ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

悲しきマウス

2011年01月31日 | Weblog

 

今月始めに買い換えた無線のマウス、調子がわるいので電池切れかと思い新しい電池に換えようとしたら、これがまた難儀で、電池の入れる部分の開け方が分からず(説明書はとうに処分)、引っ張ったりいろいろいじくったがどうにもお手上げで、ネットで調べようと見ると、同じような人間はやはりいて、教えて何とかに開け方を聞いてたりしている、が、当たり前だがメーカーによって仕組みは違い自分の参考になるようなものが見当たらない。そこで、他のブログを覗いてみるとちょっとヒントになるものがあり、それを参考に怪しい部分を押したりしてると、突然ポコっと開いた。何故こんな簡単なものでここまで苦労しなくてはならないのだという先程までの気持ちが、この瞬間消え去った。そこには光の道が。眼前の海が開けたモーゼも、きっと同じような気持ちであったに違いない。早速新しいエネループを入れる。これでまた軽快なマウスがもどることだろう、と思ったが、あろうことかカーソルが全く反応しなくなってしまった。オイオイそれはないぞ。電池の入れ方が分からないときに、無理やり引っ張ったのが悪かったのか。それにしてもあまりに早すぎないか。こういうのを早逝マウスという、ってそういう話ではないのである。

 

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アジアカップ決勝 パンプローナ

2011年01月30日 | Weblog

 

 

それにしても、ザックの采配は的確である。そして、よくあのオーストラリアの攻撃に耐えた。長友のスタミナゴリラぶりにも脱帽だが、選手全体も試合を通じて進歩したのではないか。考えてみると、前回のアジアカップでもオーストラリアを阻止したのは日本だし、向こうにとって日本は、ゲンの悪い天敵の位置づけとなるかもしれない。あの堅い守り(アジアの中では断トツ)があるにも関わらず、あんなきれいなボレーシュート決めらてしまう皮肉。これもサッカーである。

と、如何にも全部見たような書き方だが、実は、BS2の「パンプローナの牛追い祭り」のドキュメンタリーを見てるほうが多かったのだ。サッカーは、時に全部見るとぐったりしてしまう。こんな時間帯の今回のようなケースは、一番良くない条件が揃っている。間違いなく、興奮して寝られなくなるだろう。解説によって、実際は危機でもないのに危機扱いとなり必要以上に疲れてしまうという事情もあり、結果、こんな見方となってしまうのだ。まあ、そのお陰で「パンプローナの牛追い祭り」のことも分かったし、今回に関しては、全てにおいて目出度し目出度しであった。

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コルニション シティ・オブ・ゴッド

2011年01月29日 | 映画

 

 

コルニッションではなく、コルニションだった。何の話かというと、小胡瓜の酢漬け(ピクルス)のことだ。今瓶を見たらCORNICHONSとあった。

というわけで、今日はアジアカップの決勝だ。それにしても、嘗てこれほど騒がれたアジアカップはあっただろうか。前回優勝した中国大会の時はこれほどではなかった(中国の反日応援は凄かったが)。今回は、まるでWCのような感じさえする。これは去年のWCの成績のせいか、そしてその記憶がまだ鮮明に残ってるということなのだろうか。照準はWCなので無理することはないと思うが、ここまで来たらオーストラリアには勝ってほしい。

レンタルでキャスリン・ビグローの「ハートロッカー」を見る。しかし大して面白くなかった。手持ちカメラの不安定な動きで、ドキュメンタリー的現場の緊迫感を演出するとか、色んな工夫をしているのは分かるが、映画としての魅力は感じなかった。半分は寝てしまった。

それより面白かったのはブラジル映画の「シティ.オブ.ゴッド」。実話に基づいた、スラムの少年ギャングの話だが、まあそれにしても子供の時から銃でバンバン人を殺す。こんな人殺しが日常の世界で暮らしていたら、基本的な倫理など植えつけられるわけがないとそのひどさに呆れるが、実際ここまでなのだろうかと少し疑問にも感じる。しかし、ロナウジーニョやアドリアーノがサッカー選手でなかったら、ヤクの売人かギャングであったという話からすると、強ち大袈裟ではないのかもしれない。今現在、メキシコが麻薬戦争真っ只中で何万という人が殺されていたりと、こんな世界が常に存在しているというのは間違いなさそうだ。それにしても、救いのない世界でした。

 

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日本庭園

2011年01月28日 | 芸術

 

 

香川骨折で今期絶望。危惧してたことが現実となってしまった、うーん、残念。

BSで、BBCの「世界の庭園」という番組をやっていて、今回は京都特集であった。色んなお寺の庭を紹介していたが、いくつか見覚えがあるところが出てきた。番組では、枯山水や石庭を主に取り上げ、その禅的な思想背景を探るという、如何にも外人が好みそうな作りだったが、我々が(私がか)庭を見るときにはそんなことはあまり考えない。ぱっとみて、なかなかいい感じだ、というような感覚的な捉え方しかしない。既に、日本的文化(自然観など)が刷り込まれているので、違和感なく親しむことが出来る。

で、その見覚えある庭園だが、番組でじっくり取り上げた二つの庭園が正にそれだったので何だか運命的なものを感じてしまった(大袈裟)。一つは、大徳寺の「龍源院」。もう一つは「東福寺」。「龍源院」は寒い時期で(確か雪が舞っていた)、近くの漬物屋(丹波という店)に来たが、まだ開店前で時間があり、じゃあ大徳寺にでも行くかということで、偶然その中で選んだのが「龍源院」だったのだ。偶然だったがこれが正解だった。こじんまりした石庭と、室内の襖には龍の絵(多分狩野派)があり落ち着いた空間で、しかも人っ子一人いなく、たまに僧が縁側を会釈しながら通るだけで、結局小一時間ほど過ごした。そんなわけでしっかりと記憶されたところとなった。

もう一つの「東福寺」は、紅葉の時期に行ったのだが、紅葉に関してはさしたる印象はないのだが(見事は見事)あの庭園は、これまたしっかりと記憶されている。奥のほうだと思ったが、庭石が市松模様となっていて、それが徐々に配置がまばらになり周りの苔に融け込むような造りとなった庭である。これを見たとき、明らかに他にはない革新性を感じたが(しかも自然と調和した)、この番組を見てその謎が解けた。70年ほど前、ある庭師が、ありきたりのものではない庭を造るのを依頼され造ったものだったのだ。当時は、相当批判されたらしい、伝統的では無いという理由で。しかしそのモダン性は、例えば和服に見られるデザインのモダン性にも通じるるところで、元々日本人が持っている美意識に基づくものであるのだ(造る人のセンス次第だが)。結局良いものは滅びない。

と、BBCによってそんな事実を知りました。

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酒屋談義

2011年01月27日 | Weblog

 

 

「Vin de pays d’oc」でも買おうと思い、いつもの酒屋「アドヴァンス村井」に行く。と、待ってましたとばかりに、主人が政治の話をふってくる。「それにしてもここまで民主党がひどいとは思ってなかったですよ」と、去年の暮れと同じフレーズから始まった。それを合図に、話はどんどんと発展していく。答えるこちらにも問題があるが、それにしても今回はちょっと長すぎた。寒い店内で一時間半ほどだった。お陰で、聞こうと思った、以前購入したカヴァの酸味に付いての肝心なことを忘れてしまった。それに、すっかり冷えてしまった。せめて、足元の暖房だけは用意してほしい、と思った。帰りがけ、目についたコルニッションの瓶詰めも購入(安かったので)。

その後、スノッブなM氏に頼まれたものを買いに輸入食品屋に。予定通りに、粒マスタードと紅茶を購入(ここも安いので)。と、先ほどの酒屋談義を思い出す。そこで、「何でも安けりゃあ良いってものではない、質の高いものを適正価格で購入することは必要である」、何て尤もらしいことを喋ったばかりであったのだ。実際の行動が、斯くの如く結局は値段のみか、と自問自答しながら清算したが、安いと言っても、牛丼が二百何十円とかの世界とは違いこれは適正価格の範囲だ、と自分を納得させる。酒屋の主人もそんなことを言いながら、私はユニクロしか買わないと自慢気に言っていた。それぞれ言ってることと実際の行動は矛盾があるようで。

 

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理想の蕎麦屋

2011年01月25日 | Weblog

 

 

今年初のゲロゲロ少年Y登場。いつものように、松本の蕎麦屋で一杯引っ掛けてのお出ましだ。暫し地デジ化の対応について話す。Yは、サッカー専門チャンネルが見たいだけだし、既にBSアンテナも取り付けテレビもデジタルと、こちらと違って万全の態勢であった。厭に素早い対応だ。地デジ化されると、自分用の馬鹿重いブラウン管テレビ(お下がり)の扱いが問題になるのだが、DVD専用にするには、その体積があまりに大きすぎる。昔は一人で持てないようなこんな重いテレビが普通だったのだが、とんでもないような古い話に聞こえるから不思議である。それにしてもよくこんな非常識なものを作ってたものである(買う方も買う方だが)。

ところでYは、東京に行くとその都度新しい蕎麦屋に行くらしい。十数年前も、何処そこの蕎麦が良いなどと言っていた時期があったが、今またそんなことをやってるのかと聞いてみると、どうもその目的が微妙に変化しているようであった。嘗ては、蕎麦そのものの味を求めていたように見えたが、今の目的は、如何にまったりとつまみ(気の利いた)を食べて飲んでいられるかということのようである。判断基準は、雰囲気に風情があり(多分江戸情緒)、しかも客が少なく、営業時間も通しでやってるかということらしい。お前は池波正太郎か!の一言もかけたくなるが、本人は本気だ。しかし、そんな店は昔からの老舗にあるかも知れないが、新しい店では望めないだろうに、ここがYの本領発揮。勝手に自分に都合よいイメージを抱いては裏切られの連続で、挙句に、良い店無いですよの一言である。当たり前田のクラッカーだ。まあ好きでやってるので、勝手にしやがれ、の話であるが。

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ベトナムの真実 世界の果て

2011年01月24日 | Weblog

 

 

BSハイビジョンの「ベトナムの真実」(1975年)というドキュメンタリーを見だしたら、結局最後まで見てしまった。アメリカが声高に唱える正義の胡散臭さが要注意であることは今も変わりがないが、戦争に突入するときの状況、威勢の良い意見に同調し勢い付く普通の人間の怖さは、日本でも尖閣諸島問題の時の、主に40代50代のやたらと威勢の良かった姿の中にも見えた。あの時は、大勢がナショナリズムに傾倒したら、反対意見などこうやって一気に無力化されるのだと、戦前の日本を想像しながら思ったものだ。

そのナショナリズムだが、今チュニジアで起こってる出来事は、決して民主化されバラ色の未来に通じているものではないと思う。ナショナリズムがイスラム原理主義に吸収されて、今まで力で押さえて安定していた国家が、一気に不安定になる危険性があるのではないか。それが、エジプト更に他のアラブ諸国に波及したら、それこそ世界の大混乱だ。一部に富が集中する市場原理を中心としたグローバリズムは、イスラム原理主義を活性化するという皮肉。根底にあるのは、やはり貧困ということになるのだろうか。

と、「ベトナムの真実」から、思わず、世界の果ての(全ては地球の中心だが)チュニジアまでたどり着いてしまった。

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蔦の街 松本

2011年01月23日 | トマソン

 

名もなき通りを歩いていると、葉を落として壁にへばりついている蔦を発見。「蔦の街」松本は冬でも健在であった。しかもこのへばりついた蔦も、よく見ればなかなか風情がある。夏場のジャングルのような蔦はそれはそれで迫力があるが、こんなものの哀れを感じさせる蔦も捨てがたい。小さな宇宙を形成している。

 


 

そして暫く行くって発見したのがこれ。あまりの寒さに室内に避難した蔦である。こんな過保護な蔦まである街松本、一体いくつの顔を持っているのだろうか。

 

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アジアカップ BSチューナー

2011年01月22日 | Weblog

 

 

しかし疲れる試合をやってくれます日本代表。嘗ての代表だと完全に負けパターンなのだが、一人退場でも最後に勝つというのは、地力が付いてきたということなのだろう。香川もファーストタッチの絶妙さを取り戻したようでなによりでした。嘗て岡ちゃんが提唱していた接近展開...は、香川岡崎コンビであればもう少し可能性が増したであろうに、と今は思う。そして本田だが、全体ではどうも動きがなく彼のところで停滞する傾向にある。プレースタイルがフィジカルの強い俊輔と言った感じだが、攻撃の手詰まりの原因になってたんじゃしょうが無い(と、本田に関してはついつい批判的になってしまう)。本人は今のスタイルで良いと思ってるのだろうか。あと失点に関しては全て吉田が絡んでいるが、これも経験、くよくよせずにステップアップの糧とすべし、だ。

と今回は、この前BSチューナーを無料配布され(有線の)それを通して見てるので初めてのBSデジタルだった(接続はすんなりいかなかったが)。確かに鮮明でくっきりしてるが、いつも思うが、別にサッカー観るのに画質がどうのとは求めない。実は、映画でもそうなのだ。よくデジタルを見るとアナログでは見られないという人がいるが(本当か?)、私に関しては全くそんなことはなくアナログでも充分。ただBSだと、BSハイビジョンなどの他の番組が見られるのが一番のポイント。タレント番組が少ないのが嬉しい。

 

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ミニシアター系の最期

2011年01月21日 | 映画

 

 

今や映画といえばシネコンの時代。人気作品中心なので、当然、質の高いというか所謂作家性を強く押し出したような作品はかからない。そういう作品はどういった所で上映されるかというと、ミニシアター系の映画館である。ところが、そういったミニシアター系映画館も、遂に終焉の時を迎えるらしい。嘗てよく利用した「シネヴィヴァン」などはとうに無くなっているが、シネセゾンなども閉館を避けられないようなのだ。結局は、市場原理が優先されるという、どの分野でも直面している状況が映画の世界にも押し寄せてきたわけだ。「売れる物=良いもの」という図式は成り立たないのだが、そう思う人も今や絶滅危惧種ということなのだろうか。

で、その人気作品というのがこれまた問題だ。テレビで宣伝して、テレビと同じようなひどいものをそのまま映画として上映して人気を博すというパターンで、ひどいものが量産され始めたのだが、それは「踊る大...」辺りが先駆けか。あんなひどいものを喜んで見ている人が多いところを見ると、これが現実だと認めないわけにはいかない。定型物語を、漫画のように分り易く説明し漫画のように大袈裟に表現する世界に、何ら映画的な瞬間を感じないのだが、人はその分り易さを求めているのだろう、としか理解出来ない。そして、兎に角笑い泣けたり出来れば即ち感動なのだ。これはディズニーで売ってる「感動」と全く変わりがない。つまり「感動」という商品がまずあり、消費者はその「感動」を買い予定通り「感動」を味わう、そして予定通り満足という世界なのだ。本来人それぞれであろう感動の世界が、商品化され、各自の想像力にとって代ってしまったのだ。今は想像力というものは必要ない世の中というより、あるとかえって邪魔なのだ。

と、思えてくるような昨今の文化的貧困状況である。

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ジャズ談義

2011年01月20日 | 音楽

 

 

本格派のナポリピザを食べるために「フォルマッジョ」に。前回がほぼ一年前、随分久しぶりだ。ここは不定期に休むので、行ってみるまでは安心出来ない。下手をすると、雪に閉ざされている可能性もあるが、今回は大丈夫だった。ちょうど主人が入り口のところにいて挨拶をかわす。店内にはジャズボーカルが流れていた。これはここの主人(シェフ)の趣味である。いつものように、マルゲリータを食べ、お腹に優しいという自家製ハーブティーを飲みながら、薪ストーブにあたってまったりする。途端に眠気が襲ってくる。そこにかかってきたのはチェット・ベイカー。もう眠れと言ってるようなものだ。一曲ごとに奏者ヴォーカルが変わるので、どうやらオムニバス盤(て言うのか?)のようだ。

それより、始めの方でかかっていた曲が気になっていたので、誰が歌っていたのかをシェフに聞いてみた。ブライアン・フェリーの「アバロン」だ。シェフはよく分からず解説書を持ってきて調べた。何せ五枚組のCDだ。しかし結局分からず解説書をこちらに手渡した。テーマごとの五枚組で、その中の女性ボーカルの一枚をじっくり確認していくと「曲=ブライアン・フェリー」が見つかった。ところがそれは「アバロン」ではなく「More than this」だった。変な歌い方だったので勘違いしてしまった(ということにしておこう)。歌っていたのはノラ・ジョーンズだった。なるほどね、と暫しシェフとジャズ談義。

それにしてもこのDeja vu感覚は何なのだ。そうだ、先週も同じようなことを「クチーナにし村」でやっていたのだった。全く、何処に行っても同じことをしてやがる、と苦笑するしかなかった。

 

 

 

 

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アジアカップ 安DVD

2011年01月18日 | 映画

 

 

今朝の最低気温はマイナス3.1度、一昨日の最高気温より高いのに何故か暖かくも感じない。どうも体感温度と実際の気温の乖離が甚だしい。背中用に新たに足した電気あんかが効くわけである。

アジアカップ対サウジアラビア、5-0とはまたよく取ったものだ。岡崎の動きは確かに良いのだが、それよりどうしても香川が気になる。ドイツでの香川だったら決めていただろうシュートチャンスも、トラップが悪く決められなかった。大丈夫かい?

錦織は全豪で初勝利。ポテンシャルは松岡以上というのは間違いないが、後は怪我をしないフィジカルの強さ。

そう言えば、去年の暮、安DVDシリーズでラオール.ウォルシュを二枚購入した。「壮烈第七騎兵隊」と「遠い太鼓」。「壮烈第七騎兵隊」はエロール.フリン、「遠い太鼓」はゲーリー・クーパーと、どちらもスター映画で、内容もインディアンとの戦いと似通っている。格から言えばゲーリー・クーパーだと思うが、エロール.フリンも当時は結構な人気だったのではないか、と名前しか知らない人間は想像している。どちらが良かったかというと知らないエロール.フリンの「壮烈第七騎兵隊」の方。結構長い作品だったが演出の歯切れが良く、馬の走る姿など迫力がありかなり魅力的であった。一方の「遠い太鼓」は、いやにあっさり纏めてあって、イーストウッドの「インビクタス」が物足りないと思ったのと同じような印象を持った。見所は、敵のインディアンの酋長が「アンソニー・クイン」であったところか。

 

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真冬日

2011年01月17日 | Weblog

 

 

昨日の予想最低気温はほぼ当たり。しかも実際は予想を更に上回り、マイナス3.4度。一日中製氷機の中にいるようなものだった。そして本日の最低気温はマイナス10.1度。何とか10度の壁は超えた。しかし、その超え方は気持ち程度。昔は寒いとなるとマイナス15度はいったものだが、それに比べれば全然大したことがない(が寒いことは寒いのだ)。

寝る時の暖は、湯たんぽ一個でとっているが、流石に部屋が冷え切っている最近は(室内の水が氷る断熱効果のない寒い部屋)背中辺りに寒さを感じて起きてしまう。湯たんぽ以外に何か違う措置を施そうか、と寒さに負け考えてる自分がいる。素直に敗北宣言をするべきか。

スノッブなM氏が、貰いもののドイツパンをお裾分けしてくれた。くるみの入ったやつだ。この手の、ずっしりしてちょっとぼそぼそしたパンは、単独で食べてもあまり美味いとは思わないが、チーズと一緒に食べると美味いと思うから不思議だ。その合わせるチーズも、ウォッシュ系やシェーブルといった癖の強い物ほどよいのだが、問題は、今現在その手のチーズがないということだ。どうせならチーズも一緒に、とM氏にリクエストしたいところである。

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タイカレー

2011年01月16日 | Weblog

 

 

本日、予想最高気温はマイナス3度、結果は如何に。

先日、相当久しぶりに冷凍のカレーを食べた。貰いもののビーフカレーで、一応化学調味をつかってないというもので、味付けはインド系ではなくタイ系。好みからすると、このタイ系はあまり好きではない。一番の原因はココナッツミルクなのだが、どうも、あの甘ったるい香りが好きになれないのだ。今回のカレーも、やはりあまり美味しいとは思われなかった。カレーはインド系に限る、というのは揺るがない。と言っても、食べるのは年に五六回ぐらいのものだ。

T君は、予約の団体客が来るのが予定より2時間も遅れ(連絡なし)、しかも帰ったのが夜中の2時頃という、あまりに無体な振る舞いだったのですっかりお疲れであった。その矛先は、コーディネーター気取りのある人物に向かっていたのだが、どうもその人物は、そういう役でもないのにやりたがりで、しかも顔はツッコむが最後まできちんと責任は取らないという典型のようなのだ。何処にもこういうタイプはいるものである。迷惑している人間は他にもいるようだから、誰かビシッと言えばいいのにと思うが、これまたなかなかそういう人間が現れない。これもまた現実である。

 

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ヤブ2号 アジアカップ

2011年01月15日 | サッカー

 

 

ビオトープの「ヤブ2号」(ヤブヤンマのヤゴ)もすんなり見つかり(冬場は動きが緩慢なので)、無事ビオトープアネックスに移動完了。これでどんなに寒くてもヤブ兄弟は大丈夫だ。ついでにヒメダカも一匹、あまりに氷の下で寒そうだったので移動。そのヒメダカを移動のために柄杓に入れ暫くすると、ちらちらと氷の結晶ができ始めそれが電灯に照らされ煌きだした。煌きの中を泳ぐヒメダカ、「アンダルシアの犬」にでも使えそうなワンシーンであった。

アジアカップ「韓国対オーストラリア」、1-1の同点になったのは覚えているが、結局そのまま引き分けだったようだ。こんなのを見てるから、昼間疲れしまうのだ。それにしても日本では、香川が今ひとつなのが気になる。ブンデスリーガのドルトムント対レーバークーゼンは香川がいなくて3-1で勝っているようだし、アジアカップで調子を崩しレギュラー落ち、なんてことにならないだろうね。長期的に見ればこれからが正念場なので、本来アジアカップに呼ばなくてもいいように思う、長友、ウッチーも。

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