老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

世捨て人の視点で社会参加!

2020-05-13 20:35:39 | 災害
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と棲(すみか)と、又かくの如し。」

ご存じ、「方丈記」の書き出しである。

コロナ騒動が深刻になるにつれ、この名文に込められた鴨長明の「無常観」や「歴史感覚」が見直されている。

「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」

誰の言葉かははっきりしないが、物欲を捨て去って物事にあたらなければならない、という教え。日本人の心の奥底には、物欲(我欲)を捨て去った【無私の心】や人生は有限であるという【無常観】があるように思われる。

上の言葉で「起きて半畳寝て一畳」はよく語られるが、【天下とっても二合半】はあまり語られない。

たとえ、天下を取っても、一度に「二合半」以上のご飯を食べるのは難しい、という意で、転じてむやみやたらに「欲をかいて、無暗に権力を振るう」ものではない。所詮、一人の人間のできる事は、限られている。だから、おのれを捨て去り、多くの人の力を結集し、物事をなさなければならない、と言う事も言外に教えている。

コロナ騒ぎは、人間の命には限りのある事を身に染みて教えている。岡江久美子さんの死は、人の世の「儚さ」をしみじみと教えてくれる。

そもそも、「儚」いという漢字は、人偏に夢と書く。この漢字に人間という生き物の宿命が凝縮されているともいえる。

鴨長明が生きた時代は、現代とよく似た「天変地異」に苦しめられた時代だった。

長明が一生のうちに遭った天変地異は以下の通り。
・安元の大火
・治承の辻風
・福原遷都
・養和の飢饉
・元暦の大地震

このように、平安時代は一見華やかな時代に見えるが、実はそうではない。様々な「天変地異」に苦しめられ、人の死が身近な時代だった。

平安京のメインストリートである朱雀大路の南端にあったのが、羅城門(羅生門)。この門は、「現世」と「異界」を分かつ門だった。平安京の住民たちは、この門の外は、魑魅魍魎が跋扈する「異界」だと考えていた。

その為、羅城門には、数々の奇怪な逸話が残されている。今昔物語に書かれた「ある盗人が、門の上で死人の髪を盗んでいる老婆を見つけ、その老婆の衣を奪って去る」逸話から、芥川龍之介の名作『羅生門』は、生まれた。

そして、この芥川の「羅生門」と「藪の中」を原作にして作られた黒沢映画が、京マチ子・三船敏郎主演の映画「羅生門」である。
※「羅生門」 ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/羅生門_(1950年の映画)

この映画で描かれた「羅生門」や平安京の人々の暮らしは、かなり事実に近いものだったと想像される。

もともと、平安京は、【天変地異】に悩まされただけでなく、【群盗】に悩まされ続けた。平安京創設当初より、治安の悪さは、半端なものではなかった。

ここで言う、「群盗」とは何か。一口で言えば、武装した「強盗集団」だと考えれば良い。現在から想像するのは難しいが、リオ・オリンピックの時、路上でバイクに乗った強盗が頻発していたが、あの強盗連中が組織化されて平安京を荒らしていたと考えれば、実態に近いかもしれない。

彼らは、平安京の近くの村々などに住み、略奪のために都に通勤していたという笑えない話もある。(京都の誕生 桃崎有一郎 文芸春秋新書)

当然、朝廷も治安維持に懸命になり、そのための部署として「検非違使」が設けられた。彼らは少数精鋭の軍事エリート集団で、当初はかなり成果を上げた。

しかし、如何せん「群盗」の数が多すぎた。衆寡敵せず。ついには「検非違使」だけでは手に負えなくなり、地方武士を北面の武士として登用。彼らの武力を利用して、「群盗」討伐を行った。こうして地方武士が中央に集まり始め、じょじょにその力を発揮し始めた。

これが武士台頭の理由である。その中で頭角を現したのが、源氏と平氏と言う事になる。

ここから、現代風な教訓を読み取るとするならば、「武士の台頭」は、ローマ帝国末期、傭兵として雇われたゲルマン人が台頭し、最後には、ローマ帝国が滅ぼされたのと類似している。

戦前の日本も、軍隊に対するシビリアン・コントロールが緩むとともに、陸軍の暴走が止められず、太平洋戦争に突入した。

現在の安倍政権も自衛隊の復権にシャカリキになっている。防衛庁は防衛省になり、軍の論理が徐々に政治の論理を席巻しつつある。平安京の貴族支配の崩壊や戦前の政治支配の崩壊と酷似した状況になりつつある、と考えるのが至当。

鴨長明が生きた時代は、このような時代だった。大火、地震、政変(遷都)に加えて、治安の悪さ。さらに疫病までも加わっていた。鴨長明の無常観は、当時の「末法思想」と「浄土思想」に影響されている。

源信(恵心僧都)が浄土思想を広めた時代は10世紀。疫病で多くの人が死んでいた。文字通り、路上に死体が転がっていた時代である。

浄土思想の普及は、疫病の蔓延と深く関わっていた。文字通り【欣求浄土 厭離穢土】の時代だったのである。当時の庶民は、この世は地獄の現実〈穢土〉を生き続けねばならなかった。だから、源信が書いた「往生要集」は、「厭離穢土」と「欣求浄土」から書きはじめられている。
※仏教ウエブ講座
https://true-buddhism.com/history/genshin/

余談を書くと、源信は天台宗の僧侶。彼が終生住んだのは、叡山の「横川」。わたしも行った事があるが、非常に険しい道を歩かねばならない。現在でもそうだが、叡山の「横川」は、伝統的に「千日回峰」の行者が住んでいる場所。叡山では特別な場所だと考えられている。

鴨長明はそういう世の中で世捨て人として生きたように思われるが、意外とそうではない。鴨長明は高位の貴族ではない。それでも晩年に「方丈」の庵室に逃げ込む程度の財を持ちえた出自だった。(庶民の多くはその日の暮らしさえ危うい。)しかし、当時の貴族社会からすれば、いわば「負け組」。
※復元 方丈の庵室 
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4572

市古貞次氏によれば、「音楽と和歌の才に恵まれ、これを自負し、家名、家職に固執する、片意地な偏狭な男が、自己の体験を、隠者の悟りを開いたかの如き自分を通して語っているのであって、・・・・読者は、生半可な悟りに対するもどかしさを感ぜざるを得ない・・・・長明は結局悟りきれず、安心立命の境界に至り得ない男であって・・・・したがってこの作品に思想的な深みを求めるのは困難である」
(岩波文庫 新訂 方丈記 解説)

似たような評価だが、多少異なる評価を堀田善衛もしている。

堀田善衛は、暗く絶望的な戦時下の東京、その最も悲惨な昭和20年3月の大空襲のただなかで方丈記を暗記するまで読み込んだ結論として、以下のように書いている。

・・・・「大風、火災、飢え、地震などの災殃の描写が、実に、読む方としては凄然とさせられるほどの的確さをそなえていることに深くうたれるからでもあった。またさらにもう一つ、この戦禍の先の方にある筈のもの、前章及び前々章にしるした新たなる日本についての期待の感及びそのようなものは多分ありえないのではないかという絶望の感、そのような、いわば政治的、社会的転変についても示唆してくれるものがあるように思ったからでもあった。政治的、社会的転変についての示唆とは、つまり一つの歴史感覚、歴史観ということでもある。」・・・・ちくま文庫 堀田善衞「方丈記私記」

実は、小説家平野啓一郎も内田正樹(うちだ・まさき)氏とのインタビューで同様な評価をしている。https://himejob.jp/job-news/3336/

・・「最近あらためて読んだのは鴨長明の『方丈記』です。火事・竜巻・飢饉・地震という不幸のオンパレードで人が死に続け、結局は「社会の安定を目指さない」という、近年提唱されてきた「持続可能な社会」とは正反対の認識に達している。その結論に全て同意というわけではなく、隠遁でよいのか、ということも含めて、災害が頻発する時代の日本で生きることを考えるうえで、興味深い一冊だと思います。」・・・

実は、コロナ後の世界を考える時、理屈ではなく、堀田善衛や平野啓一郎氏のような小説家の感性が感じ取った【歴史感覚】は貴重である。

上で述べたように、鴨長明が生きてきた社会は、火事・竜巻・飢饉・地震などの「天変地異」の連続。政治は安定せず、治安は最低。生きるためには、他者をも殺さなければならないという地獄の社会。

この地獄絵図のような社会を生き抜くために、市古氏がいうような「安心立命」を求めて、完全な「世捨て人」になり切ることは難しい、と言わざるを得ない。

どんなに世間から隠遁したつもりでも、本人が好むと好まざるとにかかわらず、世間の混乱に巻き込まれるのが、鴨長明が生きていた時代だった。

堀田善衛氏の生きた戦時中の社会もそう。世間から隠遁したつもりでも、空から爆弾が降ってくる。いくら隠遁したつもりでも、食事はしなければならない。コメはない。肉、魚はもちろん、野菜もないとなれば、餓死するつもりがなければ、食料調達に走らなければならない。

こう考えてみると、隠遁生活をし、「安心立命」を求め「悟りの境地」に入るなどという話は、如何に安定した社会が前提かと言う事が良く分かる。騒然とした社会で隠遁し、悟りを求めるなどというのは、如何にも考えにくい。市古氏の評価は、この視点が欠落している。

鴨長明は、こういう時代を生き抜くだけに十分な娑婆っ気も客気も持っていた。これが市古氏から言わせれば、所詮偽物だという評価になり、堀田氏から見れば、次に来る社会を予感している「歴史感覚」の持ち主だという評価になるのだろう。

コロナ後の社会を考える時、わたしも鴨長明の「歴史感覚」は重要だと考えている。わたしの時代感覚、時代予測は、【日本沈没】などで書いたので繰り返さないが、現在眼前で繰り広げられている政治狂騒曲(自公維新)を見れば、未来への【希望】などは皆無に近いと思う。

私も「悟りの境地」などという高尚な心境には程遠い俗な人間なので、今の現実に激しく怒っている。

しかし、現実の自分は、「世捨て人」の境遇とほとんど変わらない。私などの言説が社会に影響を及ぼすなどと言う事は、幻想に過ぎない。

だからこそ、「世捨て人」の感覚が重要になる、という逆説にかけてみたい。鴨長明がいかに俗っぽい思想の持主だろうが、彼の「方丈記」に書かれたドキュメンタリーに似た災害の記述が色あせる事はない。こういうものだけが、後世に生き残る。この「記述」は彼が「世捨て人」の境遇だったからこそ、書きえたものだ。

わたしたちは「老人党」を自称してきた。今こそ、「世捨て人」の感覚で、コロナ騒動を生き抜き、記録し、批判し尽くさなければならない。

「世捨て人」だからこそ、あらゆる物事を冷静に客観的に見る事ができる。わたしたちは、その強みを生かして、自らに鞭打って、社会参加を続けなければならない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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