のしてんてん ハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

「浄土」本願

2014-03-30 | 組作品「浄土」

4部作のいよいよ最後の作品イメージは、いろいろあったが、結局曼荼羅のような形になった。

すべてを受け入れて世界を眺めると、宇宙空間が呼吸のたびに体内に入り込んでくる。そんな実感が生まれる。

生も死も、一つの世界にいる。

究極の幸せはその真実に身を置いて、楽しむことだと思えてならない。

心の中にあらわれてくるそんなイメージをできるだけ正確に描き出そうとすると、曼荼羅に近い構図となることに何か不思議な安心感があるのはなぜだろうか。

4枚組の構図にある大きな4つの円には、誕生と死、花と実の4つの相が描かれるだろう。

だろうというのは、私にもわからないからだ。

その時になったら描くべきものは現れる。そう思い切って、4枚のキャンバスを並べて、大小の円だけを描いた。

 

 

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[浄土」苦楽

2014-03-28 | 組作品「浄土」

校庭の名物の桜が咲き始めた。

出勤の時間に、あれツ、咲いたと思った淡いピンクの斑点が

帰るころにはぐんと広がっている。

春のはやさを目にする思いだ。

その流れとともに浄土「苦楽」の全体が見えてきた。

長い道のりだったような気もするし、あっという間の出来事だったような気もする。

定年退職まであと4日というところまできた。

そんな思いも重ね合わせて、「苦楽」は私の記念碑としたい。

新たな世界に生まれ出る。

桜の花のように。

心のふくらみが満開となって咲き誇るだろうか。

いや、一輪だけでいい。

真実の花を咲かせてみたい。

 

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「浄土」苦楽

2014-03-21 | 組作品「浄土」

神とは何か。

ここでは神という言葉を多用するので、その意味を書いておきたい。

私のいう神とはもっとも自然な存在のことだ。

それゆえ決して、人の運命を変えたり決めたりするような存在ではない。

人を教え導き、救い罰する。そのような超人的な存在でもない。

恐れ、崇め、羊のように付き従うべき存在でもない。

このような存在は、人間が作り上げた偶像であり、もっとも不自然な幻想だ。

私のいう神とは正反対の、つくられた神の姿というしかない。

20年近く前に起きたオーム真理教の地下鉄サリン事件などは、つくられた神の偶像に踊らされた、盲信する者達が引き起こした悲惨な殺人事件だ。

神の名のもとに争い、殺し合う行為はすべてサリン事件と同罪というほかはない。

私のいう神は断じてそのようなものではない。

神は誰よりも自然な存在だ。

自然の中で生かし合う命そのもの、その命を優しく覆い包むもの、それが神というものだ。

それゆえ神は、私であり、あなたそのものなのだ。

あなたは神だ。生まれる前からあなたは神だった。

それが誕生の瞬間から、人間の皮をかぶって、あなたはちょっとだけそのことを忘れているに過ぎない。

そして死んだら、あなたは神に戻る。

私たちが考えなければならないことは、なぜ神は人間の皮を被らなければならないのかという事だろう。

そして私の答えはこうだ。

人間は、神が至福を感じ取るための感覚器ではないのかと。

無明の神が、人間という感覚器を通して自分を知り、世界の美しさを感じ、愛の喜びを得る。

人間とはそんな存在なのだ。

苦楽はその感覚器が成熟するために必要な体験学習のようなものだ。

深く苦悩を感じ取れる人は

それゆえ深い神の喜びを知る人と言えるのだ。

 

 

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「浄土」苦楽

2014-03-17 | 組作品「浄土」

「浄土」苦楽最後の作品は のしてんてん系宇宙 の主題であるスケールを意識して画面に大小のスケールを同じ画面に配置した。

世界は大きなスケールと小さなスケールが同時に存在している。それを可能にしているのが空間だという思いが、随分前から私の思いの中にある。

私たちはすべて空間に浮かんでいる。あるいは空間に包まれている。私は地に足を付けていると反論する人は大きなスケールで世界を見ればすぐにわかるだろう。足を付けている大地は丸く、まわりは空間しかない世界が見えるだろう。

自分の体を独自のものだと思う人は、小さなスケールでその自分を見れば自分を独自と思う根拠がどこにもないことに気付く。あるのは空間なのだ。

この体を作っている原子のスケールで観れば、原子の宇宙が広がっている。どこに自分の体を区別する境界線がある?そこにあるのはただ一つの空間だ。空間はこうしてスケールの違う世界を同時に散在させている。世界の本質なのだ。

別の話だが、たまたま見たNHKの日曜美術館で 藤城清治 影絵の世界を紹介していた。89歳という。自分の作品の裏側を惜しげもなくさらけ出して見せる内容に、私は大成した藤城清治の心を感じてつい見入ってしまった。そしてここにどうしても書かなくてはおれない瞬間を見てしまったのだ。

宮沢賢治の世界を影絵にするというライフワークを紹介する主題の放送で、風の又三郎の制作に密着取材する映像が続く中、ようやく最後の作品を完成させた。それを前にした藤城清治の嗚咽をもらす瞬間が二度も放送されたのだ。

89歳の涙。純粋に生きる者だけが得る至福の涙だ。

人の美しさを見せていただいた。

それをどうしてもここに書きたかった。

 

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「浄土」苦楽

2014-03-15 | 組作品「浄土」

政権が交代して、高校の授業料無償が再び有料となった。

おかげで現場は大混乱だ。

国の制度変更に、委員会からの現場指示のメールが夜中に送られて来る。

そのたびに入学者説明の資料をつくっては修正の繰り返し。

その渦中に私の最後の業務がある。小さいことだが、国の政変が地方の端末に及ぶ一場面ともいえる。

皆が行くというので私もついて行ったアナと雪の女王、女王が歌いながら一人氷の城に向かう場面を、15か国だったか次々と切り替わっていく動画を見て期待もあった。

娘が英語版というので、皆でそこに入ったのだが、話は映画のことでない。ちょっとした驚きを紹介したいのだ。

映画が進むうちに、後ろの席から聞える女性の笑い声が気になり始めた。

というのもあまりにもひんぱんに、ツボを外した笑いが起こる。時には大声で笑う。

鑑賞の邪魔もいいところだが、どこに彼女の笑いのツボがあるのか気になって仕方がない。

ロバのちょっとしたしぐさにも笑っている。小さな子供なのかもしれない。

しかし、映画が終わって、最後の字幕が流れ出しても笑っているのがあまりにも不思議だ。

劇場を出るとき、後ろの席を見た。

そこにアメリカ人らしい女性が4人ほど並んで座っていた。

これだったのか、

笑いは万国共通だが、笑いのツボは違うのかもしれない。そんなことを思わされた一日だった。

浄土「苦楽」は4枚無事完成する。

私の思うツボは、はたして皆に伝わるのだろうか。

絵もまた万国共通なのだが。

 

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「浄土」苦楽

2014-03-08 | 組作品「浄土」

3月に入って卒業式も終わり、瞬く間に最後の行事が進行していく。来週は入試関係の実務が続いて、新入生を受け入れて、その半ばで私の使命は終わる。

私の身にまとわりついた公務なるかせもあと半月あまり、自由の身となって温室から追放される日は目前だ。

心を空にすれば、私は生まれたての赤ん坊と同じレベルになる。

借金0、収入0、扶養者0、国家の枠を見なければ、私は私自身のためにだけ呼吸をする無垢の命となる。

この呼吸が私自身のためだという事実が、私が宇宙の一部として祝福されている証しだと思えるようになった。

誰もが無垢なる命を生きている。

悲惨な通り魔殺人、おぞましい叫びを上げる映像を見て怒りと悲しみが私の心に広がる。

怒りは、私の自我からやってくる。

そして悲しみは、私の外にある本願から出てくる。

あの殺人鬼にも無垢なる命が囚われている。

その無垢なるものの上に覆いかぶさっているもののおぞましさを想像すると、がれきの山にうずもれて一生出られないのではないかと思われる。

ガレキトハナニカ

それこそが自我のつくりだした幻の衣なのだ。

絹の衣だってつくり出せたのに、誤ってガレキノ衣を作り出した自我に包まれた無垢なる命に悲しみは深い。

 

 

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「浄土」苦楽

2014-03-01 | 組作品「浄土」

今、心は至福感から遠ざかっている。

どんよりとした曇り空のようだ。

そんなときは、何を考えてもマイナスの方向に向かていく。

私がもし、いくらかでも成長しているのなら、今このときに、何か違いがあるはずだ。

わずかでも違いがあれば、そこに真実があるのではないか。

思えばいつも崩れていく心の中にいた。

それが今は、それを眺めている。

崩れていく心の中にいたころは、マイナス思考に不安が広がり、逃れようとして逃れられない苦悩を積み上げていた。

今はそれを眺めている。そこに違いがある。

崩れていく心をとめることはできない。

その変化をすべて許して、母のように見つめればいい。

崩れたらまた新しい心が生まれる。

その変を繰り返しながら心は成長する。

それを眺めていられる心、

ふるいにかけてそれが最後に残るものだ。

 

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