老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

基準緩和は復旧対策のすり替えでは

2011-05-01 13:35:02 | 原発
菅政権の内閣官房参与(放射線安全学の専門家、小佐古敏荘東大大学院教授)が菅政権の原発事故対応を批判して辞任した。アサヒコムによれば辞任の最大の理由について、『特に小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝(ひばく)量20ミリシーベルトという基準を「とんでもなく高い数値。年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」と厳しく批判した』と報じている。

http://www.asahi.com/politics/update/0430/TKY201104300115.html

小佐古東大大学院教授の辞任は、学者として立派だと思う。菅内閣はどうして年間被曝量の基準を20ミリシーベルトに緩和してまで復旧開校を急ぐのか、おそらく福島原発の収束の行程が見通せない中で、学校がいつまでも休校では授業の遅れを取り戻せなくなるという、文科省の焦りもあるだろう。

しかし子供は放射能の影響を受けて甲状腺癌にかかりやすいと言われている。基準を緩和して開校しても将来に禍根を残すことにも成りかねず、親は子供が将来甲状腺癌を発症しないかも心配だろう。

ここは子供の将来の健康と安全ために、最悪1年間休校して人生1年を棒に振ったとしても、背に腹は代えられないと説くのも政治の在り方ではないか。事件が発生してから基準を甘くするのは政治不信を招く元であり、復旧対策のすり替え、誤魔化しと言われても仕方ない。菅首相の思いつき、行き当たりばったり政策がここでも露呈したようである。

たまたま福島の小学校で校庭の土壌を重機で剥がしている映像をニュースで見て、適切な対処法と思っていたら、基準が緩和されたことを聞いて「何じゃこれは」と思った次第である。

土壌を剥がす必要があるのか、剥がせば緩和した20ミリシーベルトにおさまるのか、また1ミリ若しくは20ミリシーベルトと土壌剥がしの因果関係はどうなり、安全性の増大はどうなのか、新たな疑問を保護者に説明しないことには、開校できないのではあるまいか。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔の美少年

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1 コメント

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no will (noga)
2011-05-01 14:19:02
日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も行き当たりばったりになる。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。
災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。作る暇などないからである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812




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