました。

 このお二人のご婚約は、多くの国民が支持し、4月10日の結婚、皇太子御成婚パレードが
テレビで生中継されると、沿道には多くの熱狂的な群集が押しかけ、さらにテレビ中継で
日本中がフィーバーし、明るい話題で国中が盛り上がったのでした。

            ご成婚パレード
        (ネット画像より)
 

  余談になりますが、当時はまだモノクロのテレビでしたが、テレビ放送が始まって7年
で受像器はそんなに普及していなく、結構高価なものでしたが、翌年(1960年9月)に
カラーテレビ放送が計画されていて、この、皇太子ご成婚の放送(1959年4月)を見るため
無理して買った大勢の人たちに、問題が残らないように、カラー放送が始まっても、モノ
クロのテレビでも映る(当然モノクロで)、そして、カラーテレビでもモノクロ放送が映る
という難しい技術問題がクリアされたのでした。
  カラーテレビの計画は数年前から知らされており、各地の街角などで、実験放送があり
ましたが、見上げるブラウン管のカラー映像は、画面の周辺の色味が変化したりして、全体
としてはまだまだ・・という感じでしたね。

  そんな晴れやかな、結婚式が4/10でしたから、丁度、私が大学に入学する、入学式が
この10日だったのですが、当時の大学総長が、正田栄三郎氏(美智子さまの父)の実兄で、
正田健次郎氏(数学者、文化勲章受章)であったために、この時の入学式が数日変更されて
実施されたのでした。

  ま、個人的には、こんな想い出もありますが、30年後の1989年に天皇に即位され、年号が
平成に変わり、すでに在位29年を経るのです。昨年8月には『お気持ち』が述べられ、退位
について、現在、有識者会議において鋭意検討が進められています。 「有識者会議は今月
13日に報告書の概要、21日に最終報告書を公表する予定で、政府は退位を可能にする特例
法案に報告書の内容を反映させ、骨子を大型連休前の今月下旬に与野党に提示後、連休明け
に法案を国会に提出する方針だ。」と報じられています。 

 

 

 

 

 

 


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