ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

テントウムシ 蛹

2012年05月31日 | 生き物 自然

 

ビオトープを囲んでいる岩の壁面に、テントウムシがへばりついているという話は三つ前のブログで書いたが、そのいくつかが今現在は蛹となってぶら下がっている。知らない人が見ると、何かの実でもくっついているのでは、と思うのではないか。兎に角あまり見かけない面白い光景なので(見たくない人もいるだろうが)その写真を、と思ったのだった。

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羽化失敗

2012年05月29日 | 生き物 自然

 

今朝、庭の欅の剪定なんぞをやってると、ビオトープ2号の周りに生えている蕗の葉裏に何やら蟻がたかってる物体が見えた。全体像は蝉の抜け殻のようにも見えるが、蝉の幼虫は未だ庭からは発生したことは無い。近付いてたかってる蟻を除けてみると、それはヤゴであることが判った。我がビオトープにしては早い時機だったので油断していた。仔細に観察すると、ヤゴの背中が割れて、本体が出る時点で蟻に襲われたようだ。今年第一号が羽化失敗というのも気分が悪い。自然界では普通の出来事なので仕方ないのだが、安全な羽化棒を用意しているのに、何故ワザワザ危険地帯にという思いは拭えない。それにしてもこの時期に羽化するのは何だろう。去年は6月15日にオオシオカラトンボが第一号だった。今回のものは、ヤゴの形からしてオオシオカラではないことは判っている。エゾトンボ科なのであるが、タカネトンボにしては羽化が早いので、ずばりエゾトンボなのではないかと思う。写真は、既に中身をごっそり持ち去られた後の姿。

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打ち切りドラマ

2012年05月28日 | Weblog

 

昨日の夜、初めてテレビドラマ「家族のうた」というのを見る。と言ってもたまたまテレビをつけたらそれがやっていて、そう言えばこのドラマは視聴率が悪くて打ち切りになるあれだったと思い出し、ついでにどうして視聴率が低いのかと興味が湧き暫く見たというわけだ。ただ、10分ほど見ただけなのでその辺の所は全く分からなかった。

一般的に言えば、テレビドラマはどれも似たようなもので見るべきものがあるとは思えない。業界の論理では唯一の基準が視聴率なので、低いと打ち切りになるというのは当たり前の話となるが、低いからドラマの質が低いとは言えないことも同じく当たり前の話である。今回のケースがそれかどうかは分からないが、最近の高視聴率ドラマが「家政婦のミタ」というのを考えると、視聴率の高さが質を保証するものではないという事実ははっきりと分かる。韓国ドラマの高視聴率ものを見ても思うが、その手のものは大体が類型的な所謂ステレオタイプドラマで、大衆演劇的要素が入ってるからこそ受けている、という風にしか見えない。何か大事なものを見落としているのだろうか。

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ビオトープ大改修

2012年05月27日 | 生き物 自然

 

ビオトープも、そろそろトンボの羽化が始まる時期となり、いよいよ本番を向かえるわけだが、実はここに来て大きな(全体でも一メートル四方未満だが)改修工事を行った。というのは、これは去年もあった現象なのだが、ある日一夜にして水質が激変してしまったのだ。前日まで透明な水が、突然濁りしかも異臭まで放つようになるのだ。少ない水なので、現象も極端なのである。するとどうなるかというと、サカマキ貝やミズムシが一斉に水際に顔を出すようになる。多分、水中の酸素濃度が不足してのことだと思う。水面には膜のようなものが張り、水が腐敗していると考えざるを得ない。去年は二三日放置していたら、水草の力だろうか、自然に回復したので今年もその方法に倣ったのだが、一週間しても一向に回復しない。原因はどうも底の土にありそうだ。ヘドロとなった黒い泥が底一面に溜まっていたのだ。そこで、そのヘドロを一掃しようということで大改修工事となったわけだ。

主は作業内容は浚渫だ。腐敗した水を大方出し(その水は肥料代わりに庭に撒く)、底に溜まったヘドロを掬う(このヘドロも庭木の肥料とす)。結構な臭いである。しかし、これで大分すっきりした。そして干上がったビオトープは数日日干し状態にする。その間ヤゴ達はビオトープ2号3号に緊急避難。そして改めて水を入れると、水深が5センチほどだったのが10センチほどとなり、本来はこんなに深かったのかと今更ながら感心する。水を完全に入れ替えたので、ミジンコなどが少なくヤゴにとってはまだ良い環境ではないが、これから徐々に、以前より更に良い状態になっていくのではないだろうか。

そのビオトープを囲ってる岩肌には、今年もナミテントウムシの幼虫がへばりついている。ざっと見て30頭ほどいる(夜になると寝床になるようだ)。ここでそのまま蛹になるのもいれば、昼になると再び歩き回るのもいる。テントウムシンの幼虫は本当によく歩き回る。そのおかげでビオトープの水面には毎日五六頭が溺れてもがいている。それを救出するのも日々の仕事である。アブラムシの近くに置くとその食べっぷりの見事なこと。それこそ、音が聞こえるのではないかと思うくらいにムシャムシャ食べる。というわけでテントウムシもこの時期の楽しみなのである。

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既得権

2012年05月26日 | Weblog

 

「次長課長」の記者会見を見てて思ったのは、人間というのは、既得権を一旦得ると放したがらないものであるということ。今回の生活保護も、どうやら自治体の福祉課も分かってて放置してたようだから、同じようなケースは全国に五万とあると考えた方が良さそうだ。生活保護に限らず、例えばよくある助成金の類も、一旦認められると殆どフリーに翌年翌々年と貰える事は、ある行事をきっかけに知った。書類さえ揃ってれば、実際の中身をチェックすることなどしない(出来ない)。こういう既得権の総体が国の無駄な支出となってるだろうことは容易に想像できるわけだが、末端まで行き渡った既得権絡みのものは、中々削られないということもよく分かった。

思い出すのは知り合いの元舞踏家の話。一人暮らし、資産なし、身寄りなし、癌によって働けず結果生活保護。しかし彼の場合は、癌が治り(今の時点)働けるようになり、結局一年ほどで生活保護から脱した。本人としてはその状況をどうしても脱したかったようである。今回のケースとは事情が違うが、考えてみれば立派でした(当たり前の話なのだが)。

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フェイスブック

2012年05月25日 | Weblog

 

フェイスブックが値下がりしたことで訴訟を起こすというのもおかしな話だ。株の世界は、これこそ自己責任の世界。今になって、公開株式数が多い、公開価格がそもそも高いとか、そんなものは始めから分かってたことだ。上がれば文句はないが下がれば訴訟、ったくろくでもない連中である。

しかしそれ以前に、フェイスブックそのものについては大いなる疑問がある。単なる交流サイトに何故それほど大騒ぎするのか。ミクシーの世界版以上に何か可能性でもあるのか、その辺が良く分からないのだ。収入も結局広告だけし、しかもインターネットの広告は、買う気もない人間を無理やりその気にさせる、謂わばなければないほうが有難い類のものだ(被害者談)。ネットゲームと同じく、むしろ無い方が世の中のためではと思うくらいだ。

よく、フェイスブックによって同じ大学の同級生と卒業以来連絡が取れたとか聞くが、連絡を敢えて取ろうとしなかったのはそれほどの相手ではなかったからなのではないか。つまり、知らないままでも何ら問題はなかったはずだ。世界に交流の場が広がるなどの言い方もするが、そもそも何故それほどまでして「交流」を求めるのか、そこも疑問だ。単なる「交流渇望症候群」じゃないのか?と思ったりもする。マスコミ以外の新たなメディアという部分では、それなりの意味が無いことは無いと思うが、普通のブログ(或いはツイッター)で十分なのでは、と、ミクシーの時点で既に鬱陶しいと思った私は思ったのだった。

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春の里山

2012年05月24日 | 生き物 自然

 

理想的な春の里山というのを飛んでる蝶で表すと、まずは今でも普通の「コツバメ」や「ミヤマセセリ」がいて

そこに「ヒメギフチョウ」が登場し

周辺の草むらには「ヒメシロチョウ」が舞う

なんてところになる。生えてる植物も、昔からそこにある植物で、決して花がきれいだからと植えられた外来種などではない。

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ビートルズマニア 映画編

2012年05月23日 | 映画

 

ビートルズマニアは映画も好きだ。唯、これに関しては極めて普通というか、所謂一般的な映画好きであるようだ。世の中映画好きは多いが、その9割の人達は、話題作だから、好きな役者が出てるから、好きなジャンルだから、などという基準で映画を選んでいる、と思う。別にそれで構わないのだが、多分その人達は、例えば「山中貞夫」と言っても全くぴんと来ない人達だと思う。観てもその良さが分からないという現実があることは、経験的にも認識しているが、実際その9割の人達はある種の映画に関しては本当に無関心である。

ビートルズマニアにどうつながるかというと、その9割に属すであろうビートルズマニアが(これからはb氏)、好意で自分の良いと思った映画などを奨められるのを実は恐れているのだ。その為の布石は既に打ってある。手持ちのDVDのいくつかを貸したのだ。以前、アルドリッチを貸したときは、アクション映画としても観られるので(真の良さはなかなか理解しがたいと思う)良いのではと思ったのだが、後で考え、変に誤解されるかもしれないとちょっと後悔したのだ。そこで新たに貸したのはロベール.ブレッソン「ジャンヌダルク裁判」アルトマン「ナッシュビル」そして手元にあったフリッツ.ラング「M」の三枚だ。これを観れば、間違っても、例えば三谷幸喜の映画を奨めてくることはないと思うのだが。

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ビートルズマニア③

2012年05月22日 | 音楽

 

ビートルズマニアは、ビートルズの他にもCDは一杯所有しているようで、それらは主にジャズ中心。特定のプレーヤーというより広く全般という感じで、多分数百枚あるのではないかと踏んでいる。こちらが、ちょっとソニー.クラークなどの話をすると、早速ソニー.クラークのCDを持ってきてくれるという、まるでCDのドラえもん版のような存在となっている。スタン.ゲッツ、チェット.ベイカー、バド.パウエルetcと、このところジャズ系CDがいきなり十数枚は増えた。この前なんか、ジャズではなくブライン.イーノが好きなどとちらっと漏らすと、ブライアン.イーノのCDまで持ってきてくれた。ただそれはベストアルバムで、殆どが所有しているアルバムから抜粋されたものなのであまり有り難味はなかった。が、中にはレコードでしか持ってないものも収録されていたので、結局は聴いたのだった。退職後の人生、趣味の音楽をもう一度という意図があってのことだと思うが、こちらとしては有難やである。そう言えば、ジョージ.ハリスンの「All things maust pass」のリマスター盤も貰ったっけ。

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ドキュメント 金環食

2012年05月21日 | Weblog

 

本日は金環食の日ということで、朝からテレビではカウントダウン。更に市の広報はリアルタイムでお知らせしている。故に、否応無しに気になってくる。そしていよいよその時が来た。当地はここ最近でも珍しいくらいの快晴。しかし伊達に日食ではなかった、日が照っている割には明るくない。薄暮くらいの明るさだろうか。日食というのを知らなければ、いつもより何故か暗いな、程度の認識を持つかもしれない。何かがおかしい、悪いことの前兆ではないか、と敏感な人間は思うかもしれない、などと想像しながら外を見ると、すでに近所の人々が専用眼鏡で覗いていた。こちらもそれを貸してもらって見る事にした。まずはどれどれと、確認できるわけでもないのに太陽の方を肉眼でちらっと見てしまう(禁止されているが多くの人が同じことをしたのでは)。ちかちかしたところで眼鏡で見ると、本当に欠けていて、分かっているのだがやはりオオーっとなる。その後、ピンホールを通すと影が見えるというのを思い出し、紙に穴を開けてやってみると、パンチの穴では大きすぎ(ピンホールになってない)駄目で、改めて千枚通しでやってみると、確かに影が見えた。ここで再びオオーっとなる。ただ直径5ミリほどと大分小さい。太陽もこんなに小さかったか。

 

 

そして次は木漏れ日。これも事前に言われていたことだ。普段ではありえない形状の木漏れ日で、漣のような鱗のような、なかなか良い感じである。眼鏡で覗いた本体よりもこっちの方が風情があって良い。ということで、木漏れ日をいくつか。

 

 

それにしても金環食のせいか、車が殆ど走っていない。

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フリッツ.ラング

2012年05月20日 | 映画

 

無料動画ではなく、久しぶりに自腹で買ったDVD、フリッツ.ラングの「M」(1931年)を観る。観るのは二度目で、大方の筋は覚えているのだが、それほど印象に残っている映画でもなかったのだが、じっくり観たいと思い買ったのだった。

内容は、連続少女誘拐犯を追うといいうもので、所謂サスペンス映画ということになるか。犯人を捕まえる時にこのMという字が重要な役割を担うのだが、今回改めて観て、この映画の肝はそんな犯人探しのサスペンスにあるのではなく、犯人を捕まえた後、最後の20分ほどの部分に凝縮していることが分かった。その部分というのは、犯人を捕まえた一般市民が(正確には泥棒グループ)、犯人を自分たちで裁くために住民をある廃墟ビルの地下に集め、そこで私設法廷を開く、そこのところだ。その場面がどうにも今日的で、最初は魔女裁判の様相だったのが、犯人本人が自分の押さえられない衝動を訴えたり、弁護士役(一般人がその役を務める)の人間が責任能力がないなどと主張し正式に司法の手に委ねるべきだなどと言ったり、擬似なのだが完全に現在の法廷ドラマの様相を呈してくるのだ。ここに冤罪が生み出されるメカニズムを見ることも可能である。ただこれが凡百の法廷ドラマと違うところは、群集のうねりが犯人の視線や弁護士役の人間にによって一瞬切り裂かれたり押さえられたりする様を、視線の交差によって表現しているところだ。全体を通すと最後の部分があることによって、変な映画という印象(単なるサスペンスではないという)を残すかもしれないが、それこそがフリッツ.ラングの真骨頂だったのである。

 

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パリで逢いましょう 11区

2012年05月19日 | Weblog

 

今回は11区、「cafe penty」が舞台。客は、近くの市場で働く人間と映画関係の人間が多い。今回も偶然に(本当か?)有名人が来ていた。常連客のようだが、それはピエール.バルー。知らなかったが奥さんは日本人で、しかも渋谷に「SARAVAH 東京」というライブハウスをオープンしたという。バルーの自主レーベルの名前がSARAVAHというのも初めて知ったのだが、SARAVAHそのものの名前は、以前T君が「saravah for cafe」というCDを探してほしいと言っていてamazonで買ったことがあるので覚えていたのだ。ここで、なるほどピエール.バルーかと思った次第だ。T君はピエール.バルーが好きだった。

客の中に、映画配給会社の社員やシネマテーク・フランセーズに勤めている人間もいて、そのシネマテーク・フランセーズも紹介していた。2005年に新たにオープンしたらしいが、その建物を見てある他の建物を思い出した。スペインのビルバオにあるグッゲンハイム美術館だ。一見して似てると思ったのだ。そこで調べてみると当たりだった。どちらもフランク.ゲーリーという建築家の作品だった。こういう場合は小さくガッツポーズ。個人的には好きな造形ではないが、こういうきっかけで新たなことを知るのは、番組を見る時の一つの楽しみでもあるのだ。

あと、cafeの斜め向かいにあった、レストラン「サムライジャポネ」というのが気になった。

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無能議員とH2A

2012年05月18日 | Weblog

 

国会議員のバスの無料パスという特権がちょっと問題になっていたが、こんな些細こと(JR含め廃止が当然)もさっさと決められない民主党というのも、本当、困ったものである。単純に人気取りとしての効果も期待できるというのに(大して身を切ることもなくCPは高い)。民主党に限らず既成政党は、根本的にずれていてしかも何も出来ない(議員は無能である)、と見られているから橋本に期待してしまうという現状を、ちゃんと認識しろよと言いたい。

マスコミは、「猫ひろし」がオリンピック代表にならずとか、「しずちゃん」の日本代表はどうの(その前に女子ボクシングがオリンピックに必要かという大いなる疑問がある)、或いは大リーグの二軍での松坂対松井はどうだったかと、どうでもいいニュースに実に多くの時間を割いている。露出が多いほど受け取る側はそのニューズの重要性が高いと思い込む傾向は、間違いなくある。マスコミは、日本人を馬鹿な状態に保っておきたいのか、とかんぐりたくなってしまう(ある意味当たっていると思うが)。商業衛星としてのH2Aの打ち上げ成功のニュースをもっと取り上げ、技術者の励みになるようにすることのほうが、日本の未来にとっては遥かに重要だと思うが、マスコミの基本方針はどうも違うようである。

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猛禽類

2012年05月17日 | 生き物 自然

 

猛禽類と言ってもトンビ以外はなかなか目撃する機会はなくて、今まで自然の中で見たのは、チョウゲンボウが一回と、種類は判らないが多分トンビ以外のものだろうというのが一回あるだけだ。とここで、フクロウも猛禽類だったのを忘れていた。フクロウは二度あるので計四回ということになる。一応自然豊かな地方となっているところに暮らしていて、しかも結構山方面に行く人間がこれだけというのは如何にも少ない。トンビだと思っていたのが実は違っていた、というケースはあるかもしれないが、遠くに飛んでいた場合見分けるのは至難の業だ。確実に違うというのは、至近距離で見ない限り断言できないのだ。

そんな中でついに五回目の目撃体験をすることとなった。ピヨっと一鳴き、低空を旋回し始めた猛禽類が現れ、ああまたトンビかと思って見上げると、トンビにしてはずんぐりしている。こういう場合の見分け方は前教えてもらってたので早速尾羽の形を確認する。トンビの場合は三味線のバチ型、他の猛禽類は円状に丸みが付いているのだ。これはバチ型ではなかった。あわててカメラを構えると、どんどん遠くに行き始めた。ピンとも合わないし、もうチョイ待ってくれと心の中で叫ぶが、お構い無しに飛んでいってしまった。辛うじて撮れた写真が本日のもの。後で図鑑で確認すると、ノスリという線が一番近そうだ。多分一枚目の写真だけだと本当か?と思う人が多いと思うので、拡大写真も一つ付けておきやした(真上に来た時撮っとけばなあ)。

 

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訃報

2012年05月16日 | Weblog

 

ほぼ一年前(去年の6月2日のブログに登場)に会った、学生時代の友人の訃報が飛び込んできた。去年会ったのが卒業以来二度目と、多く会ってるわけではないが(学生時代の仲間とは殆ど会うことはない)、元気な姿を目にしてたのでちょっと唐突でびっくりした。確かに、近所のカフカ君が逝った時も、その直前まではぴんぴんだったので、元々死は突然やって来るということなのだが、残念ながら、一緒にT君の「cafe Tac」でガレット(彼にとっては初だったのでいろいろ解説を施した)を食べたのがいい思い出となってしまった。宮崎とちょっと遠いので葬式に行くわけにも行かないが、何はともあれ合掌...。

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