ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ダニーデン行:マザグラン・エスプレッソバー

2019年10月16日 | 南島:ダニーデン

サンディーマウントからの
帰り道にラーナック城へ
オタゴ半島の観光名所です。


カフェでコーヒーでも
と思ったら、カフェだけでも
入場料を払わなければならず

あきらめました
(※写真は2018年再訪時)


でもチケット売り場の年配男性が
「ご期待にそえずにすみません」
とそれは丁寧に挨拶してくれて、
逆に恐縮してしまいました。


「それならば
とやってきたのが街中のココ

しかし、閉っていました。


定休日というよりも

すでに閉店したよう。
(※滞在中毎日行って
毎日閉っていました)


目の前のココもすでに

営業時間外


4軒目の正直で、
すぐ近くだったココへ。

マザグラン・エスプレッソバー


自家焙煎の店でした



閉店間際のラスイチの客に(笑)

助かった~


スライスも美味しい



ブラックボードの絵が睡蓮
好きな花

古いレンガに合って
いい雰囲気だな~
と思っていたら、


このブラックボードは
定期的に変わるよう
お店のフェイスブックで
過去の作品が見られます。
チョークアートなので
消えてしまうのが惜しい


店を出るとこんな壁画

モノトーンでこんなに
華やかさが出るなんて


左の教会のような建物は

チャペルアパートメンツという


宿泊施設でした。

1863年に建てられたダニーデン
最古の教会を改装したんだそう。


ステキだけど駐車場ある

それともこの坂道に路駐かな(笑)



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ダニーデン行:恋人たちの身投げ岬

2019年10月15日 | 南島:ダニーデン

2017年10~11月のダニーデンは
15年ぶりとはいえ、3回目。


オタゴ半島での見どころである
アホウドリが身近に観られる
ロイヤルアルバトロスセンター


イエロー・アイド・ペンギンの営巣地
ペンギンプレイス


NZ唯一のお城ながら
キウイにはお化け屋敷
ラーナック城
などはすでに観光済み。


そこで今回はオタゴ大学を出て
ダニーデンに4、5年滞在した
友人イチ押しの場所を訪ねる
ことにしました。


そしてやって来たのが

サンディーマウント


春霞に包まれて

ため息が出るような


早春の光景



視界のすべてが

青と緑で


眺めているだけで

心が清められるよう。


自然の癒しを感じます。



鋭い棘で動物を近づけない

ハリエニシダ
鮮やかな色は
これぐらい。


どの季節に通っても

安らぐであろう小径。


数少ない建造物

風が強いので廃屋としても
永くは留まれない感じ。


散策する人が多いせいか

人を恐れないヒツジたち


望遠で引かなくても

本当にその辺にいます


沈黙もしていません(笑)

賑やかに鳴き合っています。


30分ほどでやってきたのが

キャズムとラバーズリープ


キャズムは亀裂という意味で



ラバーズリープは
恋人たちの身投げ岬



勧めてくれた友人から、
ままならぬ恋に身投げした
いにしえの実在のカップルの
話を聞いたのですが、

誰だか忘れちゃいました(笑)


この辺りは断崖絶壁で



突然地表が切れて



その向こうは大海原

好天の日は美しいですが
悪天候の日は恐ろしそう


サンディーマウントは
名前の通りの砂山でした。



春霞がなんとも優しく



厳しかった冬の風景に



優しくベールをかけるよう。



ここはぜひまたいつか



歩いてみましょう



できたら同じ季節に





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ダニーデン行:オタゴ半島でブランチを

2019年10月14日 | 南島:ダニーデン

2017年10~11月のダニーデン
歩き回った初日から一転、
2日目はクルマでGO


ダニーデンの観光名所
オタゴ半島へ

なぜこんなに奥まった場所に
ダニーデンが築かれたのか
と素人は訝ってしまうほど、
長い水路のようなオタゴ湾
その下側に広がるオタゴ半島


半島の対岸に街が広がり



ここは湾の一番奥まったエリア



カモメたちが日光浴中



半島の内側がドライブコースで
やってきたのは1908カフェ



1901年に完成した築115年以上の家。

1908年にワイヌイティールームと
なり、対岸のポートチャーマーズや
ダニーデンからのフェリー客で
賑わったそうです。


その後、自動車の普及でフェリーが
廃止されたため、船員の療養所、
葬儀場、郵便局などに使われ
綺麗に改装されて再びカフェに

という長い長い歴史がありました。


いくつもの部屋を打ち抜いたのか

とにかく相当な席数。


かつてのキッチン。初代のか?

そのまま残っていました。


冬はMUSTの暖炉。

今のオーナーによると6月は、
「雨が真横に降る」
ために店を1ヵ月閉めるそう。


テラスでも食事ができました。



私はスープで。



挟みモノ好きな夫は
トースティー
(※ホットサンド)



サラダにポテトを添えて

限界超えのブランチ(笑)


こういう地方の古い店は
カフェとは名乗っても
エスプレッソがなく
薄いなみなみしたコーヒー
に当たる可能性が


なので店に入って最初にするのが
エスプレッソマシンの確認
なのですが、ここは広くて

キッチンが完全に中なので
わかりませんでした


食後に雑談していたオーナーに、
「コーヒーはエスプレッソ?」
と聞いてみたら、
「それもできる」
という微妙な返事(笑)


出てきたのがコレ

ボリューミーなフォームで
フラットホワイトというより
カフェラテかと思ったら、
さらに何か違う


チラリとドア越しに見えた
キッチンには家庭用デロンギの
エスプレッソマシン
ブルーのアイコナでした
なるほど、ご家庭の味でした(笑)


オタゴ半島観光で立ち寄るには

いい立地でした。


後は海沿いの道を行きます。



山のような雲



本当の山

どちらも美しく、


幻想的な光景。

ハウスボートかと思ったら
本当の建物でした


行った日はこんな晴天でしたが、

木の形に自然の厳しさが伺えます。


やって来たのは半島南側の
サンディーマウント




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ダニーデン行:ズッキーニブラザーズ

2019年10月13日 | 南島:ダニーデン

2017年10~11月の
ダニーデン旅行は旅行記
7本目でやっと初日終了
このブログでは早1週間(笑)


疲れてたどり着いたのは

ズッキーニブラザーズ


オタゴ大学を出た友人の
友だち夫婦が経営する店
友人のお勧めでした

お腹ペコペコで
いただきまーす


こんな写真しかないくらい

店内は混み合っていました。
バースデーパーティーを
やっていたテーブルも


メインは炭水化物コンビ






ティラミスとコーヒー

というイタリア人以外が
やっているイタリアンに
ありがちな組み合わせ(笑)


帰り際には客足も引けてきて
オーナーと共通の友人の話に。
「彼女みたいにデキる人が
帰ってきてもダニーデンには
そういう仕事がないのよ~」
とちょっと神妙そうでした。


当の本人は、
「あの寒ささえなければね~」
と問題はそっちでした(爆)


南端のせいかこんな時間でも

明るくてビックリ


オタゴといえばビールのスぺイツ

ここも行かなきゃ
(↑飲まないけど)


1993年に初めて来た時に
泊ったホテルがどうしても
思い出せずにキョトキョト。

石造りのホテルだった気が
しますがどこも似ているし
今もホテルとは限らない?


夜のオクタゴン

平日でも混んでいて
週末は賑わいそう


ライトアップされた
市庁舎と大聖堂

徒歩で回れる場所は
街のさまざまな表情が
見られて楽しみ倍増


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ダニーデン行: タイエリ峡谷鉄道

2019年10月12日 | 南島:ダニーデン

旅愁をかきたてられたなら

乗ってしまえ


ということで

乗りました(笑)


今のダニーデン駅は観光列車専用で
通勤列車や貨物列車はありません。

完成当初の20世紀初頭には
1日100本以上の往来があり
100年後には乗降するのは
観光客だけという様変わり。


列車の運行はダニーデン市と
オタゴ遊覧鉄道トラストが
共同経営するダニーデン鉄道が
行っており、路線は基本2本。
(※季節運行路線もあり)


毎日2往復している
タイエリ峡谷鉄道の
午後3時発に乗車

渓谷を行くので上の窓が
あったのは良かったです


ダニーデンからプケランギ駅
まで往復4時間半
全長116キロです。

季節限定でミドルマーチ駅
まで行くことができます。


駅を出るやすぐに
そこは青と緑の世界。



緑豊かとはこのことか(笑)



山間部に入ってくると

牧場や民家は姿を消し


林業一辺倒に



ビフォア&アフター



そんな中を列車は行く

トンネルや鉄橋が何十とあり
19世紀にあっては大変な
難工事だったことでしょう。


早々に見えてきたのが
ワィンガトゥイ・バイアダクト

1887年に完成した国内最大の
ロートアイロン製の鉄道橋。


長さ197m、高さ47mで
この路線では最長にして
最も高い鉄道橋です。

建設中の様子
(※ウィキペディアより)


峡谷の底を流れるタイエリ川



いくつもある鉄橋の中で
クリスマスクリーク・バイアダクト
はカーブしていることで
有名なんだそうです。



通過してみるとカーブが
よくわかります



到着したのは途中駅ヒンドン

ここで降りられました。


鉄道がヒンドンまで開通したのは
1889年で、これは1890年頃の
クリスマスクリーク・バイアダクト

蒸気機関車と人の姿も。


ヒンドンにはゴールドラッシュで
1860年代前半から人が集まり出し
採掘が容易だったこともあり
すぐに金鉱が枯渇


その後はさらに内陸部の
プケランギで金の含有量が高い
石英脈が発見されたため、
最盛期にはこの一帯で5000人が
暮らしていたんだそうです

1900年のヒンドン鉄道学校と生徒


当時のヒンドンには学校や家、
店、ホテル、教会、郵便局があり

医者がいてパン屋もある町が
タイエリ川両岸に広がっていた
んだそうです。


今は山肌に自動車道が見えるのみ。

それ以外に人工的なものが何も
見当たらず、すべてが夢のように
ゴールドラッシュの終焉で消滅
しました。ダニーデンから
わずか24キロの距離でも険しい
地形は放牧に向かず、現在の
人口は70人だそうです


再び乗車して最終目的地へ。




プケランギ到着

鉄道は1991年にこの先の
ミドルマーチまで開通。
さらに内陸へと建設が
進みましたが、観光列車は
最長でミドルマーチまで。


ここでディーゼル機関車の
方向転換。手前はクルー。
年季の入った素晴らしい
解説をしてくれました。



客車と接続して準備完了



やっと撮れたトンネル+鉄橋の
ツーショット(笑)

ずっとこんな光景でした。


帰路へ。



ダニーデンのNo1観光アトラクション
だそうですが、納得まくり

3回目にしてやっとデビュー
子どもたちと来たかった(笑)


ダニーデンからウエストコースト
に行く5泊6日鉄道ツアーもあって
いつかリタイアしたら乗ってみる




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ダニーデン行:ダニーデン駅舎

2019年10月11日 | 南島:ダニーデン

オタゴファースト教会を出て
海に向かって下っていくと
見えてきたダニーデン駅



1906年に完成した
エドワーディアンバロック様式
なんだそうです。

オタゴらしい美しい石造り


個人的にはNZを代表する
最も美しい建物
だと思っています。

例えカネに飽かした
バブルの結晶だとしても
ここまで造り込まれた
建物はNZにありません。


1993年に初めて見た時の
驚きも思い出されました。



当時暮らしていた大都会の
シンガポールから比べると
こんなに田舎の街に
こんな立派な駅

と、衝撃的でした(笑)

今でも駅前を羊を乗せた
連結トラックが轟音を
立てて通り過ぎていきます。


ゴールドラッシュのバブル感を
いくら想像してもピンと来ない
ほど贅を尽くした壮麗さ。



床は精緻なモザイクで埋め尽くされ



かつての国鉄NZ鉄道のロゴ



ひとつひとつが手作り



ゴールドラッシュの栄華を
こんな形で残しておいてくれて
本当にラッキーでした

タイルはロイヤルドルトン製の
ポーセリンで計75万枚だそう


かつてのチケット売り場



あまりにもタイル尽くしで

公衆浴場風でもあります(笑)
勝手にテルマエ・ロマエを
思い出したけれど、
古代ローマにタイルはない


2階へと続く螺旋階段

駅とは思えない華麗さ。


階段の一段一段にも



モザイクのロゴ



2階のステンドグラス



こんなビールがありますね



ロゴ入りの擦りガラスに
アールヌーボーの
真鍮の取っ手

時代の先端だったのでしょう。


装飾だけを見ていても



潤沢な資金力がわかります。

カネに糸目をつけない
とは、このことか


ホームもNZのどの駅よりも



立派で今でも現役です。



駅舎を見ているだけでも
旅愁をかきたてられます。







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ダニーデン行:オクタゴン周辺散策

2019年10月10日 | 南島:ダニーデン

街は表通りよりも
裏通りが面白い

と思ってしまう方なので、
ろくにオクタゴンも見ずに
裏手に歩き始めました。


こんなアイコン的な建物が
目に入ったら、自然に足が
向くってもんで



ダニーデンらしい坂と石造りの建物



オクタゴンを取り囲む
文字通り八角形の
モレイプレイスで
見つけてしまった

黒猫カフェ
可愛すぎて息が止まり
そうだったこの看板


この看板がほしい

と心から思いました。


しかし、店は閉まっていて

行かれませんでした。


対面にも大きなカフェ



ビックリだったこの道は
ビューストリート



停まっているクルマも
降りてくるクルマも

転げ落ちてきそう(笑)


ここをマニュアル車で行き来
する人を尊敬します



老舗らしい中華料理店



ストリートアートが



あちこちに



小さな小さな映画館



あった~

友人が20年以上前の
オタゴ大学時代に
バイトしていた和食店
オーナーは変わっても
店はありました。
写真を撮って友人へ。


いろいろな時代の建物が

仲良く並んでいます。


こういうお店があるのも

ダニーデンならでは


ニットがちゃんとラグビーの
地元チームのオタゴ色



モレイプレイスの一角を占める
オタゴファースト教会

1848年の建立となっていますが
それは別の場所に建てられた
最初の教会で、現在の建物は
4つ目で1873年に完成


設計者はローバート・ローソンで
1872年にジョージストリートに
建てられた長老派ノックス教会
の設計者と同一人物でした。

カトリック教会のような
荘厳なゴシック様式で
完工時期もほぼ同じ


ゴールドラッシュに湧いた街の
長老派の勢いが感じられます。

珍しかったであろう
ツインパイプオルガン


見事な木造のアーチ型天井



ステンドグラスもイギリス製
らしい壮麗で精緻なもの。



資金難で建設が20世紀にズレ、
着工後も資金不足に悩まされた
セントポール大聖堂との対比が
鮮明に感じられます。

あちらは20世紀の未完の石造美
こちらは19世紀の完成の木造美



しかし、行った時は改装中で

こんな姿でした


さらにここの特徴を見るには
正面からではなく

裏から眺める方が良さそう
(※写真はウィキペディアより)


ノックス教会の比較とか
次回はしっかり見なきゃ


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ダニーデン行:オクタゴンとセントポール大聖堂

2019年10月09日 | 南島:ダニーデン

ジョージストリートを歩いて
やってきたのは市の中心の

オクタゴン


名前は八角形でも形は丸く
ジョージストリートが真横を
貫くように走っています。

オクタゴンの外側を八角形の
モレイプレイスという道が
囲んでおり、地図で見ると
ポケモンボールのようです(笑)


オクタゴンはバスターミナルや
飲食店が密集している場所で
古くからの中心地らしく
19世紀からの建物が建ち並び、
教会の密度も半端ないです


古い建物の象徴のひとつが
ダニーデン市庁舎

1878年に起工し、
第1期が1880年完工
第2期は1930年完工


現在の姿になるまで

半世紀もかかったんですね。


もうひとつがセントポール大聖堂

最初の教会は1863年に完工。
しかし、建築技術の問題で
1919年に現在の建物に
建て替えられました。


その結果、NZ唯一の石造りの
アーチ型天井が完成



確かに足を踏み入れた印象が

ヨーロッパのようでした。


NZも西洋社会だったんだ

みたいな素朴な発見(笑)


美しいステンドグラスの窓



これは中央の2枚に
ペンギンやアシカ、
アホウドリも描かれた
オタゴ・モチーフ



不思議だったのは
祭壇の周りだけが
モダンなこと

十字架もカラフルで
ガラスのプリント


同じ空間とは思えないほど
違う印象で、ここが境目

増改築されたよう


これには訳がありました。
1915年の着工以前も以降も
建設は資金不足に悩まされ
計画通りの祭壇と十字架を
造る余裕がなかったため、
建て替え前の教会のものを
仮に用いていたそうです。


1950年代には計画通りの
祭壇の建設が断念され、
1969年に建て替え前の
教会の祭壇が解体されて
今の祭壇ができたそう。


簡素でモダンな祭壇



振り返ったときの
壮麗で重厚な入口



その間をつなぐ美しい
柱とステンドグラス

1860年代の突然の
ゴールドラッシュからの
栄枯盛衰の絵巻のよう。


そのすべてが
ダニーデンのリアル



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ダニーデン行:ジョージストリート

2019年10月08日 | 南島:ダニーデン

15年ぶりだった2017年10~11月の
ダニーデン。私にとっては3回目、
移住後では初訪問でした。


ジョージストリートを進んで行くと

尖塔が突き刺さって
きそうな大きな教会


1872年に建てられた
ゴシック様式の
長老派ノックス教会



レンガや石造りの建物が増え



中心部に近づいてきたのが

街並みからもわかります。


混み合ったカフェで一休み

グッドオイルカフェ


たまたまだったのでしょうが

拭いたテーブルが脂ぎっていて


「グッドオイルってソコ~

とツっこみそうになりました(笑)


店舗の入り口が古いアーケードの
入口のように凝っていた店

ここまで完全に残っていることに
感激
(↑ステンドグラスLOVE


商店街のような街並みが続き



だんだん店がブランド化(笑)

これも中心が近い証拠


ウォールストリートと
きたもんだ

これはモールでした。


レストランも鈴なり。



広々としたスタバ発見



移住の下見に来ていた
15年前と比べても
子どもがいなかった
24年前と比べても



あんまり変わってない(笑)

この建物は記憶アリ


築100年前後の建物に囲まれると

ダニーデン市庁舎
1880年完工


1919年にできた

セントポール大聖堂


10年20年のなんと
みみっちいことか(笑)



やってきたのは市の中心

オクタゴン


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ダニーデン行:ココは渋谷区

2019年10月07日 | 南島:ダニーデン

旅行記で振り返ると
2017年10月という月は
ホントに忙しかった
と実感できます。


メルボルン
に続いて
クライストチャーチ
そして、月末からは
南島のダニーデンへ


先に旅行の計画を立て
後からオーストラリアの
不動産購入だの出張だの
予定が入った結果でした。


なぜダニーデンだったのか
というと、2016年11月に
クレジットカード加入で
もらった無料の国内線片道
切符
でネルソンへ行き、
その時に、選に漏れたのが
オタゴのダニーデンでした。


たまたま赤ちゃんの頃から
知っている友人のお子さんが
ダニーデンに留学して来る
ことも決定し、親並みに
喜んでいたところでした。


ダニーデンは1993年、2002年に
続いて実に15年ぶりでした


これは夕焼けではなく朝焼け

朝7時前には空港へ


10時前には到着

いつもながら爆睡
あっという間(笑)


は~るばる来たぜ
ダニーデン
(※字余り)

なにもない


空港もなにもなく

これは消防署


空港内もガラガラなら



パーキングもガラガラ

オークランドから来ると
地方のこのゆとりは
羨ましいです


レンタカーでモーテル直行

アムロスモーテルに宿泊
出窓のあるステキな部屋でした。


さっそく外に出てみると

「ココって渋谷だったっけ(爆)


こんな洋館なんですけど~



建物に増築された古いガレージは

サーフショップでした


渋谷だったりサーフィンだったり

手書きの間貸しの看板だったり


学生街のイメージそのままの
ダニーデンの素顔

1部屋1週間130ドルなり
ざっくり9000円


パッと見は可愛い洋館でも



代々学生寮になっているので

ボロボロ(笑)


これもそうかな?



かつてダニーデンの
学生街があまりにも
ゴミで溢れていて、
「サードワールド並み」
と新聞に酷評された
ことがありましたが、

行政が清掃していました。


ちょうど学年末で
学生の引っ越しを
何回か見かけました。
間貸しの多くも翌年の
新年度に向けたもの。


学園都市ダニーデンの夏は
学生が実家に帰っており
グっと静かになるもよう。


これはまたすごい集合住宅

スパニッシュコロニアル調


神よ、まだ勉強し試験を
受けている学生たちに、
平安と根気と忍耐を与えたまえ

学生街となると、
教会も一味違います


ココは渋谷でもなんでもなく

学生の下宿と
モーテルが建ち並ぶ
ジョージストリート



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夢見:逆さまのカーテン

2019年10月06日 | 浅き夢見し

夢日記として記録する夢では
過去最短かもしれない
一瞬のイメージだけの夢。


=============


年配の白人夫婦がカーテンを
さげようとしています。


窓には白い透ける無地の
カーテンがかかっており、

その上から厚いカーテンを
さげようとしているのです。


外が明るいので2人は逆光の
中にいて、さらに奥にいる
「私」からはシルエットの
ように見えるばかりです。


2人とも背が低く小太りで
英語ではない言語を話し、
奥さんは自分で編んだらしい
茶色の厚手のカーディガンを
着ています。


周りも逆光の中に沈んで
よく見えませんが、質素な
暮らしぶりのようでした。


椅子に立ったご主人と、床に
立つ奥さんは、あーだこーだ
と言いつつ、カーテンを広げ
なんとかカーテンレールに
さげようとしています。


奥さんは腕を広げ万歳をし
一生懸命カーテンを持ち上げ、
背伸びまでして支えています。
白いソックスを履いている
爪先立ちの小さな足が見えます。


ご主人は椅子の上で身を乗り出し
これまた一生懸命にカーテンを
さげているところでした。


2人だけでわーわーやって、
なんとか付きました。


しかし、よく見ると逆さまです。
ギャザーが寄った方が下になり
裾側が上に向かって広がって
いるではないですか


カーテンは窓に逆三角形のまま
ぶら下がっていました。しかし、
2人にとってはそれで一仕事を
終えたことになるらしく、
疲労困憊しながらも
ホッとした様子です。


「カーテンが逆さまでも
気づかないって、この2人は
どこから来たんだろう?」


そう思いつつ、重そうな
ギャザーの寄った薄茶の
カーテンの裾を見ながら
夢が途絶えます。


=============


夫婦はなぜかロシアからの
移民のような気がしました。
「どこから来たんだろう?」
という疑問は、NZらしく
「どこからの移民だろう?」
という意味です。


「どこから来たんだろう?」
という「私」の感じたところに、
「そんなことも知らないのか。
今どきそれってどこの国?」
という見下した思いはなく、


最初からギャザーの寄った
既製品のカーテンがない国
そいうものは手作りする国
なんだろうという客観的な
思いがあるばかりで、
それはどういう国なのか、
という単純な好奇心から
そう思っただけでした。


世の中に偶然はない
と信じるリアルの私。
それを目撃したことも
その後に感じたことも
きっと意味があるはず。


見聞きしたものを
反射的に狭量的に
決め付けない
判断しない

ということを
学んでいるようです。


情報が溢れるどころか
溺れそうになるほどの
ネット社会にあっては
自分がブレないこと
スルーすることも

また重要なのでしょう


「私」は夢には登場せずに
目撃しているだけでした。


肉体を持たない幽体離脱の
スピリットのままたまたま
そこに居合わせたらしく、
逆さまを指摘するでもなく、
「私」まで2人の仕事が
終わってホッとしていました。



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クライストチャーチ2回目行備忘録:2017年10月

2019年10月05日 | 国内:南島備忘録

そもそもは夫の出張だった、
2017年10月のNZ第2の都市
クライストチャーチ旅行


私には移住前の1993年と20
02年、移住後には次男と3人
で行った2012年に続く4回目


延泊して2泊3日にし、サク
っとドライブしてきました。


旅行記は意外にも11本
久しぶりの上に復興中で
見るもの聞くものが
興味深かったです



アディングトンコーヒーコープ

We exist solely for others
(他者のためだけに存在している)
と言い切り、利益の70%を
社会還元しているカフェ


震災から前へ前へ

旅行者には工事現場のようでも
現地の人々の暮らしは前へ前へ


ニューリージェントストリート

震災後2013年にリオープン
修復したにせよ、これだけの
街並みが残って良かった


南島のプチフランス

何度も足を運びたいアカロア


やっぱりかわいいアカロア

変わらない建物を愛でる楽しみ。


リトルリバー

アカロア行きのなにかと
ありがたい立ち寄り場所
特にテスラに乗ってたら


おいしい27段

ぜひ27段の階段を上って
行ってみたかった場所


段ボール製の仮設大聖堂

清々しく清らかな感動
私には伊勢神宮に通じる
ものがありました。


ワインの郷ワイパラバレー

初めての北カンタベリー
ぜひまた


リカトンハウス&ブッシュ

空港へ行く前の最後の
コーヒーブレイクのはずが


カンタベリーのディーンズ家

ジェイン・ディーンズの生涯に
触れることができました。


10月は気候もよく
お天気にも恵まれ
充実した2泊3日でした
ぜひ、またいつか



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クライストチャーチ2回目行:カンタベリーのディーンズ家

2019年10月04日 | 南島:クライストチャーチ

2017年10月のクライストチ
ャーチ最終日。カンタベリー
のパイオニア、ディーンズ家
の旧豪邸へ。とは言っても、


私にはスーパーラグビーの元
クルセイダーズ名監督にして
現在は日本のパナソニック監督
「ロビー・ディーンズの家でしょう
以上の知識がなかったので
さすがに調べてみました


第一世代はスコットランド出身の
ウイリアムとジョン兄弟で、
2人とも弁護士の教育を受け
1840年のワイタンギ条約締結直後
20代前半で順にNZへ移住。


悪名高き民間移住斡旋会社
ニュージーランドカンパニーの
植民地計画でやってきたものの
あてがわれたウェリントンや
ネルソンの土地に失望して、
現在のリカトンの借地権を獲得。
牧場経営に乗り出しました。


リカトンという地名も
エイボン川という名称も
彼らが命名したそうです。
リカトンのマオリ語名は
プトゥリンガモトゥ
(Puturingamotu)


弟のジョンが移住した翌年の
1843年に建てられたのが
ディーンズコテージ

リカトンハウスの奥に
隠れるように建っています。


1890年頃に撮影された原形。

(※クライストチャーチ市立図書館より)


今は屋根が葺き替えられ、
外壁もウェザーボードになり
ポーチも付いています。

カンタベリー平野最古の
建物だそうです。


中はミニ博物館になっていて
無料で参観できました。

当時の様子が再現されていて、
兄弟はここで一緒に暮らし、
マオリとの借地権の延長も叶い、
牧場は拡大の一途でした。


しかし、1851年にウィリアムが
水難事故で死去。享年34歳。


残された弟のジョンは翌年、
スコットランドに戻って
かつての恋人ジェインを娶り、
1853年に2人はNZに戻り、
長男ジョン2世が生まれました。


しかし、翌1854年には
ジョンも結核で34歳で急逝。
残されたジェインはNZに
留まり、息子のジョン2世が
跡を継げるまで家業を
引き継ぐことを決めました。


ジェインは大変な女傑で、
経験のない牧場経営に乗り出し
地域の顔として活躍しながらも
幼い息子とコテージで暮らし、

リカトンハウスの建設を進め、


夫の死後2年後の1856年には
完成した邸宅に移り住みました。



ジョン2世夫婦(最後列中央)と一家

2列目左側がジェイン
ジョン2世は大勢の子どもに
恵まれたようです。


2年足らずの結婚生活。
その間にもうけた一粒種。
植民地の牧場主の未亡人。


まるでドラマのような
ビクトリア朝時代の物語を
生き抜いたジェイン
夫の死後半世紀上経った1911年に
リカトンハウスで逝去。


彼女はジョンの遺言だった
「リカトンブッシュを守ってくれ」
という遺志を守り抜き、

ブッシュは1914年に
カンタベリーに寄贈されました。


ジェインのもとで増改築を繰り返し
盛りに盛ったリカトンハウスは



2人の故郷スコットランドの
石造りの建物を



リカトンブッシュの木材で再現した

ジェイン人生の結晶だったのか
と今になって改めて思いました。
(※写真はスコットランド人移民
が建設したオタゴ大学)


最後に会ったクロウタドリ

いいところに住んでるね。
またね


クライストチャーチ旅行記、
これにて終了


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クライストチャーチ2回目行:リカトンハウス&ブッシュ

2019年10月03日 | 南島:クライストチャーチ

2017年10月のクライストチ
ャーチ最終日は、やや忙しく
北のワイパラバレーから市内
に戻り、空港へ行く前には

リカトンハウス&ブッシュ


カンタベリーのパイオニア
ディーンズ家の旧豪邸



NZやオーストラリアでいう
homesteadと呼ばれる
牧場主の邸宅です。



何とも複雑な盛り盛り設計

1856年、1874年、1900年と
3期に分けて建設・増築されたため
時代を反映したビクトリア様式と
エドワード様式の折衷だそう


天井も壁も木材で覆われた内装



木だけでよくぞここまで
まるで彫刻のような内装

良質の木をふんだんに使い
壁紙や漆喰が全くない
天井と壁が一体化した
見たことのない造り。


ここは市の中心から
わずか3.5キロの位置で、
脇にははエイボン川。
アイガモもたくさんいます。

「ナニかくれるカモ




「ゴメンね、ナニもないの




肩を落として
帰っていきました



街中でありながらも
12ヘクタールの広さを持ち



都会とは思えない
深い林があります。



樹齢600年のカヒカテアの木



リカトンハウスはブッシュの木を
切り出して建設されたそうです。



カフェが併設されていて

テラス席がたくさんあります。
ここでチャーチの最後の1杯



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クライストチャーチ2回目行:ワインの郷ワイパラバレー

2019年10月02日 | 南島:カンタベリー

2017年10月のクライストチ
ャーチ最終日は仮設大聖堂
出た後、一路北上しました


アンバレーという場所で

ステキなカフェ発見
リトルビンテージエスプレッソ
これは「当たり」に違いない


と思ったとおりのコーヒー



そしてサンドイッチ



店名のとおりに小さくて
シンプルレトロな空間。

美味しいコーヒーと食事
温かいもてなしが旅行者
には一段と嬉しいもの


街道からちょっと奥まって
いましたが、見つけられて

ラッキー
周りは倉庫街でした。


さらに北上して来たのは
ワインの郷として有名な
北カンタベリーの
ワイパラバレー

クライストチャーチから60キロ
ワイパラ川流域に広がる場所で
ワイパラは「濁り水」という
意味なんだそうな。


ここはリースリングが有名で、
リースリング好きなので
やってきました

ワイナリーが26ヵ所もあるそう


まずはマッドハウスワイナリー



そこに併設されていたのが
植物多様性トレイル



リンカーン大学との共同事業で



すぐにクルっと一周できるのに



たくさんのNZ固有種が育ち



小さな生き物が生息しています。



「おいらはチガうニャン

ワイナリーのニャン


次にやって来たのが有名な

ペガサスベイ
カンタベリー地方の
ワイン業界の草分け
ドナルドソン家の
老舗ワイナリー


食事を楽しむべき
場所なのでしょうが
時間が合わず残念



見事な庭園



老舗の風格を感じます。



時間を経ないとここまで



造り込めませんよね。



太鼓橋までありました

緑に赤が映えます。


10月となると南島も



春爛漫



庭園を楽しむには



最高の時期だったのか?



お酒を飲まなそうな
中国人団体旅行客が
大勢いました~




北カンタベリーは
いつかゆっくり
回ってみましょう。


コメント (2)
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