クールな生活

日々の雑感と意見

スペイン・ポルトガル旅日記(4)

2020-10-25 08:28:01 | スペイン・ポルトガル旅日記
10月10日(水)
リスボンへ
移動日である。風邪はまだ治らない。
朝の冷え込みは変わらず。8時にチェックアウトする。タクシーを捕まえようとホテルの前に立ったがなかなか来ないのでフロントに頼んでいると、妻がつかまえてくれた。エスタシオン・スルでなんとか通じた。実直そうな運転手で1ユーロのチップで喜んでくれた。行きに乗ったタクシーのこすっからしい運転手を思い出し、違いを思ったことよ。

マドリッドからリスボンまで長距離バスにする。7時間かかるというが、バスに揺られて眠っていれば直に着いてしまうとたかをくくっている。南ステーションは3回目なので勝手知ってきた。待合室で待つ。向かいの席に日本人親子が座ってきた。夫婦と姉妹の4人だった。旅行ですか?と声を掛けてみた。娘の留学が今年で最後なので見に来たと言う。マドリッドから少し離れたナントカという町に行くらしい。リスボンまで7時間かかると言ったらちょっと驚いていた。列車は夜行しかないので昼間移動したいからバスにしたと言ったら、留学している娘が、自分はリスボンまで行ったことがある、夜行列車で寝台でなく、普通の座席だった、ちょっと怖かったと話してきた。9時30分発で9時には乗り場に来てくれと言われたので、その通り行くとリスボン行きのバスではなかった。慌ててそのバス会社の案内の女に聞いたが、ここでよいという。運転手に聞くとロシアのキエフ行きだという。そんなことかなあと2階の切符売り場まで聞きに行く。その乗り場でよいとさっきの女がそこまで移動してきていて、同じことを言う。乗り場に戻るとリスボン行きがスタンバイとなっていた。時間が早かったことになる。早々と一汗かいてしまった。失敗だった。もう少しおっとりしていても良かったのだが、なにせどのようなことが起こるか予測できないことと言葉のハンディでとっさの行動が出来ないから、慎重にならざるを得ない。それにしても今回はひどく慎重である。その割には忘れ物が多い。予習不足も如実に出る。今度のバスは荷物をすべて預けろと言ってきた。昼飯と水が入っているリュックはよかろうと言い張ったが駄目と言う。確かに安全、テロ対策を考えると反対も出来ないので従うことにする。おとなしそうな運転手であった。バスの座席は立派でゆったり座れる。これほどの座席は初めてである。長距離も気にならなくなる。客は多くなく満席ではなかった。9時30分定刻発である。特に印象に残る景色がないまま只管走る。天候は良好である。11時30分第一回目の休憩を20分間とる。場所がどこか分からない。まだスペインであることは確かである。休息のあとそれまでと変わらずバスは進む。メリダという大きな都市がある。1時頃だったろうか、メリダのバス・ステーションに寄る。ここで運転手の交代があった。他に誰かを乗せるでもなく直ぐ出発した。乗る人がいなかったのかもしれない。14時、二度目の休憩。今度は昼飯休憩である。スペインとポルトガルの国境に近い、ポルトガル領ではなかったかと思っている。ドライブインのトイレを借り、戸外の椅子を借りて、手持ちのパンとジュースで昼食にする。暑く汗ばむくらいの直射日光が照りつける。

昼食の後、ポルトガル領を走る、緑地が出てくる。大きな河が見え、展望が開ける。橋を渡る。長い鉄橋であった。リスボンである。海までは見えないが、河口の大きさが推し量れる。やっとポルトガルに来た。
ポルトガルのバス・ステーションに到着する。橋を渡ってから意外に早く着いた。それもそのはず、そこは東の端のステーションで自分が思っていたのと別のステーションだったのだ。皆降りたようである。荷物をとられる心配があるという案内書の記述が気になって、妻と手分けして荷物を確保する。荷物を降ろしたあとバスは走り去ったようなので、バスは次のステーションに向かったのかもしれない。

リスボン
大きなバス・ステーションである。ポルト行きのバスの切符を買って行こうという気になった。ポルトには当初列車で行くつもりであった。グラナダからマドリッドのバスの旅を味わって、バスが楽な感じを持った。荷物の積み下ろしが列車のように面倒でないことを思ったり、リクライニング・シートでゆったりできたりすると思えば、バスも捨てがたいというよりバスにした方がいいや、という結論にした。バス・ステーションは大きな建物でいくつものターミナルがある。会社も異なるようだ。路上から建物の中にエレベーターを使って入る。妻を待合用の椅子に座らせて、偶々通りかかった警備員にポルト行きにバスの切符をどこで代えるかと聞いた。その警備員は、バスで行くのか、列車ではないのか、と尋ねてきた。バスだ。うん、そうだな、シネックスに行くとよい。リネックス?いや、シネックスだ。RENEXをリネックスと読まない。REの発音が自分には出来ない。ともかく教えてもらって、買うことが出来た。

今度はタクシーである。さっきの警備員がまた居たので、また聞いた。エレベーターで階下に下り、タクシー乗り場に行く。自分が調べたところでは、ホテルはバス・ステーションから地下鉄でも容易にいけるところにあった。しかし荷物があるのと探すのに自信がなかったのでタクシーに頼ることにした。地下鉄を探せば自分がどこに居るのかが分かったのだが、そうしなかったから、あくまでも自分は、セッテ・リオス・バスターミナルに居るものだと思っていた。RE社のバスが発着するリスボン最大のバス・ターミナルと案内書に記載してあったのだから。
タクシーにはホテルの名前の書いた紙切れを見せて、行けるかどうかを聞く。分かるということだった。タクシーから周りの景色を見てどうもおかしい、と思い始めた。そのうち海か川かが見える。積荷を積んだ列車がある。一体ここはどこだろう?運転手に聞いた。自分はどこから乗ったんだ?残念ながら英語がまるで通じない。ここはセッテ・リオス・バスターミナルなのか?と聞いても通じず、セッテ・リオス・バス・ターミナルに行くのか、ホテルではないのか?という質問になってくる。参った。まあいいや、ホテルまで行ってくれ。ホテルに行くまで車内からリスボン観光の一部を楽しめるがごとく、あちこち回ったことになる。タクシーの運転手はよく分かった人でよかった。ホテルに着いたら自分の質問に答えようと、ホテルのフロントまで一緒に来てくれた。フロントでは、いきなり自分がフロントのおじさんにどこでタクシーを拾ったのかタクシーの運転手に聞いてくれといってしまったので、フロントのおじさんはびっくりだった。まあ待って、あなたは予約した人でしょうか、から始まったので、そうだが、精しくはあとでしよう、まずはタクシーの運転手を帰せるようにしたい、通訳をお願いする。結局、自分が乗ったのは、オリエンテ駅であることが分かった。一番東寄りのバス・ターミナルである。どおりで、川が見えたりナントカの像が見えたりしたものだ。やれやれ運転手さんお疲れ様、チップを1ユーロと少し加えて10ユーロあげますよ。サンキュー。この言葉だけは言える。かくて無事チェックインできた。

ホテルの部屋はあまりよくなかった。あまりというよりほとんど良くなかった。がっかりである。安さ、それも朝食付きだからそんなに文句をいえないが、とにかく部屋が狭いのとベッドも小さく、特に女用はその小さい男用よりも一回り小さい、バス、トイレも狭いというのが不満である。こじんまりした経営のようである。それでも広い部屋があったから、特別安いところに当ったのだろう。
フロントに近くにレストランはないかと尋ねる。外に出てスーパーを探した帰り、そのレストランを下見に行って、よさそうなので行ってみることにする。妻を呼びに行く。ビールと鶏肉だったろうか、何を食べたか忘れた。
リスボンはスペインと1時間の時差がある。それでも日が暮れるのが早くなった感がする。食事を終えると9時で、寝る時間である。

10月11日(木)
リスボン市内観光(1)
リスボンは観光バスに乗ることにした。ホテルにあったパンフレットを見て、体調が優れないから自分であちこち探して歩くのに自信がなくなったこともあって、そう決めた。市内だけだから2コースあっても1日半で終わりそうかもしれないが、急がずまわることにして、2日間有効の切符を買う。ホテルで予約券を発行してくれる。現金で支払う。一人30ユーロ。団体ツアーでは、市内観光は半日くらいで、リスボン近郊や大陸最西端のロト岬に行くツアーを催しているとことが多い。リスボンはそれほど広い都市でなく、また名所旧跡の類が多くないようだからその方がバラエティはあるのだろうと頷ける。

ホテルの近くの通りからその観光バスの乗れると聞いて、いそいそと出かけた。ホテルはリスボンの中心をなすリベルダーデ通りに面している。リベルダーデ通りは広く、道路が、自動車道路として中央にある往復2車線ずつの他、分離帯となる歩道がその両側にあり、さらにその外側を片道の1車線があり、それから建物が建っている前の歩道という構成になっている。建物から見ると、自動車道路は2つあることになる。ホテルで教わった道順は、道路を1本渡って次の通りにそってバス乗り場があるということであった。自分は通りを1本渡ることを信号を一つ渡ることと解釈して、リベルダーデ通りを越えたもう1本先の通りと勘違いした。リベルダーデ通りを過ぎた次の通りはもう狭くなってとてもバスが通る通りではなかったので、これは違うと思って逆戻りした。リベルダーデ通りに戻ってよく見ると先に述べたような構成になっているから、ホテルのフロントの男が言うのには間違いないことが分かった。通りの名前で教えてくれれば間違いはないのだが。バスがなかなか来なかった。我々が逆戻りしているときに1台通り過ぎていったからそれだろう、次のバスが来るまでにはあと20分とゆっくり待ってよいとは思ったが、肝心のバス停が分からない。ホテルに近い方にバス停があってそこで待ったのだが、どうも違う。アヴェニーダというバス停だったが、市内循環のバスばかり来る。待っている人に聞いてもよく分からない。そんな観光バスは来ないよと言う。いやそんなことはない、ホテルのフロントがはっきり教えてくれた、と頑張って待つ。少し先にもう一つバス停を見つけた。あれもバス停ですか。そうです。ちょっと見てこよう。よく見ると、観光バスのマークが待合所の壁に貼ってある。アヴェニーダがもう一つあった。ああここだ。という具合でやっとこさでバス停を見つけた次第である。やがてバスが来る。逃さずにすんだ。

リベルダーデ通りを下り、すなわち、中心とは反対方向に進む。街の背面を通って海の方に向かうというコースである。アヴェニーダを越すと、ポンバル侯爵の銅像が見える。17世紀にポルトガルの基礎を築いた政治家であるという。ヨーロッパ人は記念碑や銅像が日本人よりも好きなようだと思う。アメリカ人も南米人もヨーロッパ人の流れが多いからその傾向がある。日本人も嫌いではないから各地で建っているが、街の大通りにあるという銅像はあまり多くないように思える。記念碑でもそういえる。日本では道路建設が記念碑とは別の次元で動いてきているせいに思える。ポンバル侯爵の銅像の後方は大きな公園になっている。
大きなショッピングセンターがあるという通りに止まるとぞろぞろと人が降りる。買物があるのだろう。妻は何かお土産を買わねば、という思いを持っているようだが、観光をしているとお土産までは目も脚も回らない。お土産を気にしていると観光は出来ない。スペイン広場があり、そこから今度は南に下って行く。途中狭い道もあって大きな観光バスが上手に角を曲がっていく。バスの説明は幸いにも日本語があったが、日本語がなければ乗らなかったこともあるが、該当の地点の間近かになってから放送するので、あれは何だろうと思って聴いていて、ああっと、過ぎてしまってから振り返ることが多々あった。やがて河畔に出る。テージョ川で直ぐ先は大西洋である。大きな橋が見える。次いで発見のモニュメントが見える。案内書では比較的大きく取り上げられていたがバスではさほどの説明がない。

ベレンの塔でいったんバスを降りる。川と海のほとんど境の川側にある。かつて船の出入りを監視する要塞であったという。小さな橋を渡って要塞に入り中を見学する。1階は潮の満ち干を利用した水牢になっていた。2階には大きくないが大砲があった。大きくなければ小砲なのだろうがそんな言葉はないようなので大砲になってしまう。ベレンの塔は6階まである。狭い階段で登りの人が来ると下ることが出来ない。上で待っている。後からあとから来るといつまでも待っている。川に突き出た部分は見張り場になっていて見晴らしがよい。大西洋が見える。少し風があったが天気がよく川か海かの風に当って気持ちがよい。と言っていながら風邪を引いているのだからしようがない。ベレンの塔で大分ゆっくりした。広場の木陰で昼飯にする。バナナと水と小さなパンを食べるだけのものだ。
再びバスに乗って次のバスストップで降りる。今度はジェロニモス修道院の見学をする。大航海時代のポルトガルの華やかなりし頃の修道院で石の彫刻が素晴しい。特に回廊の鴨居の部分にあるアーチに施されているきめ細かい彫刻には心をうたれる。スペインの博物館のように大勢の人がいないこともあって、ゆったりとした気分で院内を見て回れる。ポルトガルに来たという感じを味わった。ここは本当にポルトガルという思いであった。

ジェロニモス修道院の次にまた観光バスを待って乗り、国立古美術館に行った。同じバス停で比較的多くの人が降りた。そちらがてっきり美術館の方角かと思って人について行ったらそうではなく皆さんはクルーズに乗るところであった。通りで海の方角に美術館があるのもおかしい。広大な美術館である。ありとあらゆる物を集めた様相である。絵画は勿論、陶器、銀やガラスの食器、アクセサリというのか装飾物など。ポルトガルと交易のあった国々からの美術品・工芸品の展示が一堂に展示されているフロアがあった。日本からのは狩野派の屏風絵が一際目立つ。中国、インドからの物も多い。帆船だったのだろうが、よくまあ持って来たものよ。館内には見張りの館員が多く、その連中が私語をしている姿は醜い。暇なことは分かる。館員が多すぎるのだ。人気のあまり多くない館内で、日本人の女性の一人旅に出会った。来る人も居るのだ。売店があり、土産用のマグカップと絵画の絵葉書を買い求める。美術館に1時間もいたろうか。

それまで観光バスの階下の席にずっと居たので、今度は階上に上がって一回りしてみようという気になった。一周は一時間くらいだから、日没まで戻れるだろうと計算したわけだ。実際はもう少し時間がかかったようで、日没がもう少しで一回りが終わるという前になってしまった。川岸通りで日太陽が川に沈んでいく様を見ることが出来た。その後は直ぐ暗くなってしまい、終点に着いたのは7時を少し回ったくらいになってしまった。観光バスは夜の9時半頃まであるようで、ホテルへの帰りはその観光バスに乗ったままで、ホテルの近くのアヴェニーダまで行ってそこで下車する。
夕食はホテルの近くのバールで一皿物をとって済ませた。ファリヤを聞きに行く元気がない。

10月12日(金)
リスボン3日目になる。ポルトガルのホテルはスペインと違い、朝食つきである。ジュース、コーヒー、パン、トースト、ゆで卵、ハムと食べ物にそれほど種類があるわけではないが、量は十分であった。
ユーロの手持ちがきびしくなったので、両替をする。近くに銀行のATMがあったので、VISAカードを使ってキャッシングすることになる。そのATMをうまく使えず、次に並んだおばさんに聞いてなんとかできた。馬鹿だなあ。ディスプレイに指示が出ていたのを、画面タッチでやるものと思って画面の文字を押していたのだ。そうではなく、機械側のボタンを押すのであった。やれやれ、頭が働かない。

リスボン市内観光(2)
リスボン観光ツアー2日目である。買い求めた切符はバスの他に市電の限られた区間も乗ることが出来る。朝から市電に乗る。途中下車が出来ず、ずっと市電に乗ったまま観光するコースである。狭い道、急な坂を市電が通る、レトロの感じをたっぷりと味わわせるというリスボンの名物であろうが、道路を占有するので、車の台頭で車族には邪魔にされ始めているそうである。観光市電は、いわゆる、アルファマ地区とバイロ・アルト地区を回ってくれた。なんというか、それほどの感動はない。急な坂道、建物との間がほとんどなく電車が通れば歩行者もよけなければならないところもあるくらいの道幅、高いところから見下ろす位置にある路地裏、そんなのが珍しいだけである。市民はそれが当たり前になっている。洗濯物が外に干してあるというのが特徴になっている街と少しハイカラにしている街と、市電はそんなところも見せてくれた。

昼は市場のレストランで魚を食べようと意気込んで、観光市電の乗降車の場所でもある、コメルシオ広場から、海岸沿いに歩いて、リベイラ市場に行く。午後になってしまったので店仕舞いになった店が多く、魚屋は閉店、八百屋と花屋だけがまだ開店中というところだった。レストランは1軒しかなく、そこのメニューを見ると、妻の好みとなるシーフード・リゾットがあったが、アローシュ・デ・マリシュコがなかったので、元来た道を戻り、途中にあった魚を外で焼いていたレストランに入ることにした。外で焼いていたのは大きないわしのようであった。ここにもアローシュ・デ・マリシュコはなかったが似たようなメニューのものがあり、それをオーダーした。名前は忘れた。

昼食後、妻が買物をしたいと言うので付き合うことにした。陶器の小物だが、陶器で有名な地域があると案内書が言うのでそこへ行ってみた。バイシャーシアドという地域である。コメルシオ広場からえっちらと歩きで30分も歩いたろうか。エルメスがあり、高級店の地域であった。とてもじゃないので、また引き返す。コメルシオ広場に向かうお土産店を何軒か覗く。やっと一軒決めて陶器やら袋やらを買う。お土産品といっても立派なものではない。〆て33ユーロ、それを30ユーロプラスなにがしかに値切る。妻のなかなか決めないのにはいつもの事ながらいらいらする。

トイレのためにコーヒーショップに一度入り、ジュースを飲む。その後、再び、コメルシオ広場から観光バスに乗る。今度は、現代リスボンのコースで旧市街地から外側の地域が主であった。エキスポが開かれたとか飛行場とか、モダンな建物や施設が見られたが、あまり面白いものではなかった。その中でもオリエンテ・ステーションはハイカラな感じで興味がそそる。くたびれていたので、自分の足で動き回るのがいやになっていたが、楽な分を味わった。この日も終わりが夕方7時過ぎになってしまい、暗くなってからの帰途になった。今日も観光バスのコースに乗ってホテルまで送ってもらう手を利用した。同様のことを若いドイツ人の6、7人のグループがとっていて、こちらは運転手に頼んで乗せてもらったようだった。

8時過ぎホテルに着く。夕食はスーパーで買ったパンとヨーグルト、それにホテルのフロントで買ったビールで済ます。
リスボン終了だが、歩かなかったせいだろう、街並みをよく見たのはホテルの界隈とコメルシオ広場の周辺と魚の昼食をとった市場の辺りくらいだった。あとは観光バスからの眺めだけでやはり物足りなさが残る。名所では、ベレンの塔、ジェロニモ修道院、国立古美術博物館を入念に見たが、あとは観光バスの素通りであった。観光バスにすっかり頼ってしまったので、当初案内書で見て計画したプランからずれて行けなかった所が多々残っている。心残りというほどではないにしろ、効率の悪い動きをしたなあと思う。車から降りて自分の足で動くことが旅行の面白さであると思う。食事もまあ期待したほどではない。もっとも立派なレストランで相応のメニューのものをオーダーしたわけではなかったせいもあろうが、案内書に載っているものも現実でみればああそんなものかという感が強い。ワインも通ではないのであまり言えたものではないが、また、白と赤のポピュラーなものしか飲んでいないが、さっぱりした感じがした。

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