のしてんてん ハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

五次元宇宙の実証性(3)

2016-01-31 | 5次元宇宙に生きる(空間)

量子力学というミクロを扱う世界で、シュレーディンガーの猫という有名な話がある。それをネットで調べていたらこんな面白い問答集が見つかった。学者対凡人的なやりとりに思わず笑ってしまいます。ちなみに私は凡人側です。

シュレーディンガーの猫を頭の悪い俺にわかり易く説明してみろ

 ところで、この問題は、目に見えない素粒子を検出する装置で、猫の入った箱はふたが閉められて密閉されている。素粒子が発生したら、中に仕組まれた缶から毒ガスが出て猫が死ぬ。という装置。

猫が死んだら素粒子が検出されたことがわかる。しかし猫が死んでいるかどうかはふたを開けるまで分からない。つまり、ふたをしている間は、猫が死んでいる状態と生きている状態が両方存在するという説明が、凡人には納得いかないのです。

これは人間の認識が、宇宙とかかわる際にでてくる必然的な問題だと私は思います。猫・・の問題は、認識できないミクロの世界を、人間が確認できる世界に置き換えたために起こる一種のパラドックスのようなものかもしれません。

同じことが極大の宇宙を認識する際にも起こります。見上げる星空。なかには何億光年も離れているところからやってくる銀河の姿もあるでしょう。

この星の姿は、つまり光が旅をはじめ、地球に到着した今の姿を伝えているわけですね。するとこの星空は、星から光が飛び出して、地球に届く間に消滅しているかも分からない。つまり猫・・と同じことになるわけです。

この観測不能の隙間がいたるところに存在する。これが私たちの認識の限界なのです。科学の観測問題は、この認識力に対応しているのだと思います。

この認識不能の期間を「認識の闇」と呼びましょう。

するとこの闇は、実はどこにでも存在するのです。「私」が認識するすべての物に対して、闇の存在するのがわかるでしょうか。そしてスケールの軸を極大、極小、どちらに向かって行っても、闇は拡大していくのがわかりますね。

この認識の闇はなぜ起こるのかわかりますか?

それはつまり、「物」を認識しようとしているからなのです。素粒子も、星も、物質ですね。その物をみようと認識がはたらいている。それが理由なのです。もし、認識を「物」に向けず、空間に向けたら、闇は現れない。空間を研究することで物の説明が進むかもしれません。凡人の私にはそう思うしかできないのですが、物理学ならぬ空理学を呼びかけたいと思います。

5次元の思考は、空間を観ると言いました。空間の認識は私たちにはまだ経験がありませんから、奇異に思えますが、認識の闇を回避するためには、空間に認識を向ける以外に方法はありません。

科学がもし、空間の研究に眼を向ければ、人類は新しい発見をするのではないか。そう思のです。

どんな方法があるのか、

この5次元宇宙論では、世界を認識するために、認識主体の変動を提唱しています。分かりやすく言えば伸縮自在のスケール号に乗って宇宙観察をするというものです。

残念ながら、他にあるかは知りません。

 

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五次元宇宙の実証性(2)

2016-01-28 | 5次元宇宙に生きる(空間)

素粒子と地球の大きさの比は(1対10の22乗)、これはスケールの螺旋構造に共通の比率だと考えていいと思います。そうすることで、素粒子がヒトをつくるという行程が永遠に繰り返される、スケールの軸を思い浮かべることが出来るのです。

  

このスケールの軸に沿って、(10の22乗)という比率は面白い着想を示してくれます。

たとえば、この宇宙の始まりはビックバンだという考えかたがあります。

( この画像は、悠久の世界(i-Mart)に掲載されています。)

これは、均衡したエネルギー状態の宇宙から、どうして宇宙が生まれたのかという疑問を解き明かそうと、現在の科学が進める研究から生まれた想像図です。

もし私に、(10の22乗)倍もの大きな目があって、その眼でこのビックバン宇宙を見たとしたらどうでしょうか。 

そこにはヒトが生まれる姿が見えるかもしれません。母親の胎内で発生する受精卵から成長するヒトの姿と考えることも出来るのです。

そして、宇宙の崩壊はヒトの死に相当するかもしれない。つまり、死によってふるまう原子の動きをみれば、宇宙の崩壊も解明されるかもしれません。

ビックバンから宇宙が生まれる時間は何億年と言われていますが、この宇宙の時間は、私たちの時間では、100年にも満たないかもしれません。スケールの大きな世界は、それだけゆったりと時間が流れているように見えるのです。

なぜ、天体の形や動きが、原子と似ているのか、そんな研究をしてほしいと思いませんか?

科学がそこまでメスを入れたら、きっと新しい何かが生まれる。私はそう思います。

 

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五次元宇宙の実証性

2016-01-27 | 5次元宇宙に生きる(空間)

私たちが認識する極小の世界。原子。

これはたとえば、こんなイメージですね。

 

そして極大の世界、宇宙。

 上の2枚の図は、悠久の世界(i-Mart)に掲載されています。

私はこの2枚の図はスケールの違う世界ですが、おなじ性質を持った世界だと考えます。

次の私の図は、スケールの世界を表したものですが、一定のスケールごとに、おなじ性質の世界が現れてくる、螺旋の構造をしています。

あるスケールの周期で、おなじ性質が繰り返される。

(素粒子⇒細胞⇒組織⇒ヒト) 物の世界は、このように一つの元素が集まってかたまりをつくり、それを積み重ねてヒトが出来る。元素を積み木に例えるなら、ヒトは完成した作品です。素粒子によるこれ以上の構造物はないのです。

そのヒトが立っている地球は、一回り大きなスケールの素粒子として振る舞い、同じようにヒトを作り上げていく。私はそれを神人(カミヒト)と名付けました。素粒子と地球が同じだとすると、素粒子の上にヒトが棲んでいると考えることも出来ます。これを素人(モトヒト)と名付けたのです。

この考え方は、のしてんてん系宇宙(五次元)を奇異に感じるかもしれませんが、あくまでこれは便宜上の話で、信じる必要はありません。しかしそれが人間と同じものかどうかは別にして、スケールの世界は私たちが充分に想像できるものなのです。それをあると考えることで、私たちはスムーズにスケールの世界を理解することが出来るのです。

ところでこのスケールの世界に科学のメスを入れる事は出来ないのでしょうか。ありがたいことに私たちが実証できる範囲の中に、スケールの1サイクルが含まれているのです。

まさにこの、素粒子と、地球の関係こそ、スケールの1サイクルにあたるわけですから、この世界を比較研究することから、スケールの世界を実証することは可能だと思います。

私の計算で、素粒子と天体の比率は約 1対10の22乗となります。

10の22乗という数字は、1の後ろにゼロを22個付けた数字です。1億がゼロを8個付けた数字ですから、(一億×一億×100万)

つまり素粒子の(一億×一億×100万)倍の大きさが地球ということになるわけです。

科学がこの研究をはじめるきっかけとなればありがたいものです。

私たちは空想を広げましょう。私の体の(一億×一億×100万)倍の大きさが神人で、そのまた(一億×一億×100万)倍の大きさが、第二の神人となる。これが延々と続いて行きます。

更に私の(一億×一億×100万)分の1の大きさがモトヒト、さらにそ(一億×一億×100万)分の1の大きさが、第二のモトヒトの世界になる訳です。

スケールの概念は私たちにこんな世界を見せてくれます。

私たちは神の内部に棲み、その私たちは自分の内部に素人(モトヒト)を宿している。私たちはヒトであると同時に神なのです。

 

 

 

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5次元対談

2016-01-27 | 5次元宇宙に生きる(空間)

私のかつての上司だったMさんに上本町ギャラリーに来ていただいて、ゆっくり絵の鑑賞をしてもらいました。

私にとっては、そのあとの対談に気持ちが行ってしまって、Mさんが接待の茶を飲み干すのを待って、「行きましょうか」と立ち上がったら、「おいおい、まだ絵を観てないよ」というのが対談の始まりでした。

Mさんは居合の有段者(確か8段)で、上司と部下の関係で職責をになった3年間に、体と気に付いて、武術の視点を超えてたくさんのことを教えていただいた。私にとっては退職してもなお、いつまでもいい上司という思いが続いている唯一のひとで、気配りの行き届くやはり今も上司なのです。

Mさんにつられれて鶴橋の焼き肉店に、5時の開店を待ちきれずに入り、気が付いたら11時前、それでも足りなくて、帰りの電車の中でも体と気の話。私は最終電車。帰宅はきっちり午前様。そんな一日でした。

その朝、Mさんのために、5次元のシンボルを何枚も作り、ついでに立体をつくってみた。

この半分を対談の時にMさんにお渡しした。私はお土産を頂いてしまって、お返しには到底及ばないのだけれど、五次元を伝える最初のひとになって頂いた。

対談は、いかに人間の能力を引き出すかという話が中心で、常に心の最前線に生きること、竹輪の穴は外か内か(実は外)から、身体は竹輪と同じと展開し、気(空間)の話に進む。

Mさんは武術家であり、鍼灸師。気は武術から医術まで、おなじ力を発揮するということを体験から話してくれます。その話は、私の鉛筆(シャーペン)の握り方に共通しているのも驚きで、私はますます「空間を研究する」重要性を感じました。

スケールの概念は、空間を理解させてくれる5番目の道具だと言うことを人類が知るのはまだずっと後の世代かもれないけれど、しかしまずその第一歩を進めなくてはならない。そんな奇妙な使命感に押されて、よくしゃべった。Mさんありがとうございました。

 

 

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空間と光

2016-01-25 | 5次元宇宙に生きる(空間)

今回は、空間にある光について考えてみたいと思います。

現在進行形の私の絵です。キャンバスにシャーペンで描きますが、線一本で無から石ころが生まれてきます。すると空間が動きます。その表情の変化が楽しいのです。

照明を消すと真っ暗になります。私には何も見えません。絵はなくなったのでしょうか。

そんなことはありませんね。私にはわかっています。照明を付ければまた絵を描き始めることが出来ることを。

しかしあなたが、私のアトリエに来て、いきなりこの闇の空間に立たされたら、どうですか?いつまでたってもあなたにこの絵は存在しないのです。

全て闇に中にあるものは同じことが言えます。空間もまた例外ではないのですね。

照明が消えても部屋の秩序に何の影響も与えない。つまり空間が光を失ったわけではないのです。

光はこのようになっていると言われています。

図の上にある波線に注目してください。この波はエネルギーの強弱に対応して長くなったり短くなったりしていますが、けっしてなくなることはないのです。そしてこの波は途中で途切れることもありません。破たんなく変化するだけなのです。どんな力が加わっても水面の波の形が変わるだけで、水面がなくならないように、空間も存在し続けます。無限に力があれば、無限に波を生み出すのです。

そして私のアトリエの空間はこんなふうに変化しただけでた。照明はこの中の可視光線にあたるわけでから、照明を消して変わったのは単に光の波長が長くなっただけなのです。

 

  何度も登場する5次元のシンボルですが、この点のかたまりを浮かべている背景(点以外のすべて)に注目してください。これが空間だと言いましたし、赤い領域はヒトの内部を表しているとも説明しましたね。そして空間はエネルギーだとも言いました。その現れとして赤い領域の空間を「意識」が、白い空間を「光」が照らして私たちの認識を支えているとも言いましたね。

そのイメージを持ちながら、この図と、上の光の図を重ねあわせてごらんなさい。光はまさにこの5次元空間に満ちていることが分かるでしょう。光の波は途切れることなく変化して、5次元空間の極大から極小の間をエネルギー波で満たしているのです。

私たちは単に可視光線の範囲にある光だけを頼りに世界を見ているだけなのです。そして可視光のあたらない闇は、けっして認識できない世界となるのです。

それは認識できないのであって、無ではない。だからつまり、無を観る。空間に瞑想するというのは、存在を正しく観るということであって、けっして虚無を見なさいと言っているのではないのです。

 

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道のある風景展(上本町ギャラリー)

2016-01-25 | 日記

誘われて道のある風景展に参加しました。

沖縄や宮古島では百十何年ぶに雪がふった、そんな寒い日に、オープニングパーティが重なって上本町にでかけました。

全国が大雪という予報に覚悟していたが、大阪の雪はちらほら、身を切る冷たさというのでもなかった。

大坂のど真ん中、上六の、新歌舞伎座の横に、青天井の地下部分があって、思いがけずこんなものを発見したのです。

大雪で難渋している所から笑われそうですが、こちら、つららが出来るほどには寒いんだと、妙な感動を覚えました。

子供時代、つららは見慣れた風景でしたが、大阪に出てきて半世紀、すっかり忘れていたようです。

写真に収めて、上に上がったら、今度はこんな光景。

新歌舞伎座の関係者なのか、よくわかりませんが、お化けさんという幟もあって、集団仮装大会なのでしょうか、そのうちに司会者が出てきて、掛け声とともに豆まきの様子。難波で体験したハロウィンをなぜか思い出しておりました。

そんな光景をやり過ごし、上本町ギャラリーへ。

今年は年明けから、5次元を発信するという思いがあって、私の絵には、キャプションの横に5次元のシンボルマークも付けました。

作家トークでは、その5次元を力説しましたが反応はゼロ。新しい考えを知ってもらうのは難しいことだと実感いたしました。

しかしいい出会いもあって、希望もまた生まれました。

 

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エネルギーについて

2016-01-24 | 5次元宇宙に生きる(空間)

E=mc2

有名なアインシュタインの数式です。E=エネルギー M=質量 C=光速ということで教えられましたが、もちろん私にはどんな理論が背景にあるのかわかりません。

しかしとても心引かれる数式です。芸術的に見ても美しいと思います。そこで私はこの数式に芸術的な解釈をしてみようと思ったのでした。

エネルギーとは何なのかということです。

物質(M)とは、その内部にある空間のエネルギーに引き寄せられて集まったた素粒子からできているのですから、エネルギーはその物質(M)がすべて光速(C)になったときに最大になる。

そうするとE=MCでいいはずですね。しかし式は自乗になっている。その意味はどこにあるのか、これが最大の関心事なのです。

位置エネルギーとか電気エネルギーとか熱エネルギーとか、力の現れ方によってさまざまなエネルギーがあると教えられましたが、よく考えると、そこにはある一つの共通項があるのです。

それが「エネルギー」と「それが現れる場」という二つの関係です。

波は、その周りに空間の場がなければ成り立ちませんね。全てが水だったらこんな波は起こりません。

電気はプラスの場とマイナスの場がなければ、どんな高圧の電力でも力を取り出すことはできませんし、熱エネルギーも同じことが言えます。

つまりエネルギーはそれが力となって現れるためには、エネルギー自身とそれを取り巻く場が必要だということなのです。

物質がすべてエネルギーになったらM×Cの力になります。しかしこの時、世界はこのMCを取り巻く場が存在するのです。すると、その場もまたエネルギーがありますから、その最大の形は当然MCとなるわけですね。

つまり全てが光となったMCとその外側のMCを掛け合わせたものこそ、最大のエネルギーということになりますね、世界がすべてエネルギーになったと考えると、その大きさこそ、

E=mc2 となるわけです。

これが芸術的解釈なのですが、5次元宇宙を考えるとき、この考えはこのまま空間を説明してくれるのです。

(MC×MC)とは空間そのものなのです。そしてこれこそ私たちの正体だと言えるかもしれません。想像してみて下さい。

エネルギーが高速を減じると物質になる。大事なことは、その物質には必ず内側と外側が存在しているということです。外側の空間は弱く、内側の空間はそれよりも強く。5次元宇宙はこうして無限に内、外の世界が続くスケールの系をつくっているわけです。

  

波は様々な形をつくります。しかし正体はただの水であることを私たちは知っています。

私たちがもう一歩踏み込んだ認識を持たねばならないのは、つまり、波の正体は水と空間なのだということなのです。さらに言えば、様々な波の形をつくりだしているものは空間にあるエネルギーだということも考えてみなければならないことです。

波について言うなら、海面の気圧や風圧が波をつくっているのであって、水そのものの力で波をつくっているのではないということを見抜かねばなりません。

(波の写真はGogleで拾い上げている画像を拝借しました)

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次元について

2016-01-23 | 5次元宇宙に生きる(空間)

次元という言葉が難しいと聞きました。確かに、普段はあまり使わない、なにか難しい学術用語のように聞こえます。そんな言葉を聞いた途端、身をただすか逃げるしかない。

ですがどうか安心してください。私の使う次元という言葉は、私たちが普通に感じる事を言っているにすぎません。私自身学者とは縁遠い芸術家ですので、理科、数学は高校どまりです。

その芸術家が一番わからんと言われれば、立つ瀬はありませんが・・・

とにかく次元ということを、もう少しわかるように試みてみましょう。

私が使う次元という言葉は、世界の大きさを知る道具、あるいは方法のことで、その道具を持っている数によって4次元とか3次元とか言い表しているのです。

そして、言うまでもなく、一番大きな世界を知る者は、一番多く道具を持っている人だということです。これはわかりますよね。

最初に0次元がありました。それは点の世界です。世界を知る道具を何も持たない者は、自分しか解りません。自分の周りに世界が広がっているなんて思ってもみないのです。あえて言えばそれは胎児と言えるかもしれません。

 

つぎにひとつ道具を手に入れます。1次元ですね。点が動くという知識を手に入れたのです。0次元の人間に比べると、世界は無限大に広がりました。自分は限りなく動いて行けるという世界観を持ったのです。例えればそれは這い這いし始めた乳児の世界観なのです。

 

また一つ道具を手に入れます。2次元は面の世界です。まっすぐに動くと思っていた者が、実は横にも動けることを知るのです。横に進んでも無限の広がりがあるという知識は、1次元の者からすれば革命的な大発見ですね、認識する世界は大きく広がり、見晴らしのいい世界に心を魅了されることでしょう。例えれば、よちよち歩きを覚えた幼児でしょう。どこでも好きなところに歩いて行ける。世界はなんてこんなにたくさんのものがある。新しい出会いに心ときめかす幼児の世界観ですね。

 

人はやがて3番目の道具を手に入れます。3次元の世界は立体の世界。3つ目の次元は驚異的です。世界は上にも下にも広がっているという知識は、心の中に描く世界を宇宙そのものの大きさにまで拡大させることが出来たのです。飛ぶ鳥や蝶、海のそこにはたくさんの魚が泳いでいる。そして月や太陽、雲や雨。3つの道具を手に入れることで、子供は気付きます。世界はこんなに大きく豊かなんだと。初めて美に気付くかもしれません。

そして人間は独自により大きな道具を手に入れます。それが4番目次元、時間の概念です。これは実際に物としてあるわけではありませんが、頭の中でつくりだした人間独自の道具と言えます。人は時間の概念を手に入れることで、動物から人間に進化したと言っても過言ではないでしょう。3次元とは比較にならない大きな世界を私たちは認識できるようになったのです。私たちは今、この4次元(4つの道具)でつくりだした社会に住んでいます。眼を見張る社会の発展を私たちは知らないうちに受け止め身に着けているのですね。しかし反面様々な苦悩が生まれました。4次元思考の闇の部分をみないわけにはいかなかったのです。

その苦しみを癒せないのか。癒せるのです。もう一つの道具を手に入れることが出来れば。

5番目の道具。それがスケールの概念です。それは今の自分の体が無限に大きくなったり小さくなったり出来ると、空想するだけでいいのです。ガリバーを想像できる人はそれで充分スケールの概念を手に入れる能力を持っています。

素粒子になった自分が観る世界や、銀河の大きさになった自分が観る世界。その空想が私たちに、とんでもない大きな世界を認識させてくれるのです。より大きな世界を認識することで人間は確実にレベルをあげた次元の違う世界観を持つようになりました。

この歴史をみれば、5次元を手に入れた人間は、時間の概念から自由になります。それは時間が無くなるという意味ではありません。時間の概念を自由に操ることが出来る人間を生み出すことが出来るという意味です。老病生死の苦から解放され、人は今この時に生きても大丈夫だと知るのです。何より、その道は神の道に通じるのです。人類が神に出遭う概念なのです。

私の言う5次元は、人間が成長していく過程で手に入れる心の道具のことなのです。

 

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内側から見た人の姿

2016-01-22 | 5次元宇宙に生きる(空間)

なぜ絵を描くのか、そう問われれば、それは人として常に最前線を生きなければならないから。そう答えるしかありません。

人は生まれたときから閉ざされた己の空間の中に心を成長させます。そして今あるこの場所とこの瞬間がその心の最前線であることを5次元思考は常に教えてくれるのです。

先日は心の大きな要素である認識の源流を遡って考えてみましたが、今回はその逆をたどってみたいと思います。

 この図の一番下にある意識は、次の図の赤い領域にある空間を意味します。

 「私」が存在するということは、このように宇宙空間を取り込み、私たちの体が拡散しないように引きあっているのです、その力を自己意識として理解しましたが、まさにその意識が私たちの心の出発点となるのです。

意識は、身体的快・不快を照らし出して私たちの自分の体の存在を教えてくれます。

やがて頭脳が成長しはじめると、意識は精神的な快・不快を照らし始めるようになるのです。「何」という問いかけが始まり、そこから人は爆発的に知識を広げていきます。

精神的快・不快とは、この知識がつくりだす幸・不幸のことであり、十人十色の様々な体験を通して自分の心を作り上げます。

精神的快感を求める欲求があまりにも強くなりすぎて、それが求められないと自分の命さえ絶つという不幸も少なくありませんが、それはこの自分の出発点に目を向けることで、随分救われると私は思います。

私たちの本質、この身体を生かしている意識空間に目を向ける。それだけで人は救われるのです。

なぜなら、この精神的快・不快は、実は時間の概念、つまり4次元思考が生み出しているからです。考えてみてください。苦悩のすべてに、時間の概念が隠されています。あなたはそのことにすぐ気が付くと思います。

時間の概念は社会を発展させましたが、その反面、たくさんの苦悩を生み出したのです。

時間の概念は、私たちにこの自己意識という空間を忘れさせました。こころはいつも今このときを離れて、過去の悔恨と未来の不安を私たちに見せ続けて来たのです。

私たちは、5次元思考に入って休息する必要があります。今このときに立ち返って、いのちの意味をかみしめれば、心はのびやかに発展して、私たちは常にその最前線に立っていられるのです。

 

 

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意識と認識

2016-01-21 | 5次元宇宙に生きる(空間)

今日は私たちの認識の仕組みについて考えてみましょう。認識という言葉を難しく考えないで下さい。普通にものがあることを知り、それが何であるかを知ることです。

机の上に何かがあります。何でしょう?

「机の上に白いコップがある。」私たちはこの写真を見てそう答えます。誰もがそう認識しますね。

話がややこしくなりますので、この際、机と白いという認識は置いといて、「コップがある」という認識だけを考えてみましょう。

今もし、この写真を見たものが、「コップ」という名前を知らなかったらどうでしょう。つまりまだ「コップ」という名を学習できていない人がいたら、この人はどう答えるでしょうか。

「丸い筒のようなものがある。」たぶんそう答えると思います。「コップ」という名を知らなくても、コップの形状を伝えることばでそれを伝えてくれるのです。

ではもし、この言葉を知らない人はどうでしょう。この人は形を表す言葉を何らかの理由で学習できていないために、「何かがある。」そう答えるしかないでしょう。

何かがあるという認識は、まだ物の有無を知っている証拠です。つまり、テーブルがあって、その上には普段何もないということを知っているのです。それゆえ、テーブルとコップは別々のものだという認識があるわけです。

そしてそこに「何」という問いかけがあることを見逃がしてはなりません。人はわからないものに対して、何?という問いかけを発します。そこに知性の始まりがあるのです。人としての知性がここから生まれます。

 知性は問いかけと教えによって急速に認識する世界を広げていくのです。

では、この「何」さえない人がいたとしましょう。この人がコップをみてどんな認識を持つでしょうか。

それはもはや認識とは言えないかもしれませんが、しかし目の前にコップがあるのです。それを見てこの人は、「これ」という認識を示すしかありません。

「これ」という認識には、もはやコップはすべての中に埋没して、見える風景の一部でしかないでしょう。コップとテーブルが別々のものという知識はなく、その背景も含めて、見えている全体を指して「これ」という認識にしかならないわけですね。

ではさらに、「これ」という認識もなかったら、人は唯ぼんやりとした明暗だけを感じていることになります。

この人にとっての認識は「光」ということになりますね。

ではでは、「光」さえなかったら、この人の認識はどんなものと考えられますか。言うまでもなくそれは体内の感覚ですね。

分かって頂けるでしょうか。私たちの認識を遡ってくると、最後は体内の感覚、すなわち自己意識そのものになってしまうのです。

すでに想像されているでしょうが、私たちは人間の成人から遡って胎児まで戻ってきたわけですね。

認識はこのように、意識から生まれていることがわかります。つまり私たちの本質は意識という空間だったのです。意識から認識が生まれ、「何」という問いかけが芽生えてそこから人間特有の知識が大きく成長する。これが人の心の歴史だと思うのです。

以下はそれを図にしたものです。

 

ここで使う図は、「のしてんてん系宇宙論」から転載しています。ついでですが、当ブログでは、5次元の考え方を童話にした「スケール号の冒険」も紹介しています。興味がある方はそちらもお楽しみください。

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認識について

2016-01-20 | 5次元宇宙に生きる(空間)

寒い日が続きます。早朝の浜は、強い寒風にさらされて激しい波が打ち寄せています。明け方の闇の海面から闇より黒いものが山のように盛り上がります。その頭が崩れて白いものがあっという間に私の足元に広がってきます。

自然の意志を直に感じるようで、なにか対話している気分になる。

私たちはこのように外の風景を、認識します。

そして同時に、私は自分の内側にこみあげてくる緊張感を味わっています。この内側の認識がベースになって、目前の風景を、自然との対話と感じ、けさの私の認識が生まれました。

この内側の認識は、

この図で言えば、自分の体内に取り込んだ意識=自己意識が光のような働きをして私たちにその存在を気付かせてくれるのだと、前回申しましたね。

ではこの自己意識は、私たちの内部で何を照らし出してくれるのでしょうか。

端的に言えば、それは身体のエネルギーの変化を見せてくれているのです。命の営みが根源にあって、生まれてくる「快感、不快感、無感」に意識の光があたります。

私たちは常に自分を認識しています。自分の存在感はそこから来ますし、喜び苦しみなど、一切の心の動きを、この自己意識が知らせてくれているのです。

この体内の光は自分自身にしか見えません。それゆえにこれを自己意識と名付けたのですが、その正体は冬の波を照らす光と同じ空間に存在するものだということを忘れないでください。

正体は同じでも、私たちが体験するものは全く別のものと思われます。それは「私」を作り上げている空間の力が強いために外に出られないからです。その意味で自己意識は閉じた空間と呼ぶことが出来るのです。

閉じられた空間の中で、自己意識は、「私」の内部に起こる「快・不快」を照らし出す。それが私たちの心をつくりだしているのです。

それを知ることで、私たちは苦悩の意味も理解することが出来るようになります。心はどのようにして生まれているのか。5次元思考はその理解を私たちに与えてくれるのです。

4次元思考は社会を発展させました。それと同じように、5次元思考は心を発展させてくれるのです。

では私たちの内部空間、自己意識はどのようにして心を生み出しているのでしょうか。

 

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世界を認識する二つの力

2016-01-18 | 5次元宇宙に生きる(空間)

世界と言うと、あなたはどんなイメージを持つでしょうか。

真っ先に地球上にある国々。あるいは宇宙。自分を取り巻く世界、あるいは社会。それを逆に見れば、自分という存在の外側の世界ということになりますね。

そして自分=「私」という存在は、この世界の中で生きているのです。私たちは意識的であれ無意識であれ、この世界という認識と、「私」という認識を明確に区分しています。

わざと、当然のことを遠回しに言ったのですが、この当然に思える社会と自分の分離された認識はどこから生まれているのでしょうか。そんな問いかけは学校では教えてもらえませんでした。だから疑問の持ちようもない常識なのです。自分と他分と言えるかもしれません。

この自と他を区分する認識の原因は、実は空間にあるのです。

  これは五次元の宇宙モデルですが、今回はこの赤い範囲をヒトと考えてください。するとどういうことがわかりますか?

赤い範囲が「自分」であり、その外側は「他分」ということにことになりますね。このとき外のかたまりは他人であったり、社会になるわけですね。私たちはこの「他分」をどのように認識しているかと言えば、光ですね。ものは光を受けてこの世に姿を現します。私たちはそれを認識するわけです。

しかし自分の範囲はどうですか。鏡を見てその外側は見えますが、その内側は光では見えないのです。つまり自分に対する認識は光ではないですよね。自分の内側を認識するための光のような働きをするもの、それが意識なのです。意識は「私」の内側を照らして自分を認識する手助けをしているわけです。

社会と「私」という明白な区分はまさにこの認識の根本から線引きされているわけなのです。この光と意識、この二つの区分を持つ限り人は永遠に孤独なのです。

しかし真実は、この光と意識は同じ一つの存在なのです。

 前に示した図でいえば、この宇宙意識が、私たちのスケールの場では光という認識になるわけです。

さて、光は物を照らし出して世界の中にその存在を示してくれます。そして意識は私たちの内部にあって、己の中の何を照らし出してくれるのでしょうか。それを次回から考えていきましょう。

今年はみなさんとともに、五次元の元年としたい。初めてそういう決心が生まれました。

 

 

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5次元の宇宙モデル

2016-01-17 | 5次元宇宙に生きる(空間)

前回はスケールを極小に向かって無限に続く物と空間のつながりを観てきましたが。今回は逆に極大に向かって考えてみましょう。

空間に浮かぶものたちは互いに引きあって1なる存在をつくり続けます。それは極大に向かっても同じことがいえるのです。

私たちには宇宙の銀河と見えるものは、それと相当のスケールで見れば一つの細胞に見えるでしょうし、その銀河が無数に広がっている銀河は、ひとつにまとまって見えるスケールが存在するのです。

 これは以前にも示した物質と空間を示すイメージ図です。便宜的に6つの固まりが集まって一つの塊をつくるというモデルを試みたものでした。この図では、素粒子が6つ集まって原子。⇒原子が6つ集まって細胞。⇒細胞が6つ集まって組織。⇒組織が6つ集まって部位。部位が6つ集まってヒト。こんなふうに、物質が空間の中に広がっているのではないかと思えるのです。

先日は、この図で表したひとつの小さな点、素粒子にもその内側には空間があって、さらに小さな点があることを説明しました。

そしてさらに極大に向かっては、点の大集団であるヒトからさらに大きな1なる存在が想定されます。それは人が乗っている地球が素粒子に見えるスケールの世界です。

これらの大きな宇宙のモデルを作ってみたのがこれです。

これを更に6つつないでみると、こんなふうになります。

スケールが大きくなれば、それだけ互いに引きあう力は弱まります。それは物と物の間の白い地が大きくなってゆくことでも分かりますネ。そしてもっとも大事なことは、空間を表すこの白い地はどこを見ても途切れていないということです。空間は一つなのです。

ただ一つの空間の中で引きあう力、つまりエネルギーの粗密がこの宇宙を創っていると私は思うのです。

 

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壱なるものとスケールの無限

2016-01-16 | 5次元宇宙に生きる(空間)

空間の中に何かを認識できるということは、ものが一つのかたまりとして存在すからですね。

人間が、地球は丸く、宇宙に浮かんでいると認識できるようになったのはつい数世紀前でした。それまで、私たちの立っている地面の裏側にも人が頭を下に向けて立っているなど、誰が理解できたでしょう。今の私たちは、それを理解できるほどには、大きなスケールでものを観る能力を身に着けたのです。

そのスケールの世界を意識しながら、空間についてもう少し考えてみましょう。

空間の中に物質があるというのは、ひとつにまとまろうとする力(引力)がまわりの空間よりも強いからです。

  物の本質は、空間の中の、この力のかたまりなのです。内側の力が外よりも強いために、内側の空間は物質に見え、外側は空間に見えるのです。

 小さな一つのかたまりは、隣のかたまりと引きあって、また一つの大きな塊をつくります。その大きな塊から見れば、小さな塊の外側である空間は、大きな塊をつくるための引力となって、それは物質に取り込まれます。

こうして次々と空間の中に大きなかたまりが現れ、私たちはそのスケールに応じて、物質と空間を認識しているのです。

スケールの軸は極小から極大まで無限に続くスケールの世界ですから、タイムマシンならぬスケール号に乗ってその世界を旅すれば、自分の中にある空間と物質の世界を無限に掘り進めて見ることが出来るわけです。

ところで現実は、今物の最小単位を素粒子と名付けて理解しています。科学の思索が届く最先端であって、そこから先は分かりません。

しかしこう考えることが出来ます。

私たちのスケールが素粒子の大きさになったら、その素粒子はどんな見え方をしているのかと。

もし最終単位であるなら、それよ小さなものがないということですから、当然素粒子の中は空間のない物だけの世界と言うことになりますね。

しかしそれは考えられません。もし素粒子の中が物だけだとしたら、この世界をつくっている空間と物の力の秩序が崩れてしまうのです。もし物だけの世界があるとしたら、それは空間がゼロの世界でしかありません、空間ゼロの世界とはエネルギーが無限大になる世界のことです。もしそんな世界があれば、一粒でも物だけでできている素粒子があるとすれば、世界はその素粒子に引きつけられて、宇宙のすべてのものが一つの身動きのつかないかたまりになってしまうでしょう。この世界は消えるのです。

つまり、私たちが考えているものの最終単位、素粒子もまた、その内部に空間を持っていなければなりません。

こうして物の最終単位は、スケールの軸を永遠に遡り、無限に先送りされていきます。過去と未来の先を想定できないように、私たちの能力ではスケールの軸のその先を想定することはできません。これが私たちの認識の最先端であり限界なのです。特異点と言う言葉がふさわしいのかもしれません。

ともあれ、私たちはスケールの系を概念として、空間の姿をはっきり認識することが出来るのです。これが5次元による人間の新たな世界観となるわけです。

空間を知ること。それは自分を知ることでもあるのです。

 

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壱なる存在

2016-01-15 | 5次元宇宙に生きる(空間)

空間をイメージします。何もない空間だけを私たちは認識することが出来るでしょうか。空間に向かって意識を向けるということは、禅宗の瞑想のようです。

紙風船。

はじめてそこに認識が生まれます。紙風船を介して、わたしたちは空間を認識することが出来るのです。空間の中に1なるものが生まれる。それが認識のスタートです。

無の空間から1なるものが生まれる。それはどいう仕組みなのでしょうか。そう考えると、ひとつのドラマが見えてきます。

無の空間、それはエネルギーが完全に均質に広がったものと想像できます。

そこに1なるものが生まれるというのは、均質なエネルギーが沸騰する水のように、動き始めたと考えられます。

均質だった空間が粗密のある空間に変わると、粗と密の境界が物質を出現させます。密なるエネルギーのかたまりは粗の空間に浮かぶように1なる存在をつくるのです。

1なる存在が物質としてこの世に生まれたドラマを私はこのように見ます。

地球も、その上にいる人間も、皆1なる存在として私たちは認識します。しかしその私たちが原子のスケールになって世界を見渡したら、私たちの認識出来る1なる存在は素粒子だけかもしれません。地球や、人間の体はただ見上げる宇宙空間にしか見えませんね。

私たちの認識は、自分のスケールを基準にした空間に浮かぶ1なる存在にしか及ばないのです。

その認識を超えて、空間は広がっています。そして強いエネルギーを蓄えたかたまりが物質に見えるのだと思います。

重要なことは、下図のように、空間はスケールの軸にそって1なる存在をつくり続けているということでしょう。

1なるエネルギーのかたまりは、それぞれのスケールの場で、原子に見えたり組織に見えたり、地球に見えたりしますが、どの場にあっても、粗の空間に密の物質が浮かんでいます。

言い換えれば、物質はその中に高エネルギーの空間を取り込んでいるということです。

つまり私たちの存在は、宇宙空間を取り込んで膨れた紙風船なのです。

「私」の体の組成は、互いに強く引きあい、まわりの空間より強くつながっているために、この世に1なる存在としてあるのだと思います。

私はこの空間をエネルギーそのものと考え、そしてこれを意識と呼びます。空間は意識そのものだと考えると、心の構造がよく見えてくるのです。

私たちの心は、この宇宙空間、つまり宇宙の意識を紙風船のように取り込み、そこに1なる存在をつくります。私たちにはそれが自己意識と見えるのです。

そしてこの自己意識が心の始まりだと考えることが出来るのです。

 

 

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