三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

第五回 多磨農協脅迫事件発生(1)

2016-09-02 23:50:34 | 日記
1968年7月25日(木曜日)、8時10分頃、白糸台の民家に、脅迫電話。
三億円事件犯人、お宅から向こうに行ったところに興亜土木がある。新道の近くに赤丸のついた石がある。その下に手紙があるから、それを多磨農協に持って行ってくれ。
民家の主人、何を馬鹿なことを言っているんだ。私は今から勤めに行くので、そんなヒマはない。
三億円事件犯人、じゃあ、どんなことが起こっても知らないぞ。
というやりとり。(むらき本、90頁)
その後、すぐに、民家の主人は、警察に通報している。
これでは、苦労して、脅迫状を、隠した意味がない。
多磨農協に脅迫状は届けられず、直接、警察に、行ってしまうからだ。
どうして、こうなってしまったのだろう。
(2013年7月記)

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第五回 多磨農協脅迫事件 脅迫状について(4)

2016-09-02 06:10:00 | 日記
そして、いつものように、警察には通報するな、ということである。
新しい要素があるとすれば、警察に通報してもいいが、それは、12時過ぎにしろ、ということ。
この時間は、おそらく、脅迫状指定ルート、新宿まで行って、帰ってきたぐらいの時間、なのだろう。
もっとも、とくに、警察に通報すれば、ということは、書いていないので、これでは、警察に通報してくれ、と言っているようなものだが。
ということで、五回続いた、多磨農協脅迫事件も、最後となる。
最後は、火薬まで、送付したわけだが。
その火薬、たとえ、線香花火を、ほぐして、取り出しただけの、火薬だとしても、三億円事件直前、日本信託への、脅迫状、同じような、爆破予告と、話は、つながっているように思える。
(2013年7月記)

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第五回 多磨農協脅迫事件 脅迫状について(3)

2016-09-02 04:19:16 | 日記
「今度、失敗したら二人か三人か殺してやる。」ということだが、これは、とくに、多磨農協の職員に対して、ではない。
無差別、ということだ。
そして、この無差別殺人もまた、公表することによって、多磨農協の企業(農協は企業ではなく協同組合なのだが)イメージを損なわさせる、ということだ。
つまり、人質は、一般市民、ということになる。直接的には、多磨農協の企業イメージなのだが。
さらに、続けて、それを、可能にするのが、わざわざ、同封してきた、火薬、なのだ。
この火薬、どのようなものなのだろう。
宮川本、104頁によると、「塩素酸塩爆薬」ということだ。一方、むらき本、91頁では、「塩素酸カリウム、木炭末、硝石、アルミニウム」、としている。
「塩素酸塩爆薬」とは、塩素酸カリウムに可燃物を混合したもの、ということなので、むらき本の内容と、同じなのだろう。
それで、その火薬、どこから、入手したのか、というと、むらき本では、「線香花火」ということだ。
アルミニウムは、線香花火の、火花に、なるわけで、本当である可能性がある。
他にあるとすれば、三億円事件犯人が、犯行時に、使用した、発炎筒だ。
いずれにしろ、爆発物を、開発しているような感じではない。
(2013年7月記)

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