こんにちは 大橋みえ子です  

 皆さんの願いをまっすぐ区政に届けます

     日本共産党江戸川区議会議員

桐ヶ丘サロン「あかしや」を訪ねて

2019-12-15 22:48:11 | 日記
11月12日、熟年者支援特別委員会で北区の桐ヶ丘「あかしや」の視察に伺いました。
北区は高齢化率が25%と高く、平成30年の高齢者世帯は47505、そのうちの単身世帯は32711。視察に行った桐ヶ丘地区の高齢化率は41.6%と北区で最も高い地域で、商店街もシャッター街です。しかし、この街並みが映画やドラマの撮影場所としても有名になっているとのこと、そういえば、ドラマで似たような風景を見たような気がします。

高齢化率が特に高いのは、桐ヶ丘1丁目59.3%、桐ヶ丘2丁目56.0%、そのうち後期高齢化率が突出して高い地域です。
地域で一番必要とされていることは高齢者支援であり、その一端を障害者が担う(就労の場として)、誰もが気軽に立ち寄れる場所がほしいと、「桐ヶ丘サロンあかしや」を開設。3つの社会福祉法人の協同事業として平成28年6月に開設されました。
社会福祉法人 ドリームブイ (知的障害者)
社会福祉法人 東京聖労院(地域包括支援センター、特養ホーム)
社会福祉法人 北区社会福祉協議会

立ち寄る人に無料のお茶サービスを障害者が担うことで、サロンのやさしさやゆっくりさが心地よい空間を生んでいるとのこと。私たちも「あかしや」でお茶をいただきながら質問しながら交流ができて楽しいひと時を過ごすことができました。お茶を出してくださったのは、60歳まで働いていた障害者の方です。「あかしや」では、夏祭り、利き酒会、歌謡コンサート、夕食会などのイベントも行っています。
この事業を始めるために、アンケートを行い、住民が参加したいという活動が見えてきました。夜の外出は怖い、朝食なら行くというニーズです。平成31年3月から、朝食が提供できる「あかしや」改修工事が行われ、ボランティアも募り、地域から食器類の寄付をいただき6月か、6月から「朝活」がはじまりました。誘い出す仕組みをどう作るかが課題ですとのこと、例えば、AさんをさそうのはBさんに頼むとか

週一回:火曜日のみ
8時 メンバー集合で開店準備
9時 北区さくら体操、朝食提供(一食300円)
   ※各ボランティアが請け負っている。
10時 終了

「あかしや」の並びにドリームブイが食堂「長屋」を運営し、北区の「高齢者ふれあい食事会」の提供食堂になっています。
この食事会も注目です。
北区のホームページによれば、対象となる方は、区内在住の65歳以上、要介護認定を受けておらず、一人で会場まで通える方、初めての方、高齢の方優先。
会場により週一回か二回開催。4月から翌年3月まで。8月と年末年始はお休み。2か所以上は参加できない。アレルギー除去食などの対応はできない。
11時30分から午後0時30分。一食400円。納付書での支払い。
「長屋」の責任者の方は、高齢者支援を考えて事業を始めたとのこと、障害者の働く場を広げる熱い思いをお聞きしました。

中村哲医師への追悼ーしんぶん赤旗より

2019-12-15 08:36:34 | 日記
「アフガンの天に舞う」と題して、東京外語大名誉教授の西谷修さんが、しんぶん赤旗(12月15日)へ寄稿されました。整備を支援した用水路の前に立つ中村医師の写真と一緒に。
中村医師の活動は新聞を通して知っており、銃撃で死亡したこと、その命を懸けた活動に心から敬意を表するものです。日本が海外派兵の具体化を進める中、中村医師の活動の神髄をしっかり受けとめたいと思いました。また、自衛隊のイラク派兵を巡っての中村医師の発言にあらためて勇気をいただきました。

西谷名誉教授の寄稿文は以下の通りです。すこし省略して紹介します。
『中村さんは、現地を全く知らずに「テロとのたたかい」と称して空爆を繰り返す「文明国」を批判し、この地を住めなくして人々を難民キャンプに追いやり、生きるために麻薬栽培に手を染めたり、雇われて銃をもったりさせるのではなく、人々が生きる場をもてる最低限の条件を整えなければならないと考えた。干上がって荒れた土地を灌漑できれば耕地が生まれ、人々はそこで作物を育て、収穫して生きていくことができる。それを通して人々が生きる喜びを感じ、自分で成し遂げるという満足感も得られれば、人々は武器を持ったり殺しあったりしようとはしないだろうと。(中略)彼こそは「平和の戦士」である。ただしけっして武器をとらない。説得し、わからせ、互いを殺し破壊し合うのではなく、ともに生きる基盤を作るための作業に向かわせる。その闘いは、戦争と、戦争を解決手段とするあらゆる趨勢(すうせい)に対する闘いである。文字通り命がけの闘いだ。2008年にペシャワール会は一人の犠牲者を出した。(中略)2001年冬、米軍のアフガニスタン空爆が始まって一時帰国していた中村さんは国会に参考人として呼ばれた。そのとき自衛隊の派遣について問われた中村さんは、言下に、「百害あって一利なし」と答えた。すると自民党席から「売国奴」というヤジがとんだ。自衛隊の派兵を拒否する中村さんは、日本政府周辺からはこのような扱いを受けてきたし、その死を踏み台にするかのように、新たな中東派兵も決められている。だが、世界中から称賛される中村さんの功績は、戦争に抗って人々を生きさせるための努力にこそあった。(中略)戦争をしたがる、戦争にしたがるあらゆる勢力が、中村さんを地上から押しのけたのである。中村さんは銃弾に散ったが、その肖像はいまある航空会社の旅客機の尾翼に描かれてアフガンの天に舞っている』