ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

2月28日

2013年02月28日 | Weblog

 

3月を目前にしたら、やっと春の気配を感じる天気となった。

YUTO NAGATOMOは半月版損傷で、復帰は早くて一ヶ月ということだが、怪我がきっかけに一気に駄目になる選手が多いからちょっと心配だ。日本ではACLの一次リーグが始まり、勝ったのは柏だけと今一つの結果。そんな中テレビでは、全局挙げて野球のWBCを盛り上げようといやに頑張っている。今回は前回以上の力の入れ具合に見える。WBCという大会そのもののしょぼさを認識されないように必死にやっているのだろう。

今回のエジプトの気球事故でもそうだったが、遺族の関係者にどういう人だったかとインタビューするのは果たして必要なのだろうか。例えばここで、全くいいことを言わなかったら間違いなく使わないだろう。結局、望んでいる話を流したいだけのシナリオ通りのインタビューなのだ。そんな分かりきったものに労力を使うより、ジャーナリストとしてやるべきことはあるだろうにといつも思う(ない物ねだりか)。

 

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いぬ ライフ.オブ.パイ

2013年02月26日 | 映画

 

ビートルズマニアのS氏から貰った「いぬ」のDVDを観る。S氏に感想を聞くと、どうも気に入らなかったようで今一の反応だった。そもそもS氏はこの映画、友人に薦められて買ったのだった。その友人がこれは面白いからと言ったのでそれなりに期待したのだろうが、観方は人それぞれなので、他人に薦める場合は、相手の基準がどの辺りにあるのかを知らないと得てしてこんなことになるのである。

観てみると、S氏が今一と受け取った理由はよく分かった。フィルムノワールの第一人者ジャン=ピエール.メルビルの作品「いぬ」が、ハリウッド映画に慣らされた人間からすると、退屈、分かりにくい映画と評価されるだろうことは容易に想像がつくからだ(一般論として)。犯罪物だが、兎に角画面は暗い(フィルムノワールたる所以、独特な世界)、派手なアクションはない、会話が多い(しかも人間関係が分かりにくい)と三拍子そろっている。しかし、この点こそが逆にこの映画の魅力でもあるのだ。ハリウッド映画に慣らされるとこの魅力を理解することはできないのではないか。頭の中がディズニーになっているので単純な物語しか理解できないのではと想像する。S氏の場合は、映画そのものをあまり観てないのでまだこれからという段階なのかもしれない。

そんなハリウッドではアカデミー賞が発表された。殆ど興味はないのだが、監督賞の「ライフ.オブ.パイ」は見ていた。受賞する側からすれば多分名誉なのだろうが、どうもハリウッドの華やかな世界は憧れと言うより虚飾の世界としか見られない。そんなことはどうでもいいが、その「ライフ.オブ.パイ」という映画どうだったかというと、CGは本当よく出来ているという感想しかないのだ。トラと漂流する羽目になった少年(これがπという名)の物語なのだが、そのトラとの関わりの中に、宗教的な思索のようなものを盛り込み映画の厚みにしたいという意図は分かった。が、取って付けたようにしか感じられない(ハリウッド映画特有の)。映画としては間違いなく「いぬ」>>「ライフ.オブ.パイ」であった。

 

 

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リュック復活版

2013年02月25日 | Weblog

 

今朝も寒かった(いい加減聞き飽きたかと思うが)。マイナス12度以下だったが、いつも感じるのだが、体感温度は下手をするとマイナス2~3度のほうが低かったりするのだ。寒気を感じるのはそっちの方が圧倒的に多いような気がする。これは気温が高い方が体は油断するからかだろうか。

新たにリュックを購入したことによって他人のリュックに関心が向かうようになった。T君はカリマーの25Lだった。そしてMちゃん(人妻)が持ってるものはノースフェイスの昔流行ったタイプの復刻版。見たことないような変なもわもわが付いていて、ノースフェイクじゃないかと疑念が湧くようなタイプで、まあ珍しいものだった。この復刻版、確かに昔よく見たもので、それが今やレトロなデイパックとして人気があるらしいのだ。ここでふと思い出した。そう言えばこのタイプ持っていたはずだと。早速、ここに突っ込んでいたはずだと思われるところを探すと、それはすんなり出てきた。Wild gooseというブランド。考えてみるとこれを買ったのは30年以上前の話だ。レトロ感が程よいわけである。そこで、これがあったのだったら新しいリュック買う必要なかったのでは、という思いが脳裏を横切ったのだが、それに関しては、無理やり、新しいのは本格派の山でも使えるしっかりしたものだからと振り払った。つまり物が違うと。

で、そのレトロなデイパックなのだが、何十年も寝かしたおかげで汚れが凄いことになっていた。そこで丸洗いを試みたら、汚くない程度にきれいになった。本格派ではないものの素材がしっかりしているので、洗ってもダメージを受けることもなく復活したのだ。復刻版ではなく復活版だ。この手のものは、思わぬものが再度脚光を浴びることがあるので面白い。唯唯古臭くなるものと復活するもの、その違いはどこにあるのか。一つ言えることは、シンプルなものは復活し易いということである。

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大自然の芸術作品 のような

2013年02月24日 | 芸術

 

大自然の芸術作品という言い方をされる写真が今日のような写真、だと思うが、大自然の方からすると何も芸術作品になろうと思ってこうなってるわけではない。人間が勝手にそう思ってるだけのことである。しかもそれは、勝手に思ってる人間がそれをそう捉えて発表し、そう思って見る人の間でのみ成立するという、極小世界の出来事に過ぎない。まず切り取る方の恣意性があり、見るほうは大体タイトルで(今回であれば例えば永遠でもいい)芸術の準備をする。いずれにしろ、両者芸術的というステレオタイプを共有して幸せな関係が成立するわけである。

 

 

と、そんなことを考えての今日の写真だが、これは田んぼに積もった雪が風などの影響でこうなったと思われる(大自然的ではないが)、砂丘の風紋などと同じ類のものだ。こういうものを見て面白いと思うのは間違いなく人間だけだ。さらにこれが美しいと感じたならば、それなりの美の基準があるということになる。そもそも美しいとはどういうことか、などというのはこの際置いといて、こんな日日の美の体験を積み重ねて、それを抽象化して表現できるのが芸術家なのかもしれないが、そんなことを考えようが考えまいが、こういう風景はただいつものように存在しているのである。

 

 

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足元の傑作

2013年02月23日 | 芸術

 

最近は、歩いていると視線が地面にいくことが多い。決してうつむいてるわけではないが、その目はまるで獲物を探すハンターの目のようになっている、なわけはないが、傍目からすると、十分怪しい人間とは映っているかもしれない(かもではなく多分映ってる)。結果的には獲物を狙っていると言えるのだが、よくしたもので必ず何かしら収穫はある。しかし傑作はそう簡単に見つかるわけではない。が、今回久しぶりにその傑作と出会ったのだ。それは、この寒い今年の天気ならではの傑作だった。足元にこんなものがあるとは気付かずに、唯唯踏みつけられているのだが、その踏みつけられた結果がこの作品を生んだのだ。駅前なので、一体何人がこの作品製作に関わったかは不明。しかしきっちり足跡は残している。2点目のほうがより完成度は高い、と思う。

 

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川行脚

2013年02月22日 | Weblog

 

全国的に寒いのでここだけの話ではないが、これだけ寒いと(今朝もマイナス10度以下)、本当に春は来るのだろうかと思ってしまう。そんな寒い中、例のコロンビアの長靴を履いて川のゴミ取りに行った。殆どボランティアのような活動だ。外気がマイナスの中小さな用水路を遡って大きな川の(もう渓流に近い)取水口まで、ゴミがつかえてないかと点検し、空き缶などがあれば回収するのだ。ゴム手袋をはめた手にはゴミ袋をぶら下げ、約往復一キロほどの川行脚だ。

小さな用水路は水深10センチ程度でゴミも大してなく問題ない。ところが最後の取水口はそういうわけにはいかなかった。枝や枯れ草などのゴミが入り込まないように格子状の鉄製のフィルターを置いてあるのだが、そこにたっぷりと枯れ草などが絡まっていた。渓流のようなと言ったように、流れは結構速く、しかも深さは30センチ以上。コロンビアの長靴の出番である。ゆっくり足をしのばせると、ぎりぎり大丈夫のようだ。片足だけを入れ引っかかったゴミを取り除いていくと、いきなりいやーな感触が。作業をしていくうちに水が浸入したのだった。長靴も常に垂直になってるわけではないから。垂直でギリギリだったからこうなるわな、と後悔。それよりきつかったのは、水の冷たさ。ゴム手袋では冷たさを全く防げない。作業をしてくうちに完全に手は麻痺し、兎に角痛い。そして足元は気持ち悪い。

ということで、散々な川行脚となってしまった。むしろ川修行と言った方がいいくらいだ。

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リュック考

2013年02月21日 | Weblog

 

普段歩くときに使ってるのはショルダーバッグだが(斜めがけ)、これは歩く度に動いて邪魔になることも多い。まして自転車では、明らかに邪魔だ。これを解消するにはデイパックのようなリュックが一番だ。ということは分かっていたが、今までは何とかショルダーバッグでこなしていた。しかし、山歩き(登山ではなくハイキング程度の)には向いてないしと、今回改めてリュックを購入することとした。

早速ネットで検索。街歩きにも使うので如何にも登山用と言う、中高年グループが背負ってるようなものは避けたい。かと言って、20前後の連中が背負ってるような腰でぶらぶらしてるようなカジュアルタイプは、全く機能的ではなくお呼びでない。色々見ていくと、大きさが20Lと丁度で、しかもデザインがチェック柄という、お馴染みのノースフェイクではない本物の方のものが目に止まった。これだったら街歩きにも全く違和感ない。お値段はそれなりにするがノースフェイクじゃないから仕方がない。これを買うことにした。

現物は、見た目以上にしっかりした作りで、流石アウトドアブランド。機能的でもあるし容量も文句なし。早速背負ってみる。安定感がカジュアルリュックと較べると段違いである。これだったら自転車も全く問題ない。何故今まで使わなかったかと思わずにはいられなかった。あと思わぬ利点も発見した。寒い中背負ってると背中が守られて結構暖かいということ。風が強いときは更にその効果を発揮する。歩き易いし思った以上に良いものだった。

とこんなことをT君に言うと、T君は僕も持ってますと言う。見せてもらうとそれはカリマーというちゃんとしたブランドのものだった(この辺りの情報にも最近精通してきた)。T君がこんなアウトドアブランドのものを持ってること自体が驚きだったが、どうやら嘗て石井スポーツの知り合いに買わされたものらしかった。そうでもなければ買わないわなあ。大きさもこちらのものより一回り大きい25L。そう言えばT君、三四年前に八ヶ岳登山をしたがこれを持って行ったのか。東京に行くときも背負ってくらしいが、これだったらそう大袈裟でもなく問題なさそう(私のリュックには負けるが)。

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レスリング問題

2013年02月19日 | Weblog

 

レスリングがオリンピックから外されそうということでマスコミは大騒ぎだが、これもどっちでもいいと言えばどっちでもいい問題だ。唯、何故レスリングがと考えるといろいろ不思議な点がある。例えば、外すのはレスリングよりはテコンドーの方が先だろうと。歴史、浸透度から言えばどう考えてもレスリングに分があると思うのだが(女子は除く)。結局これは不思議でもなんでもなく、政治力と金の力が働いたかどうかだけが問題だったのだ。レスリングもロシアマネー(石油関係の)が注がれていたら絶対こんなことにはなっていない。残念ながらロシアマネーはサッカーにしか興味がなかったわけだ。

基本的に格闘技系は全てオリンピックから外せばいいと思うが(理由は審判の判定という曖昧な基準に負っているから)、ここはやはりオリンピックそのものの意味を考え直した方がいいのではないか。今や根本原理が市場原理であるスポーツ界と言うのはどうなんだ。そして、オリンピックが絶対的価値のように思われている状況にも疑問がある。日本を元気にするとか言ってるが、一時の熱狂の後に待っているのは放心ではないのか。お金を使うのならオリンピックのためよりはまず復興に、そして持続する元気のためにはスポーツよりは理系に金を使え(技術立国のため)、と思うのだ。スポーツに使うのは、一般国民が普段から自由に遊べるスポーツ環境のために。

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単純思考人間

2013年02月18日 | Weblog

 

一昨日は最高気温がマイナス3度、昨日は最低気温がマイナス14度、そして今日は雪降り。まるで北海道のような天気が続いております。

知り合いに(消極的関わりの)物事を兎に角単純化して理解したい人間がいる。勝手に自分だけ分かったつもりになっている分には良いが、それを他人に当てはめようとし、単純化した理屈に沿った質問などして分類しようとしたりするときは相当鬱陶しい存在となる。二元論的思考とでも言えばいいか、こちらとしては血液型信者と同じようにある種の思考停止であると思っている。

基本的には会いたくもないのだが、この前何故か姿を現し、またしょうもない質問を投げかけてきた。その内容は、本を読むときは音読派か速読派かというものだった。そんなものどっちでもいいのだが、彼にとっては重要らしいのだ。本当はそれ以前に、速読か音読かと意識して本を読む人間はあまりいないだろうという事実に思考が至らないという根本的な問題がある。が、彼にとっては人間はこのどっちかに分類されるものらしい。聞いてるとどうも速読に対する疑問があるようなのだ。彼としては、速読は胡散臭い、内容なんて理解できるはずはないということを特に言いたいようなのだ。

そこで、そもそも本を理解するということはどういうことなのかと聞いてみた。こういう抽象的な質問をすると答えられないのを知って質問する人間も(私です)いやらしいが、案の定答えに詰まった。筋書きを理解して内容に納得した状態が多分理解した状態であるということを言いたいのだろうが(とこちらで説明)、例えばカフカの小説などは筋書きを理解した所でその良さはまったく分からない。まして音読速読などというのは意味をなさない。しいて言えば、その小説世界を体験できるか出来ないかが重要なポイントである、などと煙に巻いて終了しようとした。全く何を言ってるのかという顔をしていたが、こういうものは理屈で説明しても分からない人には一生分からないものだ。

というこわけで、今回もどっと疲れてしまった。ゲロメッティYも色んな理屈を言ってくるが、Yの場合は相手してても面白いしいじくり甲斐があるが、今回の彼はそもそも愛嬌がないしあまりにも世界が極小で面白くないのである。

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喫茶店考

2013年02月17日 | 食べ物

 

ファミリーレストランなどの外食チェーン店衰退の中、店舗を増やしつつあるいやに元気のいいチェーン店がある。名古屋を本拠地にした「コメダ珈琲」だ。いよいよこのあたりにも進出してきて、はっきり言って一昔前のような何処にもあるチェーン店の外装と共に、その割には駐車場に車が結構止まっていて何が人気なのかと不思議に思って見ていた。個人的には、まず行こうと思うような店ではないのだ。が、この前中身はどんな店なのかとふと興味が湧き初めて行って来たのである。

中に入ると、店内は白木のテーブルとか木をふんだんに使った内装で、昔は必ず駅(東京の)近くにあった、明るく清潔な地元の主婦やサラリーマンが利用するような喫茶店(常連しか来ないようなひたすら暗い純喫茶でもなく、或いはおしゃれなカフェでもなく)を思い起こさせた。つまり個性はないがゆったりはできるという。メニューもそんな店と同じように、飲み物と食べるものはパンを使ったサンドイッチ程度。他の外食チェーン店とは明らかに違うその少なさである。頼んだものは、「たっぷりカフェオレ」とハンバーガー。カフェオレはスターバックスのようなフレンチローストではなく普通のローストの豆。これも昔の喫茶店の味だ。しかもたっぷりと言う割には全く普通で(自分の基準では)、味も勿論普通(つまり物足りない)。そしてハンバーガー。大きさを強調してるようだが大きいのはバンズだけで、中身はこれまた普通。味も、コンビニと大差なく(如何にも工場生産の)これまた普通。全てが普通で何故こんなに受けているのかが不思議であった。

で、考えてみると、この普通さが却っていいのかもしれないと思うに至った。スターバックスのような店は入り辛いし(多分都会ぶってるところが)、個性的なカフェはこれまた入り辛いし、純喫茶(今や絶滅寸前)は常連ばかりでこれまた入り辛いし、そして見回すと昔はあったような普通の喫茶店が今やなくなっていた。そんな需要を見事に捉えたのがこの「コメダ珈琲」だったのだ。個性の時代と言われるが、実は、そういうのは好きではない或いはどうでもいいと思っている人のほうが圧倒的多数なのである。個性などなく、明るく清潔でゆったりできればそれでいいのだ。店内を見回すと、年寄りの一人とかグループ、主婦、若い女子と幅広い客層で、全方位戦略が功を奏している。

が、本当のところは未だによく分からないのであーる。

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プチ長靴マニア

2013年02月16日 | Weblog

 

昨日も雪降り。この辺りは、典型的な冬型(西高東低)だと寒いだけなのだが、関東辺りが雪降りなどの時は大雪となる傾向がある(と言ってもせいぜい30センチ)。つまり冬の後半に雪降りが多くなるのだ、ここ一週間のように。そして昨日も雪掻きに追われた。

というわけで、長靴の出番は多くなるのだが、ここのところ頻繁に登場するそれら長靴に、ひょっとしたらどんなものかと興味のある人もいるやも知れないと思い、今日は具体的な写真で紹介したい。現時点で3足。左からついこの間買った真新しいコロンビア、真ん中がもう十五六年前に買ったホーキンス、一番右が弘進ゴムというメーカーのもの(今年で4年目)。見ても分かるようにコロンビアは長くて見るからに頑丈そう。右二つは外見が似ているがこれはビーンブーツというタイプのもので、底の部分をより頑丈にしたLLbeanのブーツが原型となっている。唯、弘進ゴムのものはなんちゃってビーンブーツで、作りそのものは普通の長靴とあまり変らなく、しかも普通の厚さで特別頑丈にはなってない。が、軽くて歩き易いので、常に車に常備して、春夏秋と霧が峰や蓼科などを歩くときに使っていて重宝している。10キロ以上歩くのに何回も使っているが、ゴムの部分が離れたり穴が開く気配はないので、十分な強度もあり思ったより使えるものという評価だ。

ホーキンスは、取り外し可能なインナーつきで、作りも多分LLbeanに匹敵するしっかりしたものだと思う。十五六年前から使って未だに十分使えるのだから。これはマイナス10度でも大丈夫で、寒い時期普段履き用に活用している。そしてコロンビアはもう言うまでもない。こうやって見るとちょっとしたプチ長靴マニアのようである。

 

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選曲の基準

2013年02月15日 | 音楽

 

ツェッペリン、ローリングストーンズ、ビートルズ、ブライアン.イーノ、ヘンデル、エルガーと来て一体何かと思われるかも知れないが、これはつい先日見たNHKの「世界ふれあい街歩き」のロンドン編でかかっていたBGMなのだ。すべてイギリスの音楽家で、当然ロンドン特集ということでこういう選曲にしたわけだ。イーノを除けばどれも有名な曲で(エルガーは威風堂々、実際これしか知らない)、それらがかかれば、イギリスだしね、と思う人も多かったと思う(ヘンデルは水上の音楽でツェッペリンはⅣの中の曲、ビートルズ、ローリングストーンズは言わずもがな)。

と、ここでどうしても異色と感じてしまうのはブライアン.イーノである。使ってたのはTaking Tiger Mountainという曲で、イーノ好きとしてはオーッとなるが、同時によくこんなの見つけてきたなと思ったりもする。が、実は、NHKではいろんな番組でイーノは使われている。特にドキュメンタリーに多い。元々イーノは、アンビエントミュージックというものを提唱した環境音楽の先駆者でもあり、その音楽はドキュメンタリーのBGMに適したものが多いという事情がある。しかし今回のものは、アンビエント以前のボーカルの時代のものである。イーノ好き以外は絶対に引っかからない選曲である。前々からNHKの音楽担当者にはイーノ好きがいると睨んでいるのだが、もしそうであれば、選者としてはこのように引っかかる人間がいるというのは選曲冥利に尽きるのではないだろうかと想像した。

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地吹雪ツアー プチ

2013年02月14日 | Weblog

 

昨日の雪は26センチも積もったらしい。今冬一番の積雪だ。となれば、例によって雪掻きが待ってるわけだが、ここでこの前入手したコロンビアの長靴が活躍するわけだ。こんなことでも(新しい長靴)いつもの雪掻きがちょっと楽しみになるのだから、人間なんて単純なものである。とは言え、大変なことに変わりはない。

一通り終った後、今度は、雪の中プチ地吹雪ツアーを敢行してみた。元々雪の中を歩くのは好きなのだ。新しい長靴もあることだし実地検証もかねて外に飛び出した。暫く行くと、風が急激に強くなり歩くと飛ばされるくらいの勢いとなってきた。本当に地吹雪(プチ)のような様相を呈し始めた。

 

 

山の方も舞い上がっている。

 

それにしてもコロンビアの長靴だが、普通の長靴と違い大分厚手に出来ているので、結構防寒効果もあり、且つひざ下まであるのでこの程度の気温(0度前後)で雪の中を歩いても十分暖かい。唯、重いので、長い距離歩くと足はかなり疲れる。その後普通の長靴を履いてみたら、全く履いている感じがしなかったくらいだ。

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無用門

2013年02月13日 | トマソン

 

これでも一応「無用門」。

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ネットの住人

2013年02月12日 | Weblog

 

今朝もさむーごさいました。

それにしてもパソコンの遠隔操作の容疑者、あまりに誰もが想像する犯人像、つまりオタクの原型そのままなので、姿を見た人は100パーセント納得してしまったのではないだろうか(現時点で確定したわけではないが)。しかし、こういう見方は、一つの思い込みによる冤罪を生む土壌を作ることにもなるわけだからその点は常に注意しなくてはいけない(何だか新聞のコラムみたいで尤もらしい)。

ネット上の愉快犯みたいな連中は、結局は自分のやったことを残して存在を知らしめたいようで、足跡をわざと残す。今回は明らかに脇が甘かった。というよりネット上では注意が行き届くが、現実の世界だと一気にゆるくなってしまったということだろう。現実の社会は360度の空間だから。

しかし、そういうことをしたくなるという気持ちも分からないわけではない。一人ほくそ笑むというのも密かな快感であろうことも想像できる。ネットの世界ではそんな人間が持っている部分が、何かをきっかけに制御できないほどに暴走するのだ。ブログでよく炎上するのも、そんな人間のある部分に突然火が付き集団で押し寄せた状態と言える。調子よくコメントを送っていた人がある日豹変し、突然攻撃的になり罵詈雑言を浴びせる、何てことはネットの世界では日常の風景である。怖いのは、それらの豹変した人が、現実では穏やかな普通の人と見られている人達だったりする所だ。

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