太田知子の いきいき!健康長寿

健康医療ライターで介護予防インストラクターの太田知子が介護されない体づくり、若さと元気をキープする方法について語ります。

スリランカ 癒やし旅(下)本場のアーユルヴェーダを体験

2019年02月17日 | スリランカ シギリヤ アーユルヴェーダ

スリランカといえば、「アーユルヴェーダ」の本場。

ツアーのガイドさんが希望者を専門施設に案内してくれるというので、女性2人、男性2人と共に連れて行ってもらった。

そこはシギリヤの隣のハバラナという街にあるアーユルヴェーダ施設で、森の中にあった。

「アーユルヴェーダ」とはオイルマッサージのことをいうと思っていたが、実は世界最古の伝統的医学なのだそうだ。

体を浄化させて活力を回復させ、病気にならない体をつくるのだとか。

 

まずドクターが脈を測る。

    アーユルヴェーダに使うオイルについて説明する男性。隣の女性は医師


一緒に行った1人の男性は血圧が高いと言われていたが、脈を診ただけで血圧が分かるなんて本当かな?

その後、各自に体の不調を聞き、私は腰痛の持病があると伝えた。

荷物をロッカーに預け、セラピストの女性の案内で施術室へ。

衣服をすべて脱ぎ、バスタオルを巻いてイスに座る。

まずは頭部のオイルマッサージ。アロマオイルがいい香りで、とても気持ちがいい。

その後、ベッドにうつぶせに寝て、首から足の先まで丁寧なマッサージ。

とくに腰の辺りは念入りにマッサージしてもらった。

続いてあお向けになり、顔、胸、お腹、腿、膝、脛と全身をマッサージ。

足指の1本1本、足の裏まで丁寧にマッサージしてもらい、女王様になった気分。

最後はシローダーラ。額に温めたオイルを1・5リットルも垂らすトリートメントだ。

1時間以上もかかって夢心地のセラピーは終わった。

その後、セラピストの案内でサウナルームへ行き、薬草が敷き詰められたスチームサウナでデトックス。

オイルと汗でベタベタになった。

暑くて「もう限界」と外に出ようとしたら、ようやく迎えに来てくれてシャワールームへ。

オイルと汗を流すと、気分はさっぱり。生まれ変わったように爽やかな気分。

最後にハービティ―をいただき、2時間強のアーユルヴェーダ初体験は終わった。

費用は送り迎え付きで1万円。

最初は高いと思ったが、受けたサービスを考えると決して高くないと納得した。

 

スリランカといえば紅茶の生産が盛んだ。

かつてイギリスの植民地だった時代に紅茶の生産が始まり、現在も輸出高では世界一だという。

キヤンディからコロンボへ行く途中、ギラガマという街で製茶工場と茶畑を見学した。

2人のおばあさんが茶摘みを行っていた。

日本のお茶よりも大きな茶葉を摘んでいるようだ。

           ギラガマの製茶工場


日本では初夏に茶摘みを行うが、常夏のスリランカでは年間を通して紅茶の生産が行われているとのことだった。

 

スリランカの代表的な料理はインドと同様にカレー。

チキンのカレー、魚のカレー、豆のカレーなど様々なカレーをいただいた。

どれも美味しく、私の印象では、インドよりさっぱりした味のカレーが多かったように思う。

サラダや炒め物など野菜料理が多いのもよかった。

        市場には多種多様な野菜や果物がいっぱい

             魚貝類も豊富に売られていた


果物も豊富で、バナナ、マンゴー、パイナップル、スイカ、メロンなどは毎食、いただいた。

ビールの味は薄めで今一つだったけど、生のフルーツを絞ったフレッシュジュースは美味だった。

 

人々は穏やかで笑顔が素敵。

スリランカの人は目が合うと、両手を合わせ、笑顔で「アーユーボアン」(こんにちは)と挨拶してくれる。

いい思い出を後に、帰国した。

 


スリランカ 癒やし旅(中)

2019年02月13日 | スリランカ シギリヤ アーユルヴェーダ

シギリヤロックを制覇した後、ダンブッラに戻り、世界遺産の石窟寺院を見学した。

こちらも坂道を登らなければ辿り着けない。

汗をかきかき、一歩ずつ歩を進めると、岩山の中腹に5つの石窟寺院が見えてきた。


ここは靴を脱がないと入れない。

靴下はOKというので、破れてもいい靴下をはき、まず第1石窟の中へ。

釈迦が入滅する姿を表した大きな涅槃仏に驚く。

写真を撮っても良いとのことだが、1枚では写しきれず、頭と足を別々に撮影した。

続いて第2窟、第3窟へと進む。たくさんの仏像や天井画が素晴らしく、見ごたえがあった。

翌日は、シンハラ王朝最後の都として栄えた、スリランカ中央部に位置する古都キャンディへ。

キャンディは仏教の聖地で、町全体が世界遺産に登録されている。

ここの観光のハイライトは仏歯寺。つまり仏教を開いた釈迦(仏陀)の歯を納めた寺だ。


4世紀にインドからスリランカにもたらされた仏歯は代々王家に受け継がれ、最後にキャンディの仏歯寺に落ち着いたという。

スリランカは仏教徒が7割を占める仏教国。

国内の敬虔な仏教徒たちがたくさんお参りにきていた。

私たちも蓮の花を手に、裸足になってシンハラ建築の八角堂が特徴的な仏歯寺の中へ入った。

しかし、仏陀の歯は見ることはできない。

仏歯が納められている本堂に祭壇があり、そこに蓮の花を捧げ、手を合わせた。


周りは皆、真剣に祈る人々。その敬虔な信者たちが醸し出すおごそかな雰囲気に圧倒された。


仏歯寺を見学した後、伝統芸能のキャンディアンダンスを観賞した。


リズミカルな太鼓に合わせ、カラフルな衣装を着けた女性が踊る。

男性の踊りはバク転を繰り返すなど、激しい踊りが続く。

最後のファイヤーダンスには驚いた。

観客を舞台の上にあげ、燃え盛る炎を腕にかざしたり、口に入れたり。

焼けた石の上を歩くパフォーマンスも。

火の勢いが弱いと油を注ぎ、炎が高く上がる中を何食わぬ顔をして歩く男性たち。

観客からは歓声が上がり、興奮状態に。

1時間足らずのショーだったが、圧巻だった。

 

その日は小高い丘にあるホテルに宿泊。仏歯寺を向いて立つ大仏と仏歯寺の夜景が美しかった。

 


スリランカ 癒やし旅(上)

2019年02月11日 | スリランカ シギリヤ アーユルヴェーダ

インド洋に浮かぶ小さな島国、スリランカを先月下旬、旅してきた。

スリランカ航空の直行便で約10時間。コロンボ空港を出ると、生暖かいムッとする空気に包まれた。

気温は32度。極寒の日本から常夏の国に来て、体は戸惑っている。

そのままバスで180kmも離れたダンブッラへ。

スリランカは高速道路の発達が遅れており、ガタガタ道を4時間もかけて深夜にホテルに着いた。


翌日は世界遺産のシギリヤロックへ。

森の中にぽっこり浮かぶ約200mの岩山が、なぜ世界遺産になったかというと、1500年も昔、この岩山の上に王宮が存在したのである。

5世紀後半、ダートゥセーナ王の息子、カッサパはクーデターを起こして父を殺し、477年に王の座へ就いた。

カッサパの母親は平民出身で、本来は王族の母を持つ弟が王になるはずだった。

そこで弟が攻めてこないよう、都をアヌラーダプラからシギリヤへ移し、岩山の上に王宮を築いたのである。

その岩山の壁に500人もの美女のフレスコ画を描かせ、ミラーウォール(鏡の壁)を作ってその絵が映るようにした。

王様はおびただしい美女の絵に囲まれながら生活したわけだ。

その多くは消えてしまったが、今も18人の美女の絵が残っていて、シギリヤレディとして人気を呼んでいる。(ただし撮影は禁止)

美しいシギリヤレディたちを見た後、さらに登るとライオンテラスに到着した。


かつてはライオンの顔があり、開いた口の中を階段が通っていたそうだが、今は足の爪先だけが残っていて、その真ん中を階段が上へと続いている。

スリランカで最も人気の観光地だけあって、観光客の数がすごい。

                スリル満点の階段(階段を下るときに撮影)

 

階段は大渋滞で、そのため休み休み行くしかなく、1200段の階段は小1時間かけて難なく登ることができた。

頂上は360度の大パノラマ。

下には緑のジャングルが広がっている。

流れる汗に爽やかな風が気持ちよかった。


頂上は2段になっていて、上の段には建物の跡が、下の段には沐浴場やダンスホールの跡があった。

王様がダンスを観るのに座ったという玉座も。


しかし、栄華は長くは続かなかった。

王位に就いてわずか18年後の495年、亡命先の南インドから兵を引き連れて攻めてきた弟に敗れ、カッサパ王は自害。

都は再びアヌラーダプラに戻った。


1200段の階段も下りた後は、日本のJICAが作ったというシギリヤ博物館を見学した。

シギリヤロックの賑わいに比べ、こちらはひっそりしていて静かに見学できた。

シギリヤレディのレプリカが展示されており、その前で写真を撮った。