老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

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苦難から生まれる【豊饒の言語】!権力欲から生まれる【空虚の言語】!沖縄「慰霊の日」に思う

2018-06-24 11:12:47 | 沖縄
6月23日は「沖縄慰霊の日。摩文の丘は、朝早くから鎮魂の祈りに包まれた。

今年の式典での翁長知事の挨拶。ガン手術を終えたばかりの知事の表情はさすがにやつれて見えた。しかし、辺野古基地建設反対の信念は、微動だにしていなかった。自らの命の火を燃やし尽くしても、沖縄県民の未来のために基地建設に反対するという翁長知事の言葉には、知事の魂がこもっていた。まさに、「言霊」と呼ぶにふさわしい演説だった。

それに比べて安倍首相の挨拶の薄ぺらっで凡庸な事。これでは、沖縄県民の心に届くはずがないと思われる。

今回の「慰霊の日」で最も感動的だったのは、沖縄県浦添市立港川中学校3年 相良倫子さんが朗読した「生きる」という詩だった。沖縄県平和祈念資料館が募集した「児童・生徒の平和メッセージ」の最優秀賞受賞作品。中学教師だったわたしの経験から見ても、これだけの「詩」を中学生が書いた、というのはにわかにはと信じられなかった。

沖縄タイムスが「「悲惨な戦争によって奪われた『生きる』ことへの思いは、過去から現在、そして未来・世界へと時間と国境を超えて発信された平和へのメッセージであり、その重厚さが審査員をうならせた」と書いていたが、むべなるかなと思う。

*****

生きる

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。

私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。

大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、
宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。

*****

この詩の朗読を聞いた時、そしてこの詩を正確に読んだ時、不覚にも涙があふれた。「負うた子に教えられ」とはよく言ったもので、相良倫子さんの瑞々しく、素直な感性から紡ぎだされた言葉がまっすぐわたしの心に突き刺さってきた。

それだけではない。彼女の物事をまっすぐ捉える感性が、大方の日本人が忘れてしまった「平凡な真実」の大切さを指摘していた。

*****
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
*****

審査員たちが、その「重厚さ」にうなったのも無理はない。安倍首相がどう聞いたかは知らないが、「戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当は無いことを/平和とは、あたり前に生きること/その命を精一杯輝かせて生きることだということを/」という言葉に込められた思想の深さに驚かされる。

戦争大好き人間が増殖している本土の政治家や人々に、彼女の深さは理解できないだろう。

人は困難や苦難の中で鍛えられる。「艱難汝を玉にする」という仏教の言葉があるが、相良さんの感性はそれを思い起こされる。

しかも相良倫子さん自身が体験したものではない戦争の悲惨さや、その後の苦難を生き抜いてきた沖縄の人々の思いを、見事に引き継いでいる。彼女の想像力や感性の素晴らしさもあるが、沖縄県民の戦争体験を引き継ごうという強い意志があったからこそ、このような素晴らしい後継者が生まれたのであろう。

TBSの金平記者が。「この国の指導者の言葉が荒廃している」と嘆いていたが、今回の沖縄「慰霊の日」での翁長知事の挨拶、相良倫子さんの朗読に象徴される「豊饒の言語」に比べて安倍首相の貧しく貧相な「空虚な言語」の虚々しい事。これが現在の日本の置かれている状況だと見なければならない。

「豊饒な言語」の持ち主たちが圧迫され、「空虚な言語」の持ち主たちが権力を振るう。ファッシズム政治とはそういうものだ、と考えなくてはならない。

※相良倫子さんの朗読は以下で聞くことができます。
https://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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本土と沖縄の違い (竹内春一)
2018-06-24 21:55:50
本土日本人は国家に捨てられていると思っていない。年金を削られても、学費を値上げされても、消費税を取られても、保育園に入れなくても、収入が上がらなくても、国家が悪いとは思わない。
資産利益率という数値がある。10億円のマンションを建てたとすると、年間4%の収入が入ってくる。4%は4000千万円である。我が家の駐車場も、大して営業もしないのに4%の収入があり、大変ありがたい。トヨタの収入は2.5兆円もあるが、資産にたいする割合はやはり4%である。伊藤忠も資産利益率は4%強である。外国でも同じ。5百年前から世界的に変わらない。
なのに、なぜ日本の銀行だけ20年も利息がゼロなのか。この二十年、日本人の預金は、ほとんど銀行の金庫の中に眠ったままのように見えてしまう。

しかし、世界のカネの動きを見ていると、資産に対して40%の収益を上げている投資会社もある。日本の投資会社の中にも2017年、資産に対して40%の収益を上げている会社もある。それは言い換えれば経済が成長しているということである。

ここの企業を見ると、資産の4%成長している。ただ大手銀行のmさんだけは、資産に対して0.3%以下の利益しかない。だから日本人顧客に0。001%の利息しか払えない。国家による謀略の疑いがある。

沖縄の日本人は国家により捨てられた、強烈な過去がある。しかし、本土の日本人は真綿で首を締められている。本土日本人から見て沖縄の日本人は偉大な人に見えてしまう。

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