羽村市在住の画家、宮原武義さんが亡くなった。
大正14年生まれの88歳だった。
それを知ったのは3日前。宮原さんの息子さんという方から電話をもらった。
一人暮らしだった宮原さんは、自分にもしものことがあったら、この人たちに知らせてほしいと名簿を残していたという。
その中に私の名前があったらしい。
宮原さんとの出会いは10年ほど前。地域新聞社の編集長をしていた私のもとへ、品のある白髪の老人が数枚の絵を持って訪ねてきた。
「これらの絵を新聞に載せてほしい」という依頼だった。
その絵は、可愛い猫や犬が竪琴をひいていたり、バイオリンをひきながら踊っていたりといった、思わずクスッと笑ってしまう楽しい絵だった。
「この世の中は悲しい事件や暗いニュースが多い。だから私は絵画の中にユーモアを表現したい。そして、私の絵を見た人に元気になってもらいたい」と話していた宮原さん。その目が少年のようにキラキラ光っていたのを今も思い出す。
宮原さんは自らの作品を「漫風画」と名付けて、アートの世界で1つのジャンルとして確立することを目指していた。
漫画ではなく、漫画のようなユーモアのある絵という意味だろう。
そのために「ぜひ力になってほしい」と言われていたが、私には宮原さんが個展を開く時に観に行ったり、絵葉書を買ったりするくらいしかできなかった。
宮原さんは精力的に漫風画を描き、自ら売り込んであちこちの画廊でしょっちゅう個展を開いた。
漫風画を広めたいと、描き方を教える教室も開いていたようだ。
そのパワーには、いつも圧倒されていた。
高齢になると、若いころの思い出とか、後ろ向きの話が多くなるが、宮原さんからそういった話を聞いたことは一度もない。
自分の漫風画をいかに世の中に広めるか、いつも未来を見ていた。
「高齢になっても宮原さんのように前向きに生きたい」と、私はいつしか宮原さんを人生の師と仰ぐようになった。
コーヒーが好きで、午前中はいつもカフェで絵の構想を練っていた宮原さん。
息子さんの話では、大晦日に電話で話した時は元気だったという。
年が明け、新年3日に急に具合が悪くなり、知人が救急車を呼んで入院させた。
その翌日、亡くなったとか。死因は肺炎だそうだ。
最期まで介護されずに、いきいきと前向きに88歳まで生きた宮原さん。
まさに、「いきいき健康長寿」を実践された方だ。
葬儀には参列できなかったが、遺作展にはぜひ伺いたい。
そして、宮原さんの絵から元気をもらいたい。
暫く連絡がなかったのですが、用事がある時はいつも突然連絡があったりしたので元気で絵を描いておられるものと思っていました。
個性的な発想をされる方なのでもっと新作を観たかったです。
とても残念です。
ご冥福をお祈りします。