こんにちは 大橋みえ子です  

 皆さんの願いをまっすぐ区政に届けます

     日本共産党江戸川区議会議員

8・5 天声人語を読みましたか?

2019-08-16 13:49:44 | 日記
朝日新聞「天声人語」に、私が最近知り合った江戸川区の被爆者団体「親江会」会長の山本さんが紹介されており、改めて、みなさまにお知らせします。

天声人語
元広島カープ監督の「ミスター赤ヘル」山本浩二さん(72)の長兄、宏さん(81)は、数年前まで被爆体験を人前で語ることなく暮らした。心境が変わったのは4年前のことだ。▼母親の法事で東京から広島へ帰郷した際、息子と娘に初めて体験を詳しく話した。2年前、同じ被爆者だった妻に先立たれる。「いま後世に伝えないと忘れられてしまう」と腹を決めた。都内であった追悼式(大橋注:江戸川区)で初めて語った▼7歳の夏、朝の通学途中、閃光を浴びて倒れた。意識が戻ると、一面、闇夜の暗さだった。頭と首、肩を焼かれた。後頭部の傷は深く、仰向けで眠ることもできなかった。多くの遺体が焼かれた校庭のにおいはいまも鼻の奥からぬぐえない▼きょうだい4人のうち、あの惨劇をあえて弟に語ろうと考えたことはない。「痛みが筆舌に尽くしがたく、思い出すこと自体がつらい。米軍への怒りもきえません」。毎夏、広島から記念式典が中継されると、迷わずテレビを切った▼球界で活躍する弟に迷惑をかけたくない。そんな思いから沈黙を保ったのではという私の仮説は、およそ検討外れだった。生きて地獄を見たものは、何年たとうと記憶に激痛を伴う。語ることは新たな苦しみとなる。そんなことに思いが至らなかった自分を恥じた▼この夏も各地の追悼行事に被爆者が参加し、求められて体験を語るだろう。投下から70年余が過ぎても癒えぬ「語り部」の痛みを思い、語ると決意した勇気に学びたい。

山本さんは、今年7月の原爆犠牲者追悼式のあいさつで、「原爆行」を吟じられました。詩吟によって、被爆の実相とその体験がより深く伝わるように感じました。山本さんは、区内の平和のイベントに多くかかわり、力を発揮されています。

第19回戦争展IN江戸川 2019にぜひご参加ください
8月31日(土)10時~19時 
13時 戦争への道「教育・弾圧・プロパガンダ」大野一夫さん
        14時 東京大空襲の夜 6年生だった私
        15:20 ぞうれっしゃがやってきた 合唱
        16時~19時:親江会の山本さんたちが大いに語るコーナーです

9月1日(日) 10時~17時
15:15 朗読、映画上映

タワーホール船堀一階展示ホール1・2 入場無料


74回目の終戦記念日

2019-08-16 13:17:48 | 日記
8月15日、この日は、侵略戦争をしないと誓った憲法9条を何よりも大切にしたいと決意を新たにする日でもあります。
私は、区議団3名と河野ゆりえ都議と区内を宣伝し、夜は、東京大空襲犠牲者慰霊の灯籠流しに参加しました。再び戦争の惨禍をくりかえさせない、憲法9条をかえるな、安倍内閣を倒すための野党連合政権を、と、訴えました。


西葛西駅では、地元の共産党の方にチラシまきを手伝っていただき、立ち止まって聞いてくれた方から大きな拍手と激励をいただきました。平井駅と新小岩駅では、台風の影響もあってかなり濡れましたが予定通り宣伝しました。激励をいただいたのは何よりです。韓国との話し合いがされないままの経済制裁のような安倍政権では心配が付きません。

私が生まれたのは栃木県佐野市です。東京から直線距離で約100キロの位置にあります。子どもの頃、明治生まれの祖母から、「東京の空が真っ赤になったのが2回あった。ここからもよく見えた。関東大震災と東京大空襲だ。江東区に親せきがあったから尋ねていったがひどいもんだった」と繰り返し聞いていました。関東大震災の流言飛語で様々な活動家、共産党員や朝鮮人が虐殺された歴史を忘れず、8月15日が、歴史を学び、再び戦争の惨禍を繰り返さない決意の日となるようにしていきたいです。

新潟市へ墓参り

2019-08-16 12:29:59 | 日記
8月11日、子どもたちの家族とともに、新潟霊園に墓参りに行きました。義母が一月に亡くなり、3月の49日の法要の後のしばらくぶりの墓参りです。小さい孫たちも3人一緒でしたが、午後の昼寝の時間にさしかかっていたこともあり、2歳の子は少しぐずりましたが、3歳の双子はあいかわらず元気で、墓石への水かけも水遊びです。きれいにするよと、水桶とひしゃくを使って全体に水を撒いて満足しています。小さい子は水遊びが本当に好きですね。

新潟の家も、購入してくれる方がいて、名残惜しいのですが、8月16日には引き渡すことになりました。増築もしましたが、古い家は築60年近くになります。特に親しくしていたご近所に挨拶に回りました。私も、約45年通った家ですから、売却するのは早かったかと感じる面もありますが、東京から家の管理に通う手間を考えると買ってくれる方がいればそれが一番いいかなとも思います。夫の決断に感謝です。