のしてんてん ハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

「浄土」

2014-04-29 | 組作品「浄土」

朝目覚めたら、ストレッチをして外に出るようになった。

「今この瞬間に生きる」

 その実感を体の隅々にまで問いかける。そんなイメージで 思いつくままに局部を伸ばす。すると心と体がこの瞬間でつながる。

心地よい体の痛み。今私はその痛みだけになる。体側を伸ばすと脇腹がきしむ。その瞬間私の感性は限界まで引き延ばされた細胞そのものになる。

生きているということをトータルに感じている。

何の疑いもなくそう思い始めると、私の意識は宇宙と一体になる。

苦しいほどの至福が私の心を高揚させる。

だが私は知っている。その至福の高揚は、苦悩による絶望感と同じものだということを。

絶望から逃げてはならないのと同じように、その至福に手を出してはいけない。

1時間ほどストレッチを続けて外に出た。久しぶりに雨が降っていた。

傘を肩に乗せて草引きをしているうちに、ほとんど全身がずぶ濡れ状態になった。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」

2014-04-26 | 組作品「浄土」

浄土は真実をそのまま受け入れることのできた者だけが観ることのできる世界だ。

その途上のものはただ信じるしかない。

そして間違いなく信じる価値のあるものだ。

私は何度も何度も自分に言い聞かす。

何度も何度も理解し、

何度も何度も忘れ、

何度も何度も真実を探す羽目になる。

この不毛のような繰り返しが続いた、61年の人生から、自我の生まれるまでの期間をさし引いた歳月が私の心の中に刻みつけられている。

この不毛の歩みを続けたことだけは、自分をほめてやりたい。

いじめを呼び込み、ちょっとした心の痛みにも悲鳴を上げて登校拒否を続けた。

その弱さゆえに、人に取り入ろうと思い、それも出来ない己の心の矛盾に揺れ動きつづけた人生だったが、「この心の中に、必ず幸せがある」 この思いだけは、どんな場合にも揺るがなかった。

今私は、このことを心から自分に感謝し、褒めてやりたいのだ。

そのおかげで、私は生きて浄土を見ることができた。

幾多の苦悩は、浄土に至るための道しるべだったと、言葉を超えたところで理解した。

本当の意味でゼロの地点に立っている。

のしてんてん絵画「浄土」奉賛会がそこにある。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」

2014-04-25 | 組作品「浄土」

ちょっとした空き時間に、駒を動かして構図を楽しむ。

5月8日、9日の日程が迫ってきた。

作品をつないで屏風に仕上げるのだが、ゆとりを持って仕上げなければとんでもないところで失敗する恐れがある。

来週中には決めなければならないだろう。

今日は自分だけにしかわからないうれしいことがあった。

砂浜に腕ほどの太さの枝が根のように横に広がり、6畳ほどの面積を覆い尽くしている区域があった。2年前から、そこは見るだけでそのままにしていたのだが、先週の雨の日に何気なくそこに誘われて、地に這う枝を引っ張ってみた。

すると案外もろい木で、砂地ということもあって、根が動いて枝が持ち上がり途中でちぎれたのだ。そこで私の心に火がついた。

これを全部取り除くと決心して一週間、力の限界まで尽くして木をひきはじめた。それが今朝、最後の一本をひき終えたのだ。

自分の中にあるもっとも大きな煩悩引き抜く。そんな思いと重ね合わせて続けた作業だったので、私の中で本当に煩悩が一つきれいになったような気がしてうれしいのだ。

ちょうどその時朝日がびっくりするような光を放って昇って来た。

思わず合掌」する。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」

2014-04-23 | 組作品「浄土」

「本願」を中心に据えて、その左右に「門」を配置してみました。

その両端に、「道」を置き、「苦楽」を左右の端に持ってくると、現世から悟りに向かう物語のような配置になりました。

「門」は中央に空間が開いた構図を意識して描きましたが、今回はそれを逆転してみました。

するとご覧のように、門を通る一本の道が出現し、その道を空間が取り巻く構図が見えてきました。

作者である私自身が、驚いた展開で、これからも新しい発見があるのではないかと思います。

この形は、制作意図に沿った組み合わせですが、

もっと自由に、新たな風景と出会えることを楽しみにしたいと思っています。

興味がありましたら、画像からピースを作って、あなたの浄土を作ってみませんか。

面白い組み合わせが出来ましたら、是非その画像をお送りください。

9億人で試しても、一人100京回の組み合わせを新たに発見することができますので、組み合わせは無尽蔵にあると言ってもいいと思いますので、あなたの発見はきっとあなただけのものになると思います。

そして私の思いはまさにそこにあると言えるのです。

あなたの発見する浄土はあなただけのもの。私の観る浄土は私だけのもの。浄土とはそんなものだという私の思いに沿った作品だと言えます。

浄土は誰から与えられるというものではありません。

自分でつかむしかないのです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」

2014-04-22 | 組作品「浄土」

16枚の絵をピースにして作った自家製パズルです。

原寸は一辺が91cmの正方形ですから、全体で728cm×182cmの4双仕立ての屏風にして展示します。

画像がその原型で、右から左に向かって、「門」「道」「苦楽」「本願」順に並べています。

これを並べ替えて一つのテーマ「浄土」に仕上げるのが、この創作の最後の工程です。

私のもくろみはここにあります。

浄土は至福に満たされた世界だというのが私の思いですが、

その至福というものの正体は自然のままの命の営みなのです。

つまり浄土とは生きています。

浄土とはこれだと言ったとたんに、つかんだものは浄土とはかけ離れたものになってしまいます。まるで青い鳥のように。

ですから、私は作品の完成を、私の意志から解放して、神様に任せました。

偶然が作品を完成してくれるのです。

いろいろ組み合わせを楽しんで、心にもっとも響く組み合わせに出合えたら幸せです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」

2014-04-21 | 組作品「浄土」

16枚の作品が仕上がって、のしてんてん絵画「浄土」の土台は完成したことになる。

4枚一組で「門」「道」「苦楽」「本願」の4つのテーマを描き、これを一つにまとめて「浄土」という作品を作る。

問題はこれからだ。

すでにどこかで書いたが、「浄土」は固定された作品ではない。その組み合わせは億、兆を超え、京の10兆倍。正確には8、986、270、000、000、000、000、000、000、000通りの組作品ができることになるのだ。

完成品はこの数の中にある。

どうしようかと考えながら歩いていると、ゴミ置き場に捨てられているそうめんの桐箱が目に入った。通り過ぎてからふと妙案が浮かんで、その桐箱を持ち帰って作ったのがこれ。

桐の木は思った通り柔らかくカッターナイフで簡単に切れる。ふたの板を方形に切り分け、作品写真を張り付けた。底板を工夫して、2時間ほどで「浄土」模型を作り上げた。1/18の大きさだ。

パズルのような感じでピースを組み合わせて「浄土」の顔を簡単に再現できる。それが面白いので、何度も組み替えてみて、意外な形をいくつも発見できた。

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-19 | 組作品「浄土」

「浄土」本願のテーマは受け入れという言葉に集約されるように思います。

命の輪は宇宙の大きな器の中で動いています。

それに対して人間の知識は小さな己の中で閉ざされたままですね。

私たちには胎内の記憶はありませんし、死の瞬間さえ知りえないのです。

それが私たちの認識の限界だということを知らなければ、宇宙の命の輪を理解することはできません。

認識の限界を知るということで初めて、私たちに受け入れが起こります。

受け入れとはつまり、知識の外にある命のつながりを言葉を使わずに理解することだともいえるでしょう。

ですから、理解したかどうかの判断は、どれだけ言葉が増えたかということではなく、至福が訪れたかどうかなのです。

4枚組作品本願の完成で、とりあえずのしてんてん絵画「浄土」の16枚の作品は仕上がりました。

次の作業は、作品の仕上げと良い組み合わせを見つけることになります。

模型ピースを作って、パズルのような玩具も作ってみたいと思っています。

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-17 | 組作品「浄土」

死は忌み嫌うものの王様のような存在だ。

その王様を受け入れるということが浄土に至る最後の門ということになるだろう。

受け入れなくても、最後に死はやってくる。

最後まで受け入れないで死に至る苦しみは想像するだけで恐ろしい。

受け入れが生きることだと気付いたら、人はそんな苦しみを背負うことはない。

死もまた至福の中にある。それが本願の根本だと思うのだ。

死に対する恐れは、私の願いから生まれる。本願に対してこれを私願と呼んでもいい。

私たちは一個の人間として存在している。私願はこの限られた領域だけの願いということにになる。

そして他方、この私を含む広大な宇宙の願いを本願と呼べば、この二つの関係ははっきりするのではないだろうか。

私たちはもともと、本願の中に身を置いていた。

人として生まれ、頭脳が働き始めて、認識と思考が成長すると私欲が芽をだし私願が大きく光り輝くようになる。その光の陰で、本願はひっそりとその命を守り育てているのだ。

私願に目がくらんで、本願を見失った私たちにも、本願は私たちに分け隔てなく命を送り続けているのだ。

本願に気付くだけでいい。

本願を観るためには、こうこうと輝く私願の灯を一つずつ消していくしかない。

夜の街を想像すればわかるだろう。

街灯が消え、家の明かりが消え、最後の聖火が消された恐ろしい闇の中で、私たちは気付く。満天の星空の中に居るということを。

死を受け入れるということは

そういうことだと思うのだ。

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-15 | 組作品「浄土」

のしてんてん絵画「浄土」の組作品16枚の内、最後の作品となるのは死をテーマにしたものになる。

すべてを受け入れるところに真実が見えてくる。

人が生きる意味。人はどこからきてどこに行くのかという素朴な問いかけ。

これに100パセント応える言葉はない。

その答えは心にやってくる至福だ。

至福がなければ、どんな答えもどこかで間違いを犯している。

どこかで命の真実を拒否する心がはびこっているということだ。

受け入れの最大の難関は死だ。それゆえ「浄土」本願の最後を埋めるのは死を描くほかにはない。

そして私の感性はドクロを選んだ。

死を受け入れるというのは、死を正しく理解するということでもある。

恐れず正視すればそこにも至福の道がある。

それが本願ということでもある。

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-14 | 組作品「浄土」

12日に定例法話があるというので、準備をして出かけた。

作品のめどがついたので、案内状の内容を最終確認してもらったうえで発送する予定だった。

時期的にもうぎりぎりのところに来ている。

ところが寺は大門が締まっており、どうも例会があるような雰囲気ではない。あれと思って小門から入ると本堂も正面1枚を残して雨戸が閉められていた。

仕方なしに門を出て掲示板を見ると、定例法話は11日(金)となっている。私の思い込みが間違っていたということだ。

すごすごと浄光寺をあとにしてアトリエに戻ったがどうも気持ちがふさがったまま仕事がはかどらない。

夕刻、御住職と電話を通じて話すことができた。

「絵が大体出来上がり、展示のめどが立ちました。」

そういうと御住職は、「それはおめでとうございます」と答えてくれた。

「展示の前に、一度ご覧になりますか?」

「いやいや、その時でよろしい。絵はよく分かりませんでな」

信頼していただいているということなんだろう。ちょっとうれしくなる。

そのあと日程と時間の確認をして、それで日程が確定した。

5月の連休を含む日程と思っていたら、連休後の8日・9日に決まったということだった。

これは浄光寺の法要 永代経の日程に合わせて開催するということだったので仕方のないことだ。

急きょ案内状を修正してプリントする。

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-13 | 組作品「浄土」

最近目覚めると4時前後というのが多くなった。

暖かくなってきたせいもあるだろうが、何より日の出が早くなってきたことが原因だろう。

30分かけて浜まで歩き、草引きをしていると、すぐに東の空が燃え始める。

夜明け前が好きだ。

浜の1.5キロに及ぶ直線の遊歩道を毎朝歩く人とは顔見知りとなるが、6年前にさかのぼる。

早朝一人杖を突いた男性が、ぎこちない動作で遊歩道を歩いて行った。

それから毎日姿を観るようになった。

ほどなく、私の方が仕事の関係で浜に行けなくなって3年の空白ができた。

その空白から再び浜に足を向けたとき、二つの驚きがあった。

一つは白いマーブルの浜が草だらけになっていたことだった。一抱えもあるススキの株があちこちにあった。

1年ほど散歩を続けたころ、私の頭の中に、一日ひとにぎりの草を引いて行ったら、いつかもとの白い浜になるのではないかという考えが生まれ、決心して草引きを始めた。

もう一つの驚きは、杖をついた男性のことだった。

かつて杖を足に添えて、ゆっくり歩いていたはずの人が、その杖をリズム棒のように路面を叩き風のように歩いていた。継続の力を見せられた気がした。歩くことに集中している様子で、声をかける隙もない。そんな人だった。

それから私の草引きは3年目に入った。草だらけのマーブルビーチが、今は遠目に草一本もない風景を取り戻した。

そして先日、草引きでしゃがんでいる私の背中に声が届いた。

振り返ると、杖をついた男性だった。

男は私の草引きをほめてくれた。それで私は男性の努力に驚いたことを話した。

6年前にひざを手術して、リハビリで歩き始めたということを知った。

私は、5月の浄光寺「浄土」奉賛会のことを話した。

「案内状を2枚ほしい」男はそう言った。1枚は自分のために、もう1枚は知人に勧めたいということだった。

めまぐるしいスピードの時代に何か不思議な気がした。

6年かけて知り合いになる。そんなこともあるのだと。

奉賛会までひと月を切った。作品は最後の一枚を残すのみだ。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-11 | 組作品「浄土」

生命のリングを、種子から誕生とくれば次は花ということになる。

花のイメージを私の中で探ると、いのちの重さと深さを感じさせる大輪の菊の花に行き当たる。

手前味噌ながら、菊の花は2000年花の美術大賞展で大賞を頂いた。

それ以来何度も描いている。私にはなじみの深い花だ。

「浄土」本願の3作目はこの花に決めた。

無数の花びらが中心に頭を向けて折り重なっている様は、求道の徒を思わせる。

そしてもっとも菊の花たらしめているのはその周辺を取り巻く成長しきった大きな花弁なのだ。

成長した花弁はもはや中心に向かわない。頭を己の進む道に向けて天を指し、やがて地に向かう。

この一連の花弁のかたまりを見ていると、人生を歩む姿と重なってくる。

本願を表現する4辺の一角はこの花しかない。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-09 | 組作品「浄土」

人となるために、受精卵は分割を繰り返し、生物の進化の過程を繰り返す。

細胞はなぜ、まっすぐ人に向かって成長しないのだろうか。

そう思うと、この体が永遠の過去につながっていることを実感する。

今のこの私は私のものではない。そんな考えが自然に出てくる。

だからこそ命は尊いのだろう。

胎児を描くのは難しかった。

つかみどころのない命のかたまりを線で描くのはつらいところがある。

線を進める方向がわからないのだ。

頭で描くのをついにあきらめた。

ただひたすら、胎児の生まれることを願って線を引き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-07 | 組作品「浄土」

種子から新たな命が誕生する

描くべき対象は本願を思いついたときからすでに決めている

そして私のもっとも苦手なもの

ふわっとして、暖かく穏やかな透明感をもつ胎児の姿だ。

私の筆力では、あの姿を描くことはできない。出来れば避けて通りたいのだが、そういうわけにもいかなくなった。本願を描くためには欠くことのできない姿なのだ。

直接目にすることはできないが、

胎児の映像は最も身近に、わが子の姿を目にしたのが最初だった。

妻のおなかで、気の遠くなるようなドラマが展開している。

たった2つの細胞が人として成長していくというこの真実を私たちはどうとらえたらいいのだろう。その存在そのものが本願を現している。

どのように言葉を使っても、言いつくせない心をえぐられるような真実。

それが胎児の崇高なドラマだ。

そこでは愛という言葉さえ片鱗の花びらに過ぎない。

胎児は無駄に消えた何兆個もの精子のドラマの上に成り立っている。

愛にある裏側の厳しさは計り知れない。

「浄土」本願、2作目はそんな思いで描き進めた。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「浄土」本願

2014-04-05 | 組作品「浄土」

命のサイクルに切れ目はない

それは一つの輪として存在している

そして至福は、その唯一無二なる命の全体を受け入れることで訪れる

すべての人が等しく、平等にしあわせになる道はここにある。

その願いを本願と呼びたい。

本願を目覚めさせてくれる種子、これが今回の4枚組作品「浄土」本願の第一作目だ。

種子という言葉で真っ先に浮かんだイメージが蓮の種房だった。

蜂の巣のように開いた穴の一つ一つに、新しい願いがはぐくまれている。

初めて目にしたのは、就職して大阪に出てきてからだったのは確かだが、詳しいことは忘れてしまっている。

ただ茶色の堅い蜂の巣のような種房を見たとき、得体のしれない神秘な感覚を覚えた。それが蓮の花のあとにできる種房だと知ったのは随分あとのことだった。

美しい蓮の花とつながったとき、私の中に説明のできない感動のようなものが背中を走ったのを覚えている。

命の始まりと終わりをつなぐもの、

それをはぐくむ種房の形に今も心が動く。

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加