のしてんてん ハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

2015年の最後に伝えたいこと

2015-12-30 | 5次元宇宙に生きる(空間)

2015年もあと残すところ、2日となりました。この1年をありがとうございました。

このハッピーアートでは、折々の私の心、のしてんてんをお伝えしてまいりましたが、年の瀬の最後にどうしても伝えたいと思うことを書きます。

近年の異常気象はじわじわと人間の意識に大きな不安を生み出しつつあります。下手をすると世界が大恐慌に陥る可能性さえ見えないわけではありませんね。

人の心はこれからどうなっていくのでしょうか。4次元の概念だけでは人類は行き詰る。そんな気がしてなりません。

人間はさらに高次元の意識を持たなければならない。それが私の提唱する5次元思考なのです。「のしてんてん系宇宙」と名付けた5次元思考を出来る限り紹介し続けておりますが、今回ちょっとした解説を書く機会があり、それが案外分かりやすく表現できたので、それを今年最後のメッセージとしたいと思います。

以下は、私の「のしてんてん系宇宙論」の基本柱となる5次元についての解説です。

私たちは今、4次元の概念で世界を見て自分を感じ、社会を理解しています。喜びも悲しみも、苦悩や怒りさえ、空間と時間(4次元)に準拠して自然に心を生み出しているのです。

4次元は私たちの心にしみ込んでいて、物事を考える基礎となっている事さえ気づかないほどです。

 私の提唱する5次元とは、この4次元の概念に加えて、もう一つの新たな概念を発見したことから生まれる世界観の事です。

今、想像できる最大の世界と最少の世界を思い描いてみてください。せいぜい頑張って、銀河が無数に浮かぶ宇宙空間と、ニュートリノの飛び交う空間という事でしょうか。これが4次元から生まれる世界観です。

これ以上の大きな世界をイメージできない大きな原因は自分自身(認識主体)にあります。認識主体である自分の身体は、絶対に不変で決してそのスケールは変わらないという、当然すぎる認識があるからなのです。

 5次元宇宙は、この認識主体自身の身体のスケールが極小から極大まで自由に変化するというイメージを持つことで認識できる世界です。認識主体の変動は、例えばミクロの決死圏という映画でも分かるように、簡単に想像きる概念です。これを私はスケールの系と名付けました。

 空間は、今立っている場所を起点にして、高さ、幅、奥行きの3方向に無限に進むことが出来ると考える3つの概念からできています。(空間の系)

時間とは現在を原点にして過去と未来が永遠に続く概念ですね。(時間の系)

そして、今この自分の大きさが極大と極小に変動するという概念(スケールの系)をくわえた、

5つの概念から想像できる世界と、そこから生まれる心が5次元宇宙なのです。

 

私はこの宇宙観を「のしてんてん系宇宙」と名付け、そのイメージを絵に描き続けています。人の心の癒しと幸せを願ってキャンバスにシャーペン一本で描く絵画です。それは5次元宇宙からのメッセージでもあります。

5次元思考は、すべての人びとが、等しく神そのものだという理解に到達します。新しいスケールの概念は、時間の概念の囚われから人類を解放する働きがあります。

過去の因習、憎悪、怒り、復讐、そのようなものから解放された人類の世界を思い描くことが出来る。それが5次元思考なのです。

5次元の概念が、人々の中に浸透すれば、地球はもっと穏やかで幸せな世界になるのでは・・・・いつもそう思っております。


是非、興味ある方は、のしてんてん系宇宙論をお読みください。

皆様、よいお年をお迎えください。

年があけましたら、皆様とともに、5次元宇宙の旅に出発すべく、準備したいと思います。新年もまたよろしくお願いいたします。

2015年12月30日

のしてんてん ・ 北籔 和(Waa)


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裸眼で見る喜び

2015-12-27 | 日記

老眼鏡がなければ本が読めないことになって久しい。

そんなことが原因なのか、図書館に行かなくなった。そう気付いて思い返してみても、自分の意志で図書館に行った最後の記憶が見当たらない。

先日、彼落ち葉のように、妻にくっついて図書館に行ったのだが、目にとまったのがこの本。

大きな活字の本が並ぶコーナーがあって、若いころちょっと小ばかにして通りすぎていた。それが誘われるように足を止めたのだ。

思わず手前の本を手に取り、開いて私はカルチャーショックを受けた。

見やすい。読みやすい!裸眼で無理なく読めるし、行の文字数が少ないので、会話が飛ぶようにやってくる。

見栄も何もいらない。さっそく興味のある本を探して借りて来た。

赤川次郎の小説。何十年ぶりかわからないが、裸眼で一気に読んだ。字が大きい分、三分冊、総700ページ。

若いころはこんな読み方をしたものだ。そんな気分を久しぶりに味わった。

これが裸眼のありがたさなのだと思うと、

何十年も若返った自分の心を観たような気になった。

本はいい。モニターで見るのとは全く違う、これは異質の文化ではないかと思った。

逆に、モニターで失われる人間性を感じずにはおれない。

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神秘の世界

2015-12-25 | 心の旅

Wikipediaから画像拝借しました

宇宙の姿をとらえた画像にはじめてであったのは中学の図書室にあった天文の雑誌だったかもしれない。

黒い闇の背景に浮かぶ天体。その中の青い星が地球だと知ったのはこのときだったような気がする。

神秘の世界は私の心の中で最も神聖な場所にある。ふるさとであり神の世界。

その銀河がアンドロメダ銀河とぶつかる話を聞いた。何億年という単位の時間の中での話だが、興味深いのは、その時地球はどうなるのかということだった。

天文学者の言うには、地球には何の影響もないのだそうだ。

銀河同士がぶつかっている最中にも、地球はこのままにあって、普通に生活している。そう考えるとなんだか自分が神秘のただ中にいるという気がしてくる。

のしてんてん系宇宙的に言えばまさにこのドラマは、神の体が成長してく姿を原子のレベルで見ているということになる。まさに銀河が融合離散を繰り返して体が成長する。

そしてこれは同時に、我々人間の体に起こっている原子レベルの姿なのだ。

世界をみつめる自分の大きさを自由に変えるという意識を持てば、私たちは神の姿も人間の姿も、おなじ宇宙のドラマとして理解できる。

神秘を丸ごと自分自身に置き換えることも出来るのだ。

スケールの概念を持てば、あなたはこの銀河を自分の姿として認識できるようになる。

日々の悩みは、宇宙の中に消える。

 

 

 

 

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宇宙とつながる門

2015-12-22 | 心の旅

吾唯足を知る

この言葉は、心を探求するものにとって、真実に入る最後の門となる。

欲の皮を一枚ずつはがしていくと、やがてきれいな本質だけが残る。足るとはその本質で満たされた状態だと理解すれば、足るを知るということはまさに人の目指す最後の目標と言えるのかもしれない。

足るとは満足であり、感謝につながる。

足るとは100パセントの自己肯定であり、即身仏と言っても過言ではない。

即身絵画があってもいい。

具体の白髪一雄の作品など、まさにそんな絵画に違いない。

のしてんてん絵画もそこを目指したい。

私の心の旅もようやく、進む先が見えてきたのだろうか。

描くという至福に感謝するばかりだ。

 

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瞑想

2015-12-18 | 心の旅

心の99%は思考がつくり出している。

そして苦悩は100%が思考だ。思考による救済は自苦自救となり、いつまでも同じところを回り続ける。

それゆえ、瞑想には意味がある。

瞑想は思考をいなして心の1%をみつめる。

そこに、思考エネルギーと宇宙エネルギーの接点があるのだ。

瞑想だけが、実在の至福を見せてくれる。

 

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宇宙と心

2015-12-17 | 心の旅

己を穿つ。

そう心に定めて内へ内へと進んできた。

まるでモグラのように土を掘り、

窒息しそうな穴をくぐりぬけた。

本当にこんな向こうに宇宙が広がっているのだろうか。

自殺行為だと責める最大の敵も己の一部だ。

太陽のごとく光を放ち、世界を駆け巡る夢に背を向け、

ただひたすら、己の心を遡る。

正しいのか?

不安と迷いと、欲と羨望。

義務と正義。孤独と恐れ。

それが心を穿つ、そのただ中にまみれ窒息させようとするものの正体だ。

穴を掘る意志と、抵抗し悲鳴を上げる心の本体。

それでも先に進むのか。

己を穿つその先に宇宙はあるのか。

全ての抵抗を受け取り黙らせたら、

最後に残るのは意志だけだ。

ドリルを動かす意志、そのエネルギーだけが、宇宙に届く。

人の根はそれほど深いのだ。

だが間違いなく人はその根から宇宙のエネルギーを吸収している。

宇宙とつながる絵。のしてんてん。

それが生まれれば、

私はすべての責任から解放される。

 

 

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意外のこと(早朝の浜が大賑わい)

2015-12-15 | 日記

先日放送された『Mr.サンデー』の話で、まだ暗い早朝の浜がにぎわった。

みな、オイタさんを知っている面々だ。

私を入れて10人ほどのおじさんが立話に花が咲いた。

昨日またオイタさんが新聞に載ったんだとか、『Mr.サンデー』が再現ドラマまで入れて紹介するのはすごいことだとか、皆身内のことのように喜んでいる。

暗いニュースばかりが目立って、いつの間にかみなの心に不安な重苦しいものが漂っている。そんな中で、誰にも気付かれず、身近にひっそりと咲いていた善行に光があたったのだ。

みなが驚き、喜ぶのは当然のことだ。

そう思えば、マスコミは光なのだろう。光の当て方で世の中は全く別の見え方がする。

今回のマスコミの光はすてきだ。

 


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意外のこと(その後)

2015-12-14 | 日記

昨日の『Mr.サンデー』は良かった。

日根野駅の美談、オイタさんの特集は孫にも見せてやりたい。

朝、浜でよくあうMさんが、興奮した様子で、

「いい話やった。データーまでとって、乗り間違いの外国人が0になるまでガイドを続けるなんてすごいことや」

最後は涙目になって喜んでいた。

私は展覧会の最終日で何やかやとまぎれて結局見れなかったのだが、その様子がよくわかる。

録画を予約していたけれど、失敗して再現できず、それだけが心残りだ。

私の画像は、構成で時間が取れずカットだと、丁寧にお詫びの連絡もいただいた。

意外なことの続いた一週間だった。


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克VS和展、最終週です

2015-12-12 | 展覧会

克は今、海外をかけまわっています。

年間20回近くの海外アートフェアを画廊兼アーティストとしてめぐる旅人。

和は今、座ったままで心の奥地を探索中。

宇宙のエネルギーと、思考エネルギーの接点を求めて旅を続けています。

この二人展はいよいよ、今日、明日の2日間で終了です。

今日(土曜日)はPM3時から、

明日(日曜日)は正午から。会場いたします。

会場までのアクセスは、地下鉄中央線新石切駅から、バスが便利です。

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意外のこと(捕捉)

2015-12-11 | 日記

昨日、アトリエで携帯が鳴った。

制作中の絵の中にようやく入り込んだところだったので、心が現実に戻るのに時間がかかって、携帯を開けたら切れていたというのが大方のパターンなのだが。相手が辛抱強く待ったくれたのか、間に合った。

知らない番号だったが、携帯の向こうから若い女性の声がした。

フジテレビの誰それと言ったが、名前はなかなか頭に入ってこない。が、声のトーンが先日の早朝に取材のためにカメラを回していた女性だとすぐに分かった。

案の定、話はその折の取材内容についての確認だった。私がしゃべった話で聴き落としたことがあったらしい。そこで私も、おじさんの名前をあらためて確認させてもらった。

「オイタさん」。長年、浜で顔を合わせながら、私は草引き、オイタさんは草刈りや、花の世話。それぞれ好きなことをして、「ご苦労さん」と挨拶を交わす仲なのに、互いに名前を気にすることはなかった。思えば不思議だ。

オイタさんは、暗闇で草引きを続ける私に小さなライトをくれた。私は大いに感謝し、お礼を言ったのだが、その時も互いに名前をきかなかったし云わなかった。

なんといえばいいのか、それが自然だったのだ。名前は必要なかった。

それがまわりまわって、こともあろうか、テレビ局のデレクターから聞くというのはボケた話だと思って笑ってしまう。

ところで、オイタさんを紹介する番組は、大事件がなかったらという条件付きで、今度の日曜日、午後10時から始まるフジテレビ宮根誠司の『Mr.サンデー』だということだった。

私が草引きをしている映像はカットされていると思うが、JRを動かした男オイタさんの紹介が番組の中で流れますので、興味があれば是非見てください。

意外で動く人の世界に身を任せ、

意の中から、いかに意外に繋がるか。それが今の「のしてんてん絵画」の主題なのだが。

 


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意外のこと(結)

2015-12-10 | 日記

先日作品の搬出に、丹波まで出かけた帰り、JR日根野駅を通過した。

日根野駅の手前で、今まで聞いたことのない車内放送があった。電車を日根野駅で切り離す案内だったのだが、それに続いて英語のアナウンスが流れた。そして中国語、韓国語と続いた。

JRをひとりのボランティアのおじさんが動かしたのだとすぐに分かった。私は、浜で草刈りをしているおじさんの姿を思い浮かべた。毎朝出かけるマーブルビーチの草引きで、顔を合わせるおじさんが、その人だと知ってから、一層電車内の旅行者が気になるようになった。

日曜日のまだ暗い朝、マーブルビーチで、テレビ局の取材を受けていたおじさんに呼び止められてはじめて、そのことを知ったのだ。

取材の最中に、乗り間違いはかなり減って、昨日はゼロだったと聞いた。

それでも関空行に乗り換えない韓国人の団体が私の座っている車両にいた。落ち着きがなく、何度も電車の運行図をみていたので、声をかけようと思ったのだが、その視線が図の和歌山方面に向いているので、思いとどまった。

和泉砂川駅でその一団も降りる。ほっとして私も一団のあとから改札を出た。

意外なことは、強い印象を与える。

つくずくそう思わされる出来事だった。

 

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意外のこと(続き)

2015-12-09 | 日記

住居からの最寄駅はJR和泉砂川。

大坂から快速に乗ると、日根野を過ぎて和歌山方面にある駅だ。下手をすると、日根野から関空に行ってしまう失敗をする。

その原因の一つは、私のドジなのだが、もう一つはJRにあると常々思っていた。

和歌山に行くなら和歌山行の電車に乗る。関空に行くのなら関西空港行の電車だ。子供でも分かる理屈なのだが、問題はJRがこの二つの電車を連結して走らせていることにある。八両編成の電車が、日根野駅で切り離され、前の車両は関空へ行き、後ろの4両は和歌山に行く。

日本人の地元の私ですら、たびたび意に反して関空に行ってしまうのだから、関空を利用する外国人は輪をかけて大変な難所となっている。

和歌山行きの電車の中でうろたえている外国人を、日根野まで繰り返したこともある。そんなさなか、新聞で老人の美談を読んで、立派な人もいるものだと共感したことがあった。

日根野で間違えて和歌山に行ってしまう外国人があまりに多いいことに心痛めたその人は、JRに改善を申し出たが相手にされず、そこで自ら列車を間違える外国人の数を調査し、ガイドを始めたのだという記事だった。その熱意に、ようやくJRも認識を新たにして動き出したという意味のことも書いてあった。

日根野のホームで、入ってきた電車に入り、関空にいきそうな外国人を見つけては、正しい電車を教えて回る。出来ることではない。日本にはこんな人もいると思うと嬉しくもなる。いい新聞記事だった。

最近特に海外からの旅行者が増えた。特にアジアからの旅行者は顔つきも同じで見た目でわからない上に、生活習慣が違う人たちの行動が傍若無人に見えて、私の本心は少し冷めた目で電車の中の旅行者をみていた。こんな善行を思いつきもしなかった。まさに意外と言うしかない。

それをこの人は、自分の時間をさいて、外国の旅行者のために毎日動いていたというのだ。新聞が大きく報じるのは当然だし、おもてなしの鏡として、日本の誇れる心をみたような気持ちになった。

その気持ちも日が経つうちに、自分事にまぎれてやがて忘れてしまうのだが・・・

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意外のこと

2015-12-08 | 日記

私がマーブルビーチの草引きをはじめて4年目になる。

その間、毎朝そこで会う人たちの顔ぶれは随分変わってきた。

そんな中で一人だけ、ずっと目にする人がいる。特に親しく話をするわけでもなく、互いに目を合わせたらぼそっと挨拶する程度だった。それが去年の暮だったか、暗い中草引きをしていては手元が見えないやろと、小さなライトをくれた。

それでも、私達は互いに名前を訊くことも、告げることもなく、相手の人となりだけに好意を感じて深入りすることもなかった。そんなおじさんがいる。

月曜日の朝、いつののように海岸に行くと、海の家のテラスにそのおじさんが座っていて、若い女性が対面でテーブルに座っている。意外な光景だった。

私が挨拶して通り過ぎようとしたら、意外なことに、おじさんが手招きをするのだ。いつもなら互いに自分の思うところにいる人が・・・そんなことを考えながらテラスに行くと、若い女性はライトをつけたカメラを回していた。

おじさんは、とあるテレビ局の取材を受けていたのだ。

話を聞くと、大声を上げるほど意外な話が返ってきた。

その意外は、もうひとつ話をしなければならなくなるので、今日はこれまで。

今日はどうしても、描きたい作品が待っていいる。3日間描けなかったら、心の空間が恋しくなる。

この話は続きにします。

 

 

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本日から、克VS和展中日です。

2015-12-05 | 展覧会

今日、明日と、私は会場に行きます。

写真は先週のオープニングでの一コマ。Facebookからの引用です。(写真村瀬)

 

背景の作品は石田克の作品。

自家製の和紙(こうぞ100%の特性和紙)に墨で、5千人以上の人物が描かれています。その人物がさらに大きな人の顔になったり、風景になったりして、独特のユラユラの世界、克ワールドをつくり出しています。外見だけをみるとグロテスク感がありますが、それは人への愛に裏打ちされています。

私の、のしてんてんには、人物は一人も出てきません。背景は闇があるだけです。己のしあわせを求める私の作品には愛がないのです。

克の愛に対して、並立する値打ちがあるのか、その答えは、観ていただくあなたの中にしかありません。

類例のない対決です。

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発見

2015-12-04 | 日記

面白い発見をした。

さびた包丁が出てきて、これを磨きこんでやろうと心に浮かんだ。

最近、心に浮かんだことを実践することが増えたその一つがこれがったのだが、

そこに発見があったのだ。

家にあったちっさな研石でごしごしやるのだが、なかなか難しい。らが出来て包丁はいつまでたってもピカピカ光らない、包丁の刃に意識を集中して、絵を描くより真剣にやってみるが、思うようにいかない。

一日5分と決めて、包丁研ぎを5日続けたらあらかたの錆は取れたが、イメージにある日本刀のようなものにならないのだ。

一週間続けてあきらめて研石を片付けていた時、意識がふと、その研石に向いたのだ。

で、驚いた。

それは、一週間使い込まれて、えぐられたように真ん中がへこんで、しかも全体に傾いてすり減っていた。まるで私の靴底のようにかたよっているのだ。

私の背中に電撃が走った。

俺は、刃をきれいに研ごうとしていた。それが間違っていたのだと分かったのだ。

やり方が逆だった!!

刃で研石を研ぐのだ。

私は鉛筆絵画の真髄をみたように、興奮した。そういうことだったのだ。

それから私は、研石の表面を真っ平らになるように、包丁の刃を使って研いで行った。

私の直観は真っ芯に触れたのだ。

包丁が光るようになった。自分の顔が写る。

意外なところに教えられることはあるものだ。

自分の心を研ぐということも、そこにつながる何かがあるかもしれない。

 

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