老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

甦った死文「疑わしきは罰せず」

2010-12-11 17:05:05 | 民主主義・人権
既に報じられているように、老夫婦殺人の容疑で起訴され、死刑を求刑されていた被告人に対して、昨日鹿児島地裁で無罪の判決が下された。

この判決の最大の意義は単なる無罪の判決ではなく、「疑わしきは被告人の利益」と言う刑事裁判の原則を、文言として判決文で示したことであろう。

これまで世間ではメディアも含めて「疑わしきは被告人の利益」ということはよく言われて来たが、法廷では半死の状態に置かれて居たのではなかろうか。それが一裁判官の英知と良心と勇気で甦ったといっても過言ではないであろう。

尤もその背景は、大阪地検特捜部の冤罪事件や、最近裁判で無罪を勝ち取った被告人等の「検察・警察が描く冤罪ストーリを密室で強要された」と言うような証言が元になり、国民にも検察への不信が高まっていたことも、重要な要素であろう。

しかし、この当たり前の判決をメディアが今回特筆大書しなければ成らないことが、むしろ異常であり、それ自体「疑わしきは被告人の利益」という刑事裁判の鉄則がこれまで法廷で有名無実となっていた、何よりの証左ではなかろうか。

そして裁判員のコメントも朝日新聞に紹介されているが、その中に『―遺族が意見陳述で「極刑にしてほしい」』と述べたがとの問いに

2番「こういう判決を残念に思っていると思う」

3番「遺族はつらいだろうが、私たちは証拠に基づいて考えなければならない。中立な立場で話し合った」

8番「自分がもし遺族なら何とも言えない気持ちだと思うが、これが裁判員に選ばれた僕らの宿命、立場なので、そう理解してほしい」と紹介されている。
http://www.asahi.com/national/update/1210/SEB201012100030.html

このことも一面では「疑わしきは罰せず」という文言が形骸化していることを表しているようにも思える。確かに遺族の感情を思えば理解できるコメントであるが、裁判員が自責の念に陥る必要はないと思う。

これは警察や検察が杜撰な捜査と調査で送検、起訴した結果であり、逆に警察と検察の安易な捜査と取り調べの責任が問われる問題ではなかろうか。全面可視化すれば今回のような安易な捜査や取り調べもできなくなり、もっと厳密な証拠探しが行われるのようになるのではなかろうか。何れにしろ今回の判決の意義は大きい。また憲法76条3項に準じている裁判官も少なくないということではなかろうか。

憲法第76条3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年

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