6月23日の「サロン・ド・朔」では、昭島市のこども食堂「あきしまこどもクッキング」代表の小川真一さんに「こども食堂ってなんだろう」のテーマでお話をしていただきました。
「こども食堂」については、貧困問題のひとつの切り口として、最近マスコミでもしばしば取り上げられていますが、マスコミの報じない側面を含め、現場のお話しを直接伺うのは初めてでした。
まず、「こども食堂」とは、「貧困」「孤食」に陥った子供達に食事を通じて社会との繋がりを持ってもらう支援をする場とのこと。
開設に当たっては、対象者の選定、場所の選定、行政との関わり、資金調達、食材の入手法、働き手の確保など、様々な問題を解決しなければなりませんが、中でも対象となる子供達にどうやって来てもらうかが、最初の難問だということです。
例えば人口13万の昭島市では、特定寡婦控除の対象(子供がいる一人親で年収が500万円以下)は約1500人。その殆どが年収150万円以下(半数近くは55万円以下)とのことで、一人親家庭の厳しい現実が存在しています。
しかし、日常生活の中で貧困は見えづらく、また貧困家庭として参加を働きかけられることに、親は拒絶反応があると言います(それはそうですよね)。制度や一律のシステムでは解決が難しいこの問題に対し、「あきしまこどもクッキング」では、スタッフたちが、対象の家庭一軒一軒に足を運んで信頼を築き上げることから始めているそうです。
食材はJAやセカンドハーベストなどの協力を得ており、米や野菜は比較的手に入り易いが、調味料などの入手は難しいとのこと。また、親が料理をする時間がとれず魚を食べさせる機会がないせいか、魚料理は親も子供も食べたがらない傾向があるそうです。「こども食堂」が「食育」にまで踏み込むかも議論が分かれるとのことで、貧困が齎す問題の根の深さ、複雑さが感じられました。
場所の選定や資金援助など、行政との関わりが必要な部分も多いけれど、行政任せだと「公平の原則」「責任の所在」などで、実体に即した臨機応変な対応ができ難い。民・民の活動に行政のサポートがあるというのが一番望ましい、というのが小川さんの意見です。「あきしまこどもクッキング」は、元々パパの子育てサークル「昭島パパネット」のパパたちが立ち上げた、民間主体の活動だそうです。
乗り越えなければならない困難は色々ある一方で、参加している子供達が後から参加する子供達に手の洗い方や三角巾の被り方を教えるなど、自発的な行動が出てきているという話や、お金が無くて修学旅行への参加を諦めていた高校生が当日「とにかく学校に行ってみなさい」とスタッフのおばさん達に背中を押されて学校に行った結果、教頭先生の立替えによって無事修学旅行に行けたというエピソードなど、社会で孤立しがちな子供達にとって「こども食堂」は社会との繋がりを習得する場にもなっているそうです。
小川さんは、「こども食堂」とは、自分にとっては「子供達が置かれている状態を知る場所」であり、参加者にとっては「質の良い人間関係をフラットに築く場所」だと言います。(素敵ですね!)
強いものを優遇し弱いものは切り捨てる政治が続き、希望を持ち辛い昨今ですが、そんな状況下でも若い世代の中に自主的、自律的な共生の意識が生まれ、育ち、「こども食堂」のような、あるいは、災害被災地へのボランティア活動のような、実践的な活動が、社会のあちこちに生まれ根付いている事実をみると、日本社会も捨てたものではないという気がしてきます。
日頃私たちは「政治は何をしてくれるのか」という基準で、政党や政治家を選択しようとしがちですが、自分たち自身が社会を担う主役であることを意識し、政治や社会を下から作り上げていくという視点を持つと、今までと違った風景が見えてくるかもしれません。
今度の参院選にあたっては、各政党が提示する政策の評価もさることながら、「私たちはどういう社会を作っていくつもりか」の観点でもう一度捉え直してみたい、との感想を持ちました。
「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
「こども食堂」については、貧困問題のひとつの切り口として、最近マスコミでもしばしば取り上げられていますが、マスコミの報じない側面を含め、現場のお話しを直接伺うのは初めてでした。
まず、「こども食堂」とは、「貧困」「孤食」に陥った子供達に食事を通じて社会との繋がりを持ってもらう支援をする場とのこと。
開設に当たっては、対象者の選定、場所の選定、行政との関わり、資金調達、食材の入手法、働き手の確保など、様々な問題を解決しなければなりませんが、中でも対象となる子供達にどうやって来てもらうかが、最初の難問だということです。
例えば人口13万の昭島市では、特定寡婦控除の対象(子供がいる一人親で年収が500万円以下)は約1500人。その殆どが年収150万円以下(半数近くは55万円以下)とのことで、一人親家庭の厳しい現実が存在しています。
しかし、日常生活の中で貧困は見えづらく、また貧困家庭として参加を働きかけられることに、親は拒絶反応があると言います(それはそうですよね)。制度や一律のシステムでは解決が難しいこの問題に対し、「あきしまこどもクッキング」では、スタッフたちが、対象の家庭一軒一軒に足を運んで信頼を築き上げることから始めているそうです。
食材はJAやセカンドハーベストなどの協力を得ており、米や野菜は比較的手に入り易いが、調味料などの入手は難しいとのこと。また、親が料理をする時間がとれず魚を食べさせる機会がないせいか、魚料理は親も子供も食べたがらない傾向があるそうです。「こども食堂」が「食育」にまで踏み込むかも議論が分かれるとのことで、貧困が齎す問題の根の深さ、複雑さが感じられました。
場所の選定や資金援助など、行政との関わりが必要な部分も多いけれど、行政任せだと「公平の原則」「責任の所在」などで、実体に即した臨機応変な対応ができ難い。民・民の活動に行政のサポートがあるというのが一番望ましい、というのが小川さんの意見です。「あきしまこどもクッキング」は、元々パパの子育てサークル「昭島パパネット」のパパたちが立ち上げた、民間主体の活動だそうです。
乗り越えなければならない困難は色々ある一方で、参加している子供達が後から参加する子供達に手の洗い方や三角巾の被り方を教えるなど、自発的な行動が出てきているという話や、お金が無くて修学旅行への参加を諦めていた高校生が当日「とにかく学校に行ってみなさい」とスタッフのおばさん達に背中を押されて学校に行った結果、教頭先生の立替えによって無事修学旅行に行けたというエピソードなど、社会で孤立しがちな子供達にとって「こども食堂」は社会との繋がりを習得する場にもなっているそうです。
小川さんは、「こども食堂」とは、自分にとっては「子供達が置かれている状態を知る場所」であり、参加者にとっては「質の良い人間関係をフラットに築く場所」だと言います。(素敵ですね!)
強いものを優遇し弱いものは切り捨てる政治が続き、希望を持ち辛い昨今ですが、そんな状況下でも若い世代の中に自主的、自律的な共生の意識が生まれ、育ち、「こども食堂」のような、あるいは、災害被災地へのボランティア活動のような、実践的な活動が、社会のあちこちに生まれ根付いている事実をみると、日本社会も捨てたものではないという気がしてきます。
日頃私たちは「政治は何をしてくれるのか」という基準で、政党や政治家を選択しようとしがちですが、自分たち自身が社会を担う主役であることを意識し、政治や社会を下から作り上げていくという視点を持つと、今までと違った風景が見えてくるかもしれません。
今度の参院選にあたっては、各政党が提示する政策の評価もさることながら、「私たちはどういう社会を作っていくつもりか」の観点でもう一度捉え直してみたい、との感想を持ちました。
「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子