100回を記念する日本泌尿器科学会の総会が先週(4/21-4/24)横浜で開催され、創立100周年記念講演として京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授が呼ばれました。既に試験管を振る仕事よりも研究所のマネージメントと講演活動の方が本業になりつつあるのかも知れませんが、学会抄録には学問的な内容しか書かれていなかったので眠くなりそうな講演を予想していたのですが、期待に反した引き込まれるような内容だったので備忘録としてブログに記しておきます。
無限に近く分裂増殖できてしかも種々の細胞に分化することができる細胞を幹細胞stem cellと言いますが、絨毛を含む全ての細胞に分化できるtotipotent-から内中外胚葉という身体を形成する全ての細胞に分化できるpluripotent-、胚葉が限られるmultipotent-、oligopotent-、単一の組織にしか分化できないunipotent-、まで幹細胞にはいくつかの階層があります。これらのうちマウスの受精卵から杯盤の状態になったものから一部細胞を取りだして自然界にはないpluripotent stem cellにしたものをembryonic stem cell(ES細胞)と言います。しかしマウスの細胞ではヒトに使えないためヒト受精卵から作られたES細胞がhuman embryonic stem cellです。しかしこれもヒト受精卵を使うということは倫理的に明らかに問題があり、医療への応用はできません。そこでヒトの分化した体細胞を脱分化させてpluripotent stem cellの状態に誘導したものがinduced pluripotent stem cell (iPS細胞)ということになります。
山中教授はまずマウス線維芽細胞からOct3/4、Sox8、c—Myc、Klf4といった遺伝子を用いてレトロウイルス法でiPS細胞を作りました。次いでヒト線維芽細胞からもiPS細胞を作ったことで臨床応用への道が一気に開けたのです。実際の臨床応用には腫瘍化の抑制(c-Mycを使わないキメラ細胞で克服の可能性)や、組織適合性の克服(HLAホモドナーからのiPS細胞バンクで80%の日本人に適応可能に)、適確な標的組織への分化誘導などの課題がありますが、iPS細胞研究所の300人体制で10年間の内には臨床応用にこぎ着けたいという目標だそうです。
上記の内容はiPS細胞についての学問的な内容ですが、面白かったのは山中先生の研究人生が決して順風満帆ではなく、むしろ不遇な時代が殆どでわずかなチャンスから大きな夢をつかんでいったというくだりです。神戸大学の医学部を卒業して整形外科の医局に入局するもあまり手術が得意でなく、「じゃまなか(山中)、レジスタント(アシスタントでなく)するな」などと言われて基礎医学に進むことを決意して大阪市立大学の研究科に行き、米国グラッドストーン研究所に留学した所でマウスES細胞に出会います。帰国して薬理学教室に入ってマウスES細胞の研究を続けるもののマウスの世話に追われるばかりで臨床の役に立たない研究に嫌気がさし、周りからも「もっと将来性のある研究を」と言われて殆ど鬱状態になって研究を辞めてまた整形外科をやろうかとしていた時に「ヒトES細胞樹立」の報告が出て考え直し、奈良先端科学技術大学遺伝子研究センターに就職、そこでやる気のある修士課程の学生さんと一緒に研究したことでiPS細胞の樹立につながったということでした。
世の中、効なり名を遂げて今では涼しげな風貌で肩で風を切って歩いているように見える人でも不遇な下積み時代や人知れぬ苦労が必ずあるもので、山中先生は学究肌でずっと研究一筋できた気難しい感じの科学者かと想像していたので何とも人間的な普通の面を持った医師であると知って(本当はすごく偉いと思いますが)感心しました。かく言う私も大した人生ではありませんが、10年前、そのまた10年前にそれぞれ10年先の自分が予想できたかというと全く考えもしなかった状況と場所にいるというのが現実です。基本となる部分は変らなくても将来がどのようになるか判らない所が人生の面白い所だし、一種の冒険だとずっと思っていましたので山中教授の人生譚には共感する所も多く思わず身を乗り出して聞いてしまいました。こういった話しは高校生位の人達にも大いに聞いて欲しいし、小さくまとまった卒の無い人間に若くしてなってしまわず、若い時は天衣無縫な夢を遠慮なく持って勉強して欲しいと思いました。
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