ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ヒミズ

2012年07月07日 | 映画

 

昨日の記事のアクセス数が、突然いつもより二割アップほどしたのは、偏にヘルタースケルターのせいであると思う。タイムリーな話題であったようだ。内容はそれらアクセスした人の期待を完全に裏切るものだったが、兎に角アクセス数を上げたいと考えるならば、タイムリーな話題を取り上げることが一番であるということは分かった。しかもそれは芸能関係が一番良いようだ。

と、そんなこととは関係なく映画ヒミズについて。この映画、確かゲロメッティYがやられた(つまり感動してた)作品である。監督は個人的な鬼門である(つまり何処が良いのかさっぱりな)園子温。主演の二人も何処かの映画賞を受賞したくらいに、ある程度話題にもなった作品である。過去の作品、例えば愛のむきだし冷たい熱帯魚とどちらも良いとは思えない人間が何を今更ヒミズなのかというと、Yが一体何処にやられたのかを確かめたいという気持ちがあったからだ。

まず主役の人物設定について。染谷将太演ずる中学生(には見えないが)だが、感情を表さない、無表情な、何を考えてるのか分からない、且つ協調性の無い生徒として描かれている。そして突然感情を爆発させる、どこか危ないとおもわせる危険性のある人間であることを臭わす。これは、所謂通り魔殺人犯の人間性を体現させているのだろう。が、この染谷将太演ずる人物設定、あまりにも既視感が強い。つまり同時期のほかの映画、嘘つきみーくんと壊れたまーちゃんアントキノイノチとこの作品、どれも同じような人物として描かれているのだ。最早類型化しているように感じられるのだが。

あと、これはあまりにもあざといと感じたのは、東北の津波後の風景をそのまま使った演出。登場人物の一人が被害者という設定なのだが、実際の東北の風景もまるでセットのようだし、被害者自身の描き方もちょっと戯画化していて、そうなると本物を使う意味はどこにあるのかと更なる疑問が湧く。極端なところに本質が現れる、という意図があるのかどうかは関係なく、どうもその過剰な演出にあざとさしか感じられない。結果、単純に長いの一言。

で問題のYが何処にやられたかというのだが、タイトルのヒミズ(モグラ科のヒミズという哺乳類)が示してるように(映画でも暗喩となっている)、日に当たることなく地中の限られた空間でもがく主人公に自分自身を投影してしまった結果なのだろうと思った。これは、予想通り。

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