のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

感動のこと(散文詩)

2023-11-19 | 心の旅

 

胸を突き破り

止めようもなく涙があふれてくる

そんな体験したことがある

 

胸が熱くなって

鼻がしらが酸っぱくなる

そんな体験もある

 

目前の風景に目を奪われ

理由もなく

ただ茫然と

喜びの感情に 押し流されたこともある

 

あなたの言葉に

激しく胸をうたれて

胸の詰まることがある

 

あなたの生き方に

魂が揺さぶられるような

共感を覚えたこともある

 

あなたの見えなかった真実に触れて

喜びや悲しみを超えた

むせび泣きもあった

 

名画名作に

思わず涙することもある

 

歌や音楽に心が突き動かされることだってある

 

いずれにしても

胸からこみ上げる熱い涙を体験する

 

それは四半世紀を超えて日本一になった

阪神の喜びとは違う

静かな

深遠なところからくる

 

飛び跳ねる喜びではなく

深いところが開かれて

一つにつながる

美しすぎる喜びのようだ

 

それが感動と呼ばれるものだ

 

感動は突然やって来る

予測できない出会い

それは自分で感じていながら

私自身にどうすることも出来ない

遠いところからやって来るのだろう

気まぐれの

そして

最高の気分

 

何故そんなことが起こるのだろう

 

感動は

心の中の塵一つないきれいな、綺麗な所から生まれる

不純物のない気持ちらしいのだ

 

感動の中心から外側に向かって見渡すと

不純物にまみれた

自分の姿が見えるだろう

 

なぜ感動が素晴らしいのか

それは自分の不純が

純粋を望むからに他ならない

 

では何が不純なのか

そう問いかけると

「認識」が真っ先に思い浮かんでくる

 

しかし認識を悪く言うのではない

認識は人間そのもの

たとえ不純と言われても私は人間が大好きなのだ

不純を愛すると

臆面もなく言える私だ

 

認識は

喜怒哀楽を作り出す

これが実物大の人間の正体なのだ

 

認識が不純だという理由は簡単に知ることが出来る

闇夜のカラスは認識できない

黒い中に黒いカラスは認識できないという

それが理由なのである

 

カラスを認識するためには

カラスをカラスではない世界に連れて行かなければならないのだ

正しくは純粋の世界にカラスという不純を浮かびあがらせること

これが認識の正体なのだ

不純とは全体につながっていない個別の存在のことである

 

純粋な世界に対して、不純であり続けることが

認識の宿命なのである

 

ところがまれに感動が起こる

それは不純を認識し続ける人間が

何かのきっかけで

純粋を認識したためだと分かる

 

感動を眺めてごらん

そこには必ず

純粋が見えている

 

それは勝ち取った喜びではない

純粋に触れた喜びなのだ

 

それを知るためには

幾多の体験した感動を思い出し

共通点を見出せばよい

 

感動の中に

私という自分はいない

 

感動の中に

そこに至る理由も理論もない

 

感動にある共通のもの

それは純粋の波動なのだ

純粋な波動が

全ての感動を貫いている

 

純粋の波動は己を忘れさせ

宇宙と一体になる

その体験が

感動なのだ

 

感動を見つめたら

新しい人間像が見えてくる

人間の可能性を信じてみたくなる

誰でも真実に触れることが

出来るのだ

 

そんな認識に向かって

さあ、旅に出ようではないか

 

 

 

 

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