週末はアルビレックス!

サッカーど素人ながらアルビレックス新潟にはまりこんだ「八百政」家のアルビレックスな週末。(コメント表示は承認制です)

言葉はいらない

2006年01月19日 | アルビレックス新潟
鈴木アルビもいよいよ始動。さまざまなHPやブログで練習の様子や移籍してきた選手の紹介なんかがあって、毎日PCにむかうのが楽しいです。新潟日報もこれからじゃんじゃんアルビの記事が掲載されるだろうし、「いよいよ始まるぞ」って感じです。

でも今日は、僕の「思い出の観戦記」を書きます。
僕がアルビレックスの魅力、スタジアムの魅力にとりつかれることになった1つのエピソードです。(相手チームがどこだったかは忘れました。2004年のホーム初勝利以降のゲームです。)

その日の席はWゲートのN寄りでした。右隣は女房。いつも通り2本の水筒に入れて持っていったコーヒーとお茶(車の運転があるのでビールは飲めない)を飲みながら、キックオフを待っていました。

しばらくすると左隣に20代の男性が座りました。手には荷物とビールを持っています。ですが明らかに彼の足の動きや身体の動きが不自然です。様子を見ると、彼が障害を持っているということがすぐにわかりました。おそらく脳性マヒ系の障害だと思います。首や身体をかしげ、障害を持つ方特有のぎこちない身体の動きをしていました。自分のことは自分でされていましたが、荷物をどけたりして僕たちなりのお手伝いを少ししました。

彼はホントに楽しそうにサッカーを楽しんでいました。言葉にも障害があるようで、「シンゴ、シンゴ」と慎吾選手を応援していましたが、その言葉は独特の様相でした。

僕も女房も、バリアフリーについての心得や知識も自分たちなりに多少あった(つもりだった)ので、「さりげない気遣いを彼にしてあげよう」と暗黙のうちに確認し、彼のことを少し気にしながらゲームを観戦していました。彼が落としたモノを拾ってあげたり、手を貸してあげたり。

その日のゲームは僕たち観客を魅了するに十分なものでした。劇的なゴールが決まり、アルビレックスはホームで勝利しました。ゴールの瞬間、そして勝利の瞬間、僕たちは立ち上がって(すいません、ゴール裏でなかったので座って観戦してました)みんなで喜びを分かち合いました。前後左右の皆さんとハイタッチし、肩を抱き合って喜びました。気が付くと、僕は左隣の障害を持った彼とも無意識のうちに抱き合って喜んでいました。左の彼も、右の女房も、そして真ん中の僕も、本当に嬉しがってアルビレックスの勝利を喜び合ったのです。

その時、僕は思いました。

さっき(ゲーム前やゲームの途中まで)の自分は、障害を持つ彼のために「何かやってあげるのが健常である自分の務め」とか「障害を持つ人には親切にしてあげなければいけない」といった感情ばかりが先に立っていた。それは、彼よりも自分の方が恵まれた人間だという、だから弱者を助けてあげなければならないという、自分の優位観に基づいた感情だったのだと。

ゴールの瞬間や勝利の瞬間に、無意識のうちに彼と抱き合って喜び合った時、僕の心の中には「僕は健常者で彼は障害者」「障害を持つ人には優しくしてあげなければならない」などというちっぽけな感情は全く消え失せていました。何の気遣いも照れもない、同じアルビのサポーターとして、同じ人間同士としてアルビレックスの勝利を喜んでいることに気づきました。

サッカーっていいな。ビッグスワンでの生の観戦っていいな。アルビレックスっていいな。言葉はいらない。今この時、同じスタジアムで空気と時間を共有するだけで、障害を持とうが持つまいがそんなことは関係なく喜び合えるんだ…と感じたのです。

バリアフリー。言葉で言うのは簡単です。でも、本当の「心のバリアフリー」ってのは言葉じゃない。気持ちなんだと思います。そしてそのことを教えてくれたのが、僕にとっては「アルビレックス新潟」であり「新潟スタジアム:ビッグスワン」なのです。



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする