クールな生活

日々の雑感と意見

スペイン・ポルトガル旅日記(5)

2020-10-26 13:05:12 | スペイン・ポルトガル旅日記
10月13日(土)
ポルトへ
移動日である。朝飯はホテルでトースト、ゆで卵、ハム、ジュース、コーヒーをとる。お客さんに日本人の一人旅の女性が居た。朝食に食堂に来る顔ぶれは3日間で変わったのもあれば同じ人も居た。
ポルトまでのバスはバス停のオリエンテ駅を11時発の予定だったが、オリエンテ駅で少しのんびりしようと思って、ホテルを9時過ぎに出る。朝早かったので車が少なく、10日に来たときと比べてずっと早くオリエンテ駅に着いた。料金も信号時間待ちの分だろうか、少し安かった。オリエンテ駅で絵葉書を買おうと思っていた。妻がファリヤのCDを買おうと言い出したので、売店を探す。簡単に見つからない。バス・ステーションはバスだけなのだ。待合室があるフロアにはスナックが1軒あるだけ、売店は少し離れたところに、モールとまでは言わないにしても、ショッピングセンターになって大きな専門店がいくつか並んでいた。CDはCD専門店にあった。店員に大急ぎで、ファリヤのポピュラー盤を選んでくれと頼み、2枚購入した。絵葉書はないかと聞いたが無く、外の店にあるようなことを行っていたので、階下に行き外を探したが見つからず、結局リスボンの絵葉書は買わずになった。写真がバスの中からばかりであったので少しまともな写真が欲しかったわけである。

バスの待合室はバス・ステーション・ビルの2階にあり、バスの乗り場までエレベーターで降りる。ポルト行きのバスは定刻に発車した。客は多くなく、20人にみたなかったのではなかったろうか。妻と並んで一番前の席になった。運転手の直ぐ後ろである。眺めが良い。座席が空いていたから、皆ゆったりと座っても良かったのだろうが、アベックが覆いせいか二人掛けにしている。自分の隣の座席は30台の女とおばあちゃんが座っていたが、二人は一人同士で偶々席が隣になっただけのようだった。それでも二人が並んで座っている。一番前なので眺めが良いからそのまま陣取っているのだろう。この女があとで我々をいやな目にあわせてくれた。

ポルトまでは3時間半の旅だが休憩を含んでいるからバスに乗っている実質の時間は3時間弱である。1時間余走った後、一度トイレ休憩15分がある。休憩中、運転手と少し話をする。運転手は若いが人のよさそうな男で、ポルト生まれで、ワイナリーの近くに住んでいるということだった。それから2時間近く走行したろうか、昼食休憩になる。ドライブインの食堂には入らず、いつものように持ち込みのジュースとパンでわが昼食は完了する。
ポルトガルの道路風景はスペインと異なり、緑が多い。アリゾナのような砂漠の光景はない。天候がよくドライブ日和といってよい。運転手は慣れたもので、もうこの道を何十回となく往復したよと言わんばかりの軽々とした運転振りで、しかも結構スピードを出す。昼食が終わった後から、それまで大人しくしていた隣の女が運転手に話しかけ始めた。もう30にはなっているだろう、あんまりきれいだとはいえないが口がよく回る女であった。それまで大人しくしていたと言っても携帯電話が何回かかってきてそれに応答していたので口の回り具合はよく分かった。女の話しかけに対して運転手は適当に返していたのだが、返せば返すほど女はまたその倍くらいの量の話かけを運転手にする。ポルトの話になったのだろう、運転手も単なる受け答えから、センテンスを作るようになってきた。その間スピードは緩めない。運転手が話し始めるときは女の方を少し見るので、右後に顔を向ける。その分ハンドルも片手になる。後で見ていると、まあ、危なっかしくてもう止めろと言いたくなる。下手に言って運転手の気を悪くして運転が雑になっては困るのでよっぽどなにかあったら言おうということに腹をくくった。妻も心配になってきて困ったという言い方をする。女は一向に構わず、ドンドン話しかけを続ける。こんなところで事故を起こされて怪我をしたくない。そればっかり祈っていた。我々の心配を全く関与せず二人はとうとうポルトまで語り合ってしまった。ポルトまで事故がなかったことを神に感謝する、そんな気持ちになった。ポルトで運転手が交代する。女は降りなかった。あの女は次の運転手とも同じように話をするだろうか、妻がそんな心配をする。今度の運転手は少しおじさんで、事務的な感じの男だから相手にしないだろう。でももう我々には関係ない。我々は呆れただけで十分である。

ポルト
ポルトの街に入ってから、バスはバス停まで結構走っていた。かなり街の中に入っている。ホテルまではタクシーにする。運転手にホテルを知っているかと聞いたが、仲間にも聞いてみてちょっと分からなそうであった。タクシーの運転手は女であった。気のよい女で降車時の料金も正規分をとろうとして小銭の有無を聞いてきた。少しチップを入れてやると本当に嬉しそうであった。この程度のことで気持ちがいいと思うのだが、それは大切であると思う。バス停からホテルまでは結構な道のりであった。ホテルはポルトの街外れにあったが、大きな建物で、この旅行ではもっともクラスの高いホテルであった。部屋は7階で見晴らしがよい。ただセキュリティボックスが有料であるとはいささか興ざめしたところである。一服すると時刻は4時を回っている。川岸に行ってポルトワインのワイナリーを見に行こうとするのが今日の予定であったが、ワイナリーは無理でも川岸にあるレストランで夕飯を食べようという気になって出かけた。寒さはない。むしろ暖かい。風邪が治って、元気に歩ける。

ホテルのフロントで道を教えてもらったのであるが、道が真っ直ぐでなかったり、二本にも三本にも分かれていたりして迷いやすい。やはり迷った。かなりの距離を無駄に歩いている。街並みは貧しい感じで、中心街からは外れているとはいえ、かつての首都であるという面影が見られない。元々の姿なのかもしれない。地図を頼りに、時には道行く人に尋ねたりしてなんとか目的地に近いところまで行く。道行く人も定年になっていて教えたがる人がいるが、そのような人は全く当てにならない。尋ねなければよかったことになり、時間の無駄に終わる。そのような人に限って教えてやろうと自ら来るのだから始末に終えない。地図に記載の通りの標識を見つけ、ほっとする。しかし、そこをどこまで行けばよいかまた分からなくなる。この道を行くと川岸に行くというところまで来た。でもまだそこはレストラン地域でない。名所旧跡のような建物が高台に見え、そこに行ってみようと坂道を登る。カテドラルかと思ったが、どうもそうではなかったようだ。その先を少し下ると狭い路地があり、抜けられるかと思って半分くらい進んだ。ちょっとやばい感じがしてきて、先ほどの旧跡らしき建物まで戻る。ちょうどパトカーが居合わせた。お巡りさんに道を尋ねる。英語を話せる人であった。親切に教えてくれる。非常に分かりやすく、ありがたかった。お巡りさんの言うとおり、元来た道から90度折れた広い道路をとり、川から離れる方角にすすみ、坂道を下ると、サン・ペント駅の建物が見える。今度はそこを鋭角に左折する。また川に近づく道になる。その道は下りの坂道であった。道の両側には店が並ぶ。観光バスが通っており、明日はこれを利用しようという気になった。坂道をさらに下ると、ようやく川岸に出る。川に向けてレストランが軒を連ねている。多くの人たちがレストランの外のテーブルについている。勿論中にもいるが、外で川を見ながら、橋を見ながら、対岸のワイナリーを見ながら、語り合い、食事をしている人の方が多い。景観である。どのレストランでも、メニューが外に出ているので、一つ二つ覗いてみる。声をかけてくれたお兄ちゃんがいて、結局そのレストランに席をとった。妻は鱈のソティと米の突合せを、自分は何を頼んだか忘れた。ポルトワインをオーダーした。ポルトワインは甘く旨い。これはいける。夕暮れで6時半くらいだったろうか。7時になるとあたりはもう暗い。今度のホテルも朝食つきだから、スーパーの買物は不要だが、果物をということでオレンジとぶどうを買う。オレンジはうまかった。1.8ユーロだから安くはない。一体、スペインにしろポルトガルにしろ、物価は安くない。ユーロが強いから円換算して余計高いと思う。レストランは川に対して平行に並んでいる、それと直角に道路がある。道路にはタクシーが待っていてくれる。帰りはもう歩けない、また道に迷う、ホテルからは結構な距離だ、ということでタクシーに乗る。タクシーには10分も乗ったろうか、5ユーロ、900円くらいである。距離にしては日本よりは安いかもしれない。広い部屋、広いベッド、広いバスタブと今度のホテルは広さでゆっくりとできる。窓からはポルトの街はずれが見えるが、あまり美しくはない。

10月14日(日)
夜は10時過ぎに寝るが、朝はあまり早く起きない。疲れが残っているせいか、なんだろう。それでも6時には起きられる。朝食は7時からだった。団体客が多いようだったので早目の食堂行きにした。バイキング式でなかなかのものだった。三年前にウィーン、ブタペスト、プラハを回ったときはすべて朝食付であったが、そのときの食事と大体同じくらいの献立である。

ポルト観光
一日ポルト観光の日である。朝9時にホテルを出る。昨夕行った道を辿って、カテドラル付近に行けば観光バスが捕まえられるので、そちらに向かった。ホテルを出てまもなく道の分岐があった。昨日定年のおじさんが延々と教えをくれて全然駄目だった辺りに来て、はてふっと迷ってしまった。こちらでよいだろうと一番左の道をとった。これが完全に裏目であった。行けども行けども昨夕の光景には出っくわさなかった。サン・ペント駅はどちらの方角ですか?道行く人にまた聞き始めた。うまく説明できない人もいるからよほど変てこな方角に向かっていたのだろう。歩いていくの?バスに乗った方がいいわよ。ええっ、そんな遠くに来てしまったのか。放射線状のみちを海の方角を目指したつもりだが海に行く直線距離ではなく、斜線を進んだことになる。ようやく昨夕一度来たような気がする道に来た。はて、次はどの道を選ぶとよいか?やあ、もう参った。タクシーに乗ろう。タクシーが来ない。日曜日の朝で教会帰りの人がちらほらする。教会の前で花屋が店を開いている。再びサン・ペント駅の方角を聞く。こっちの道でなくあっちの道を行くんだよ。てっきり方角から行くと手前の道を選びたくなるのだが、そうではないという。また歩き始める。おお、ここは昨夕来たよ。向こうだな。あっ、観光バスが走っている。もう近いな、でもこっちでは方角がおかしいなと思っていると、観光バスがまた方向を変えてきた。思わず手を上げた。ここは止まるところではないよ、と言わんばかりだったがバスが止まって乗せてくれた。1時間もほっつき回ったので大助かりであった。ホテルからもらった観光バスのパンフレットを見せて、このバスだろう、と言うと、それと同じような観光バスだが、会社が違うという。自分が持っていたパンフレットはポルトの会社のバスで、ここでつかまえたのはカリス社といって、リスボンの観光バスの会社と同じであった。ルートはふたつともあまり変わらないよ、こちらのバスは川沿いを走るコースもあったりするのよ。バスは2階建てで階下には運転手とガイドだけで客が乗っていない。階上にはいたかもしれない。よく分からなかった。ガイドが説明してくれる。まあいいや、これに乗るよ。おお、自分はリスボンでカリス社の観光バスに乗ったよ。まあ、それはありがとう。料金を支払う。10ユーロである。二つの会社とも同じ料金である。今ここは青いラインのナンバー9で、あと少し行くと一回りしてナンバー1に戻るところよ、とガイドが案内図を見せながら説明してくれる。大きな橋を渡る。インファンテ橋で吊り橋である。川はドウロ川という。ポルトはポルトワインの積出港があるのでリスボンと同様大西洋の海が近い。いくつかのバス停に止まると客が少しずつ乗ってくる。案内図を手にして外を見比べながらしていると、もうナンバー1のバス停に来てしまった。そこで一度下車して名所見学をすることにする。

ボルサ宮に行く。見学の受付でガイド付きの見学だと言われ、11時30分から英語のガイドがある、予約しますか?と聞かれ、30分余りも待たなければならないのでしばし考えたが、参加することにした。時間があるので隣のサン・フランシスコ教会に行く。入口のある小道に向かうと、左手に修道院、右手に教会が並んでいる。修道院の方を先に入る。宝物がいくつかと地下のお墓を見せてくれる。男子修道院である。教会は中に入ると豪華絢爛たる装飾である。礼拝堂の椅子にちょっと腰をかけると、丁度11時のミサが始まるところで、これは拙いと思って出ようとしたが、タイミングが合わずそのまま居ると、カトリックの坊さんや神父さんが続々と入場してきた。聖歌隊がどこかに居るのだろう、遠くでよく見えなかったが、讃美歌が流れてくる。ミサの始まりになる。僧正さんが何か言い始めたタイミングで失礼することにして出口に向かった。ボルサ宮の前にはエンリケ航海王子の像が建っている。小さな公園にもなっていて、犬の散歩に来ている人がいた。ボルサ宮見学の時間になった。英語ガイドによる見学者は15人くらいいたろうか。ガイドの英語は流暢であった。ボルサ宮は商業組合の建物で証券取引所でもあったという。立派な会議室があり、歴代の重役の肖像画が掲げられている。家具調度類も立派である。アラベスク模様のタイルが張られている部屋があり美しい。見学者の中にはいろいろと質問する人がいてガイドはそれに丁寧に答えていた。

ボルサ宮の後は再びバスツアーに参加する。ポルトの旧市街を回る。ポルトの道路もリスボンと同様、あまり広くはない。いや、リスボンよりは広い。リスボンは何故あんなに狭い通りが多いのか?坂が多いせいなのだろう。とすれば首都としてはあまりよい立地をしていない。なぜポルトはリスボンに首都を明け渡したのか?理由があるのだろう。
いろいろ回ったけれど多くは名前の記憶がない。旧市街地を少し離れて西に行くときれいな住宅街に出合う。新興というほどではないにしろ富裕層の住宅であることは分かる。バスはさらに西に進み大西洋が見えるところまで出る。そこを大きくUターンして今度は川岸通りを走る。ここにもいくつかの記憶すべき名所があった。ポルトの川はリオ川と呼ぶ。大きな一回りを終えて元のナンバー1のバス停の付近に来る。方角が逆である。そこを通り過ぎて、ドン・ルイス橋を渡る。リオ川の対岸にはワイナリーが並ぶ。川岸で降りて食事にする。昼食と言っても例によっての持参品を川岸のベンチに腰掛けて食べる。ワイナリーのワイン運びの船が川岸につながれている。観光目的の意図がうかがわれる。長閑な眺めであり、長閑な生活である。

カーメンというワイナリーの見学を申し込む。英語の案内の時間が決まっていて少し待つ。我々の他にもう一組のお客さんがいて、二組4人が案内された。ポルトワインの造り方、ワイナリー会社の歴史などを若い女が上手ではないが慣れた英語で説明してくれた。もう一組は男2二人のメンバーだったが、そのうちの一人がよく質問をしていた。一人は地元、もう一人の質問男はその友人でアメリカかどこかから遊びに来た様子であった。ポルトワインはワイン醸造の初期段階でブランデーを加え発酵を早めに終了させるというプロセスが特徴で、ブランデーの甘みを保っているのとアルコール度数が20度と普通のワインよりも高めである。見学の最後には試飲がある。2種類のワインを飲ませてくれて、お味はいかがと言う。十年物と比較的新しいものとである。昨日レストランで少し飲んだが、今日のワイナリーの十年物は味が異なる。試飲で妻の分まで飲んだからほんのりといい気持ちになる。すっかり魅せられて1本買って行く気になる。18ユーロというから、2500円になるのか、それを1本購入する。

ワイナリーの後は、急な細い坂道を登ってドン・ルイス一世橋まで行き、さらに高台に登って、修道院の脇の展望台まで到達する。ノッサ・セニョール・ピラール修道院という名前がある。かなり大きな修道院である。修道院の脇の展望台といっても、見晴らしがよい広場があるだけなのだが、その見晴らしがすごくよい。ポルトの街は一軒一軒が貧しい感じがする。旧い建物で、世界遺産のせいなのか修復をするということがない様子で壊れたまま、壁が落ちたままという有様である。それがこの高台に立って眺めると実に素晴しいヨーロッパを思わせる眺めである。絵にも写真にもなる。土が赤いのだろう、赤い屋根、ベージュっぽい建物、形は中世のままの屋根、所々にある教会のとんがり屋根、中世の世界である。目の前の川も眺めを一層引き立たせてくれる。帆を張った船が岸につながれている。今は観光客向けの鑑賞用飾だけだろう。それが現代でもなんの違和感がない。美しいからである。その高台でしばらくの間眺めに浸っていた。そろそろ降りよう。
ドン・ルイス一世橋を渡る。ドン・ルイス一世橋はつり橋ではなく、アーチ橋である。電車と人が上の階を走り、歩ける。車は下の階を走る。電車はメトロと言われているがこの橋では路面のレールを走る。我々は長い橋をゆっくり辺りの風景を見ながら、また、写真を撮りながら歩く。さっきの修道院を見上げる光景も美しい。

ポルトの街の眺めを終えた後は、カテドラルらしき建物の横の道をとり、サン・ペント駅に行く。駅のホールの壁画を見るためである。ポルトの歴史が描かれている。色彩が美しいまま残っている。リスボンから列車で来るとここに到着するのだろうが、それほどの込み合いはない。もっとも人口自体が多くないせいであろう。駅の物騒さはあって、なんとなく胡散臭そうな男が何もせずに一箇所でじっとしているという様も見られる。
今日も歩きがあって疲れが出てきたから、夕飯を食べてホテルに戻ろうとレストランを探す。昨日と同じところでいいや、としてまた川沿いに行ったのだが、時刻がまだ6時なので食事メニューはなく、喫茶メニューであった。川沿いの通りとそれと直角の道路を少し往ったり来たりしていたが、結局レストランではなく、スナックに入り、ハンバーグとコロッケ、サラダで間に合わせてしまった。そのスナックももう売り切ればかりでメニュー品がなく、ショーケースのものがあるだけだよとお兄ちゃんが微笑みながら言う。コロッケは鱈のコロッケでそれなりにうまかった。

かくてポルトの観光は終了する。タクシーでホテルに戻る。素晴しい景色とポルトワインが収穫であった。もう来ることはないだろうが、時間と金があったらまた来てもよい。時間があってもポルトに2回目まで行く金があるかどうかは疑わしい。金の余裕があれば別の場所を選択するだろう。

10月15日(月)
帰途
スペインとポルトガルの旅行の最終日は、ポルトから飛行機に乗り、フランクフルト経由成田というスケジュールである。
朝早起きして、荷物のパッキングをする。ポルト発11:45なので、9:45までは空港へ行くという計画である。朝飯7時から30分余、あまりゆっくりしてもいられないのだが、この旅行でのいつものペースのゆったり気分が染み付いたか、8時近くに部屋に戻り、最後のパッキングをする。洗濯すべき物と洗濯した物とがごっちゃになってしまったりしていたが、それはよしにする。トイレットペーパーがなくなりフロントに電話をする。そんなかんやで8時半になり、チェックアウトしなければと焦る。ちょうと混雑の時間帯で、エレベーターが来ない、来ても満員通過。やれやれ、読みが悪い。チェックアウトのカウンタも列ができる。それでも問題なく完了する。タクシーを呼んでもらって空港へ向かう。朝の渋滞があったが、バスとタクシーは専用レーンがあるので助かる。それにしても車が多い。電車が少ないのだろう。放射線状の道路というのも災いしている。

ルフトハンザのカウンタでチェックインする。フランクフルトで乗換えがあってもチェックインはここだけで済む。ビジネスクラスのラウンジでしばしくつろぐ。全日空と違って一人はエコノミーだからラウンジは使えませんというようなことは言わない。妻もラウンジでジュースが飲める。ブランデーとリキュールを二種類飲んでほんわりする。妻がお土産を何か買いたいというので土産物屋に行く。土産物屋は一軒しかない。小さな皿を買う。定刻運行になる。飛行機はA320-200だったと思う。大きくない。今回も自分がビジネス、妻がエコノミーにした。全日空では妻にビジネスクラスをサービスすることにしている。飛行機が離陸し水平飛行になると直ぐ昼食になる。ビールとワイン、食事のメニューは忘れた。窓側の席だったので、下を見ると、フランスの平野が見える。ずっと田舎風景でフランクフルトの上空になってやっと都会の雰囲気が見える。ポルトガルとドイツは1時間の時差がある。2時間半のフライトで、フランクフルト着は15:20であった。定刻である。

フランクフルトの空港は往きのときに苦労したから今度は時間がたっぷりあるのでもう少し楽に移動するようにしたいとよく案内標識を見ることにした。案内にしたがって、エレベーターで下り、動く歩道を利用して別棟へ移動し、エレベーターを上り、出国審査と荷物検査を終えて、ゲートに入る形になる。スターアライアンスのビジネスクラスのラウンジで時間を潰すことにする。幸い一枚がエコノミーでも文句を言う人はいなかった。夜8時45分発だから、8時まで4時間を過ごすことになる。ナンプレをする。食べ物、飲み物はそれほどよいものはない。広いラウンジでそれはまあ大勢の人が利用している。妻が口紅を買いたいといってきたので、免税店に行くことにする。あまり時間がなくなってから言うから少し急ぐ破目になる。ユーロの現金が50ユーロ札と17ユーロがあった。エレナルービンシュタインHRのものはもう売っていないということで他のメーカー品を探す。適当なものがあったが19ユーロであった。1ユーロくらいで50ユーロを崩したくなく50ユーロ札を温存させるため、店員にまた別のメーカー品を探してもらった。17ユーロのものがあってそれに決めた。パスポートを見せてくれといわれたのでしようがなく、シャツのボタンを外してシークレット袋を取り出すと、キャッシャは呆れて見ていた。

全日空のゲートに入り、搭乗時間を待つ。ほぼ定刻に搭乗開始する。今度は妻がビジネスに乗る。エコノミーの席は中央のブロックの通路側で希望のところだった。水平飛行になって直ぐに夕食になる。酒を注文したがフルーティな酒を持ってきたので断って、ワインにした。あまり食欲も飲み欲も起こらない。ナンプレで時間を潰す。テレビを見る気にもならず。少し映画を見かけたが面白くなく直ぐにやめたというくらい。

10月16日(火)
飛行機の中で日が変わる。ドイツと日本はまだ夏時間で7時間の時差である。
14:50着は少し早めになった。無事成田着となる。やれやれ3年ぶりの大旅行の終了であった。あんなに脅かされていた、かっぱらいにあわずほっとしている。過剰なまでの心配であった。風邪を引いた。歩きが鈍った。体力が減退したことを痛切に感じる。
急ぐこともなかったので、京成スカイライナーを利用して日暮里まで、山手線で新宿までのコースにする。家に着いたのは、夕方6時近くであった。
                       (スペイン・ポルトガル旅日記 了)


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