のしてんてん ハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

想像し創造すること

2017-08-31 | 5次元宇宙に生きる(神)

東大寺南大門 金剛力士 阿形像

 

運慶と快慶作と言われている南大門の有名な8mもある木像で、何度も目にしてきた。

 

最初に出逢ったのは、中学3年の修学旅行だった。

そのリアルな立像をただ唖然と見上げ、恐れのような感情を抱いて、それが人の手によってつくられたとは思いもしなかった。

 

ガイドさんの話は聞いていたが、作者の運慶・快慶ときいても、その名が自分と同じ人間とは想いつながらなかった。

それはまるで自然に生まれてそこに立っているという感じだったのだ。

人の業というものに意識が及ばなかったのだろう。

 

社会人になって何度も奈良を訪れる機会があり、

その際にも南大門の仁王さんは必ず拝顔していたが、私の識域にある仁王像は、最初に見た鮮烈なイメージを超えるものではなかった。

東大寺南大門金剛力士像

これが昼間見る仁王様。

 

ところが先日、夜の南大門で観た仁王像はそんな私の識域から一気に人のなせる神業を見せてくれたのだ。

 

それは照明による効果だったのかもしれない。

昼間に見あげているだけでは観ることのできない深さを感じて、身がすくんだし、彫られた筋肉や表情、着物の襞、指の一本に至るまで、立体的に人の業を感じたのだ。

 

見事な創造の業、人の可能性の大きさに固唾をのむ一瞬だった。

 

人間に出来るんだ!という不思議な思いが湧き上がった。

はじめて私は、仁王像の前で、違った見方をしている自分に気付いた。

そう、

この仁王像は、人間の可能性をうたっていたのだ。

 

人間の創造する可能性

想像することの無限の領域を守る番人として奈良時代から立っているということを。

 

想像して作りだす

その人の業の素晴らしさを私達に教えてくれているのだと。

 

時代を超えて、奈良の仏師たちの息吹を感じた一瞬だったのかもしれない。

こちらは吽形像 定覚・湛慶 の作と言われていいます。

 

 

 

 

 

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13年ぶりの花火大会

2017-08-28 | 日記

 

 

泉南市で13年ぶりと聴きました。2日間の夏フェスに合わせて花火大会です。

 

マーブルビーチに(多分)一日2000人が2日にわたって鑑賞している光景を見て、私のひそかな喜びは、毎朝の草引きがこんな役に立っているという実感を与えてもらえたこと

5年前は、草茫々で気持ちよく座る場所もなかったことを誰も知りません。この不思議な快感は私の心の中に打ちあがった花火かもしれません^ね^

背面の約1600mの直線遊歩道にはおなじみの屋台が並びます。(これは初日だけで、二日目は夜店なしの静かな花火鑑賞となりました)

花火はイベント会場と、浜と関空の間の海に浮かべた船の上から打ち上げられ、私たちはほぼ真下から見上げる絶好のシチュエーション。空に拡がった火の花房が覆いかぶさってくるように広がり落ちてきます。下手な写真ですが、その場の雰囲気を少しだけお楽しみ下さい。

海の上にも写り込む全景です

この線香花火をちりばめたようなのはひらくとバチバチとまさに線香花火の親分のような音を出します。

月と登り龍(花火)

世界中の兵器を、みな花火にしよう

真鹿子さんの発案を思い出しつつ

連夜の花火を楽しみまし^た^

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満たされる

2017-08-26 | 心の旅

路上のこどもいがぐり(奈良散策より)

 

風もなかったのにピンポン玉より小さないがぐりが落ちていた

可愛い二つのマリモのようないがぐり

いずれ赤茶けて枯れていく

 

満たされているのだろうか

ふと思った

 

秋には手のひら一杯のいがぐりとなって、自然に枝から離れるはずの実が

青いまま落ちてしまった彼らは

満たされているのだろうか

 

かれらをごらん

きれいに、そして静かになんて堂々としているのだろう。

 

不安や悔悟や絶望はどこにある?

焦りや、恐れや、悲観の表情もなく

ただ彼らは美しい

 

満たされている

そう思う意外に私の中に答えが見つからない

 

自然の摂理の中に身をまかせて

この今を精一杯表現している

それが

満たされるということなのかも知れない

 

いがぐりは

そうかたりかけている。

 

では

満たされないとはどういうことだろう

 

いがぐりを擬人化したら

たちまちそれがわかる

 

いがぐりの私は

早熟で(あるいは未熟のまま)落とされたこの身を嘆き悲しむ

横にある枯れたいがぐりの残骸に恐れおののく

これ以上成長できない不幸とその運命を呪うだろう

どうして私なのか

まだ枝についている仲間をうらやむ

満たされない絶望に

さいなまれ続ける

 

これがまさに

満たされない一部始終だろう

つまり人間の心そのものだ

 

いがぐりがいがぐりそのものに執着した心がつくり出す

いがぐりの姿が自分の境界でそれ以外は自分ではないという執着。

その不足の思いが満たされないものの幻想をつくり出すのだ

 

けれど、ごらん

路上の二つのいがぐりは

己の中にいない

 

青々とした美しい姿で

かれらは自然の中にいる

堂々と、至福の中で自然の一部となっている

 

そう、

かれらは満たされている

全き自然の大きな輪の中で自然の至福を味わっているのだ。

 

やがて枯れ、踏まれて砕けていく運命だとしても

その運命は、

枝の上で育っていく仲間の運命と

同じものだと

いがぐりは知っている

無知の知が

いがぐりをこの上なく幸せものにしてくれているのだ。

 

自然の中に不幸は無い

それは

人の心の中に生まれた幻想だ

 

己のこの身を限りに自と他を区分して、

己に執着する。

満たされない空間を生きる人の心だからこそ

 

半分だけでいい

自分の心に

そっと

いがぐりを住まわせてみよう

 

いがぐりの棲む世界から来る風が

心を吹き抜ける

あなたの心の中で

いがぐりは育ち始める

 

やがて秋になって

成熟したいがぐりが

赤茶色になって

自然に身を開き

あなたの心に

豐醇な実を落としてくれるだろう

 

 

 

 

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21世紀のメッセージ展(オープン風景)

2017-08-23 | 展覧会

 

 

20日21日、夜行バスでトンボ帰りのメッセージ展参加。

朝帰りで、昼過ぎまで爆睡。

 

21世紀のメッセージ展はこんなふうにオープンしました。

 

21日ギャラリーに作品を持ち込み、全作品の開包作業から始まり、

壁掛け。すべて自前でこなす毎回の手慣れた作業。この会にはから威張りするものは一人もいませんので、スムーズに迷いなく仕事は進みます。

オープン予定の2時間前には展示完了。こんな感じです。

作品はどれだけ頑張っても私の写真では伝達できませんので、開き直って無作為の画像で雰囲気だけお届けします。

今回は全員30号の大きさに統一です

私の作品も並んでいます。

 

ところで、今回アメリカから桂蓮様がいらっしゃいました。お会い出来たのはまるで奇跡のような確率の中で起こった機会があったからですが、

銀座の駅からギャララリーまでの道順をうまく説明できず、私の方からお迎えに行ったのですが、方向音痴の私が銀座の雑踏の中をうろうろするばかり。

まるでコメディー映画のようで笑うしかないのですが、そんな私をTBSのカメラが呼び止め、スニーカーの靴ひもを取材していると訳の分からないことを言いながら足元を撮影しはじめる。「忙しい」と云っても、どうも赤いスニーカーのひもが珍しいのか離れない。「裾を上げてひもを見せろ」と付きまとう。

東京ってなんなの?!!

というドタバタがあってようやく雑踏の中、二人の目が合うというストーリとなりました。

絵の前でツーショット。

ほどなく開会式からオープニングパーティです。

黒瀬代表の挨拶

今回、内閣府官房の事務局からも駆けつけていただき祝辞を頂きました。

同展はその関連公式ホームページbeyond2020プログラム

でも紹介されています。

いよいよささやかなパーティー

宴たけなわの最中に私は荷物をまとめ、一人夜行バスの乗合場所に移動することになりました。

アメリカに禅をひろめたいという桂蓮さんの熱いお話と、私の心の絵画論がうまくかみ合い、帰り際の喫茶店で気持ちのいい言葉の交流のひと時。

その中の彼女の話しを一つだけ紹介しましょう。

ふたつのコップに水を運んできて彼女、一方のグラスに水を足してあふれさせます。

コップがいっぱいになってあふれる水を指差して、

「これが無になって得られる真実。無とはないのじゃない。満杯になったグラスのことをいうのです。」

見事な比喩ですね。

「あなたの龍は、まだ満杯になっていないで、満たそうとして形にこだわっている感じがする。まだ借り物の龍」というのです。

私の心の中がどんなだったか分かります^か^?

桂蓮さんの言葉が私の魂を揺り起こす。彼女の禅への思いの真剣さが伝わる一瞬でもありました。

銀座駅までお送りして、バス停は大賑わい。絵を持っていない分楽と言えばそうですが、心配した二日目の夜行バス。案外体の方がなじんで自分の環境適応力に自信を持ちました。

とはいえ、冒頭の記述のとおり、バタンキューの爆睡という次第。

自分でいうのもなんですが、いい展覧会になりました。最寄りの方は是非ギャラリー暁までお越しください。

   

  

 

 

 

 

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21世紀のメッセージ展(作品完成)

2017-08-20 | 5次元宇宙に生きる(神)

出品作品がようやく完成

今日梱包して、夜行バスに乗り込みます。

 

すべてを任せるという感覚が、まるで他人事のように楽しい。

何かを書きたいのですが、うまく言葉が浮かびません。

 

 

 

展覧会の概要は下の記事からご覧ください

 

21世紀のメッセージ展(8/21~8/26)

 

こんな気分です。

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奈良に行ってきました(朝)

2017-08-19 | 日記

東大寺大仏殿 朝露の背面風景

 

習慣で、5時には目覚め体が動き出す。散歩しなければおさまらない。(東大寺に隣接した観光ホテル タマル 食事もおいしく対応も親切で気に入りました。)ので、

2時間ほど東大寺の敷地を散策しました。

奈良はこんな森のイメージがよく似合う。

森が語りかけてくる気がします。日本型エルフが出てきそうです。

朝はまだ、鹿も眠りについているようです。

整備されたアスファルトの遊歩道にかわいいいがぐり、マリモのようです。

鳥の声だけが柔らかい光の中で動きます。

 

つい高みに誘われて、二月堂に足が向きます。

参拝する地元住民の姿が薄明りの中で穏やかに浮かび、観光の裏側で何かホッとする気分になりました。

大仏殿の向こうに奈良平野が広がっています。2月堂の高見の舞台は自由に出入りできますので、好きな時間にこの風景を楽しめるのです。

奈良のお水取り修二会の舞台、ここを松明が駆け巡り、火の粉をまき散らして火の海になる写真を思い出します。

 

目を上げると龍。三鈷杵を巻き取り、如意宝珠を握りしめた姿。角が鹿ですね。

二月堂からさらに高みに誘われて山に入ると、ほとんど観光客の足が届かない、東大寺敷地の境界が、なんとなく山の中に現れます。

朝明けの森の中に石仏が浮かび上がります。写真では表現できませんが、確かに気の輝きが見えるのです。石仏が内側から光を発しているような風景です。

思わず何枚か写真に収めました。

内側から光るという感覚、引きつけられます。

 

そして

今日もよき一日でありますように

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奈良に行ってきました

2017-08-17 | 日記

 

久しぶりの奈良

春日大社の万灯篭を目的に、夜と早朝の奈良を楽しんできました。

まず驚いたのは鹿

オズ鹿のつのが立派で、至る所に立派なつのが。

角きりしていない鹿がたくさん闊歩しているのを見た記憶がなくてちょっとびっくりでした。

それにしてもかわいい、もの言わない鹿の国際貢献は計り知れないと思わされました。

六割は外国人ではないかと思われる群衆に、隔てなく交われる鹿の力。

奈良の大きな魅力ですね。

 

そして森

若草山の鹿も心が広がります。

なんの違和感もない鹿と石灯籠の風景。夜、ここにローソクの火がともります。

 

深淵な緑

そして夜

春日大社の境内

 

足をのばして東大寺大仏殿

足元の明かり、2500もの灯篭の火です。

この大仏様を写真に収めると、その場の雰囲気の5%ほどしか写り込みません。人の目と体感がいかに優れた感覚器か思い知らされます。

この鼻の穴の大きさの穴が柱にくりぬかれていて、そこを潜り抜ける人の行列。穴くぐりが堂内で盛り上がっていました。

 

私の気を引いたのは南大門の阿吽の仁王様。照明に浮かび上がった姿見るのは初めてです。

 

しばし眺めて帰ろうとすると

遠くに大文字の送り火

残念ながら、撮影できませんでした。

 

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龍の天蓋と飾り結びに想う(5)私の体験

2017-08-14 | 5次元宇宙に生きる(神)

この記事を読んでいただくにあたっては、先に申し上げておかなければなりません。

それはこの飾り結びモデルと自分(読んでくださっているあなた)の関係です。

私はこのモデルのおかげで、今とても貴重な体験をしております。それは皆さまにお知らせして共有したいと思うほど価値のあることなのですが、分かって頂きたいのは、それは私(のしてんてん)の感性が出逢った答えだということです。

つまりこれはあなたの答えではなく、あなたの感性が答に出逢う参考としていただきたいということなのです。

答えとは、自分でつかむ以外にはなく、たとえ同じ答えに至ったとしても自分でつかんだものと与えられたものとでは本物と借り物のように格段の差があるわけです。

 

さて、そうお断りしたうえで、私の体験を書きましょう。

上の飾り結びモデルを頭に入れたうえで、常時私の意識に登るようになったのは、この部分です。

 ヒトの頭脳、つまり思考のエネルギーの流れを象徴するモデルなのですが、この円相の構造が日々私を助けてくれています。

何度も書きましたが、このヒト(頭脳)の円相は自我を作っているのですが、下の交点を通って宇宙エネルギーとつながっている訳ですね。

実際には、この交点に至る一画は、図で分かるように、自我のエネルギーと宇宙のエネルギーが並行して流れているのです。

この一画が非常に大事な働きをします。

ここが自我のエネルギーと宇宙エネルギーの融合を果たす区画となるわけです。

正常に働けば、図のように、この区画は二色のエネルギーが通る道なのですが、私達の自我は、二本あるエネルギーの道をすべて自我の色に塗りかえているのです。

 

図で言えば、ピンクの回路と青の回路が短絡して黄色一色になる。

つまり本来宇宙のエネルギーが通る回路が自我にとりこまれて、エネルギーは自我の円相をグルグル回るしかない。

これが苦悩を抱える人間のもっとも単純なモデルと言えるわけです。

 

たとえば、「お金を儲けた」という意識が流れるとします。

その時、そのエネルギーがこの区画を通るとき、自我はもっと儲けたいという思いに駆られます。するとこの考えが、本来宇宙に帰るエネルギーを簡単に自我につないでしまうのです。図で言えば、青色の道を黄色にかえてしまう訳です。

同じようなことがこの自我の円相の中で何千と起こっている訳ですね。

 

で、ここからが私の感性が巡り合った答えなのです。

この自我に引き込む思考が生まれたと思うと、つまり自分に執着して抜け出せない状態になったとき、必ず二本あるエネルギーの回路をイメージするのです。

たとえば、自己嫌悪にさいなまれているとき、自我の円相をグルグル回っているエネルギーを想像します。

そして、同じ自我の色で染まった回路の一本を宇宙エネルギーの色に染めようと意識します。自我が働きだしたら、この区画を思い描き、その中の一本を宇宙エネルギーの通り道にかえるのですね。

イメージで、二本の道が並行して進んでいく正常な回路を思い描き、宇宙エネルギーの流れを瞑想します。そのことで自分の中で堂々巡りしている自己嫌悪のエネルギーを宇宙に向けて流してやります。

それを思考の面から見ると、「いやな自分」の中に「かけがえのない自分」が生まれ、その思考が宇宙エネルギー向かって流れはじめます。すると「いやな自分」を認めながら思いはよどむことなく流れ始めるのです。

色を変えるのは二本あるエネルギーの道の一本の道だけです。間違っても二本とも同じ色に変えてはなりません。自我エネルギーであれ、宇宙絵エネルギーであれ、それはいずれの場合でもいびつな存在となるでしょう。

重要なことはここで、自我と宇宙が一つになるという唯一のポイントだということです。自我と宇宙のエネルギーが並行して流れることでそれは実現します。

 

このモデルを意識することで、私はそんなイメージを持つことが出来るようになりました。

そこで何が変わったかと言えば、自我との対立がなくなったということです。

安心して自我を受け入れるようになりました。

自我の存在する意味がはっきりと見えるような気になります。

自我のもたらした不都合な心の原因がわかるようになりました。

すると自己嫌悪は消えました。(これは重要です)

自己嫌悪は逆転して、宇宙の中の至宝と思えるようになるのです。

龍のつかんでいる如意宝珠とは実は宇宙と融合した自我だったということがわかるのです。

他に書き切れない五感の至福があります。たとえば深い味覚や深淵に思える聴覚など、これは私の感性による答えなのですが、

私にはこれと同じような体験を誰もが導き出せるモデルではないか思えるのですね。

 

「金を儲けたい」という思いが生まれたとき

その意識の一本を宇宙エネルギーにつなぎます。そしてそのエネルギーに乗って瞑想すると、自分が素粒子から肉体が生まれ、肉体が宇宙のなっかで息づく永遠の生きる姿として見えてくるのです。

すると儲けたいという思いなど比較にならないほど素晴らしい価値の中にいる自分に気付くのです。

大事なことは「金を儲けたい」という思考を否定するのではないということです。それを宇宙の視野で受け入れることが出来るということなのですね

 

すると自我の円相の中で淀んでいた気の流れが突然全身に流れはじめます。宇宙の大きな輪の中にあって、エネルギーは常に新鮮に感じられるようになります。

宇宙があって自分がある。

そう思って見る世界は別世界です。

 

いつも変わらぬ日常や、古臭くなった老いのイメージは宇宙エネルギーがきれいに流し去ってくれます。

 

古びた日常のイメージや、うだつの上がらない鬱憤は、短絡して宇宙エネルギーが自我回路を無限循環している心の姿だと分かるようになります。

 

すると自我を大切にし、無限大に活かす道が見えてくるのです。

 

宗教の教えの中には自我を殺せと言うような過激な言葉で覚醒を促す言葉があって、私たちは悟りを開くためにはこの自我を敵視するかのようなイメージを持ってしまう場合があります。

私がそうでした。

しかしその理解は間違っていると分かりました。

 

自我はこの宇宙で最も貴重な、かけがえのない存在なのです。

飾り結びモデルのヒト(頭脳)の円相は、まさに如意宝珠なのです。

 

問題は頭脳それ自身がそれに気づかず、自我を完成させようとして宇宙エネルギーから自己を閉ざしてしまうということだったのですね。

 

是非、宇宙エネルギーと共存している自我を体験してみて下さい。

「どうしたらいい?」と聞いてはなりません。

答えはあなたの感性の中にしかないのです。あなたの答えはあなたが見つけるしか方法はありません。

 

答えをきいて実践するのではいつまでたっても本当の答えにたどり着かないのですね。

もの真似はどこまで行っても真似なのですから、

あなたがあなたの中にある答えを見つけるその喜びを体験してほしいと

願うのです。

 

 

 

 関連記事(できれば順にお読みください)

 

龍の天蓋と飾り結びに想う

龍の天蓋と飾り結びに想う(2)

龍の天蓋と飾り結びに思う (3)

 

龍の天蓋と飾り結びに思う(4)自我

 

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21世紀のメッセージ展(8/21~8/26)

2017-08-12 | 展覧会

21世紀のメッセージ展に向けてただ今制作中です。

 

 同展出品作品のための試作

 

出品作品は試作よりグレードアップしてほぼ完成しました。

闇の中にいかに無限を描くか。五次元空間を描く究極の目標。

のしてんてん絵画の頂点にはたしてたどりつけるか。

それは自分にも分かりませんが、自我を捨てて空になるそんな実践を体験しつつ仕上げたいと思っています。

「人まねはするな」

わが師(具体美術協会)のテーゼが私を導いてくれる

そう信じながら。

 

 

本展は、これまでいくつもの国内外展を経て、文化交流を図ってきましたが、今回はオリンピック(東京)を機に、2020年スポーツと文化をアピールする目的で開催する予定です。その先駆けとして、東京(銀座)ギャラリー暁にて仲間たちのメッセージ展を開催します。東京方面の方、是非一度ご来場ください。 以下ご案内です。

     

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今はもう秋(一つの驚き)

2017-08-11 | 日記

2017年8月10日撮影(朝)

 

熱中症が叫ばれる暑い日々ですが、秋はさりげなく

街路樹にも

褐色の絵の具を載せていく

 

先の台風を乗り越えた銀杏たち

稲穂ももう顔を出している。

 

ところが、驚かされた風景に出くわせたのです ↓

あッと心が叫んで、目を見張りました。これ、なんだと思います?

名実共に青田刈りではありませんか。

 

目を疑いました。まだやっと穂が見えてきたばかりの、人で言えば大学卒業期、そんな馬鹿な。

いたずらにしては整然と、意志のあるしわざ。

中央の小屋、その左に元気な稲田の姿、右の濃い緑はネギ畑、この地域の特産ですが、手前の一枚の田んぼだけこのありさま。

 

人様の畑ですが、田園地帯を歩くと、稲穂がすくすく成長して黄金色に変わっていく光景が心を豊かにしてくれる。

そんなあたりまえの心を、この青田刈りが教えてくれる。

見るのがつらいのです。

 

これはどうしたのだろう

数日青田刈りを見るたびに考えておりましたが、ようやくお百姓さんの姿を見かけたこの日、作業に向かうお百姓さんに走り寄りました。

 

「これはなにものかのシワザですか?どうしてこんなことに?」

「わしが刈ったんだ」

 

百姓さんは笑って、意外なことを教えてくれました。

要するにこういう話でした。

 

これは肥料にするために刈ったというのです。

ネギ畑の土を柔らかくするために、稲を育て、穂が出るころに刈りとり、細かく刻んで畑にまくのだそうです。

・・・・・ ・・・・・

それなら、収穫してから藁を蒔いたらいいのではと思いましたが、あまりにびっくりして、そのあたりをしっかり聞くことが出来ませんでしたが、若い稲穂がいいのだそうです。

その後、コメント欄で、(人生の素人:折師)様より次のようなメッセージをいただきました。

-----------------------------------------------

 推測ですが、”藁は分解がとても遅い→ネギの秋の種蒔きまでに栄養にならない”のかもしれません。
…高校時代、枯草を腐葉土にするためには”水を十分加える+半年は使い物にならない”と言われました。

 …そこを人工肥料を使わず、植物の力やサイクルを生かして、”栄養たっぷりの苗床”を作る…「見事!」以外の言葉がありません…。

 -----------------------------------------------

なるほど、これで収穫を待たず今なのだだということがよく理解できました。

それにしましても、米を肥料にネギを作る。

プロにしか思いつかないことだと舌を巻いて帰ってきました。

素人は作物に目がいってしまいますが、お百姓さんは土を見ているのですね。

 

絵描きの私が、描くものに執着するのではなく、心を創るということの重要性をやっと知ったと思っているのですが、全く同じことなのですね。

 

勉強になりました。折師さんありがとうございます。

今朝の浜はおぼろ色

銀杏の季節のささやき

 

 

 

 

 

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龍の天蓋と飾り結びに思う(4)自我

2017-08-09 | 5次元宇宙に生きる(神)

写真に見る飾り結びが、宇宙とヒトの関係を示す優れたモデルだということは、すでに

 

(1)(2)(3)   

と述べてきました。この時ひもは宇宙とヒトのエネルギーの流れる道筋に例えることが出来るのでした。

そこで今回は、この飾り結びモデルを使って、自我とは何かという問を考えてみたいと思います。


端的に言って、自我とはこのモデルから見れば、ヒトの円相の赤い色の部分だと考えられます。

その大きな特徴は、赤色のごとく閉じた円を描いています。宇宙の中に一つの閉じた円相を作っている。このポイントは、円相の下にある交点です。エネルギーがここを通過するとき、自我を手放さないために何度もこの赤い円を回転している。これが自我だと考えられるのです。

すると一見してわかるように、我とは個であり、個は孤独を生み出します。

そして考えてみてください。私達が自分を認識し、世界を知るということは、すべてこの円相(自我)を基準にした認識だということを。


私達は日々、様々なことを考え、人を気遣い、明日を心配するわけですが、それは自己があるからなのですね。

自己として閉じた円相をつくることによって、私たちは世界を認識する土台をつくりあげた。自分を基準にして世界を判断するということです。それが自我だと言えるでしょう。

閉じるということは、宇宙から切り離されたということを意味します。切り離されることで、宇宙を客観的に見ることが出来るようになったとも言えますね。

 

自我は、いつの間にか、この閉じた円相が自分自身だと思い込みました。そしてこの円相が拓かれることを、自我の死と思うようになったのだと私は思います。

自我は己を守るために、必死でこの円相を握りしめているのです。開くことを恐れ、我にしがみつくわけですね。

自我の一番の特徴は閉じた円相であり「個」だと言いましたが、この特徴が思考に現れたとき、そこに受動態・能動態が生まれます。

なぜなら、自我は当然その対極に非自我(自分以外のもの、他人や社会や宇宙)を生み出します。すると必然的に自我は、非自我と常に何らかの関係をつくり出しますね。

私達は非自我を受け取り、非自我にはたらきかけます。これが受動態と能動態の原型でしょう。

受動態は、環境に対する不満を感じ、

能動態は、よきものは未来にあり、それを得ようと思うあまり失敗を恐れるというように、

そこに様々な問題が生まれてくるのです。受動態・能動態は異なる二つの思考というより、自我の生み出す思考の裏表だということが出来るでしょう。

より良いものを求めるために欲望が生まれ、その数だけ苦悩が膨らみます。

自我の解放が死だという思いこみ

孤独に対する恐れ、

これらはすべて、我の円相を回り続ける苦と見ることが出来るわけです。


我を捨てない限り、苦悩はなくなることがありません。

それは仏教でよく言われる教えですよね。


しかし我を捨てるとはどういうことなのでしょうか。

我を捨てると言っても、簡単なことではないでしょうし、具体的にどのようなイメージを持つことが出来るのでしょうか。


飾り結びモデルは、簡単にそのイメージを描くことが出来るのです。


すでに見てきたことですが、エネルギーの道筋を示すひもの流れは。上の図のように青・水色・赤・緑・黄色と流れて大宇宙のエネルギーに還っていきます。そこにゆったりとした循環があるのですね。

(念のために言っておきますが、説明のために色を使っていますけれど、色には何の意味合いも考えていません。説明の勢いで同じ場所を違った色を塗ってしまっている場合がありますが、成り行きの着色で意味はありませんのでご理解下さい)

その流れを目で追っていると、自然に分かってくるのですが。赤い円相は交点でショートしているのですね。本来緑のルートに流れなければならないエネルギーが赤に短絡してしまい赤の無限ループが生まれる。それがヒトエネルギーとなっているのだと理解することが出来るわけです。


まず自我を捨てるということは、自我を殺すということではなく、消してしまうということでもないということが一目で分かります。


自我を捨てるということは、我の円相を作る執着をなくすということだと分かります。

執着をなくすと、同じ道を通る赤と緑のエネルギーが一つになるのです。

赤に対する執着をなくすると、減る(なくなる)のではなく増えるのですね。我という小さな円が、大宇宙の大きな円になる。このモデルでそのことに気付くことが出来るのです。


自我は自分がなくなるのを恐れます。その恐れは自我を捨てることに激しく抵抗するのですが、このモデルを見れば自我の溜飲も下がるはずです。

自分はなくなるのではない。小我から凡我に進化するのだと目で理解することが出来る訳です。

我を捨てるということは、我を殺すのではなく、我を宇宙の一部として活かすことだったのです。そうすることで我は宇宙的な大きさで生きてくる。私に突然龍の絵がやってきたのは、そのことを意味していると思えるのです。


私の例をとるまでもなく、これはいわゆる凡人が宗教や思想に左右されることなく、自然に己のままで覚醒することが出来る道筋を示してくれているように思えます。

自我を宇宙の一部として活かす。その可能性を飾り結びモデルが見せてくれる。

たとえば執着をなくするということは、上の飾り結びの図から言えば赤だけにしがみつくのではなく、緑も一緒に受け入れるということですね。

そしてそのことは、この世で起こることはすべて「よし」として受け入れることであり、その考え方が中動態という思考方法なのだと思えるのです。


中動態は、宇宙そのものである大円相を丸ごと受け入れる事ができる思考方法とも言え、そのとらえ方から己を見ると、己とは、滞りなく流れる宇宙の大円相だと理解できるようになるという訳です。








 

 

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筆触法(第十週)実践

2017-08-05 | 心のデッサン無料公開授業

筆触法(ものと遊ぶ)の最後に実践例をお示しして、最終回といたします。過去の記事は次の(一)~(九)です。

(一)(二)(三)(四)(五)(六)(七)(八)(九)

 

実践例はいくつか用意していますが、その中で初歩として分かりやすい玉ねぎを紹介します。

他の実践例をご覧になりたい方は (4)デッサン実践  (のしてんてんHP)

からご覧ください。

 

 

 

①  

 タマネギを一つの球ととらえ画面に配置します。
球の中心から一つ山が飛び出しています。
その位置を確かめるように鉛筆を走らせます。



 ②  

タマネギを縦に何本も脈が見えますが、その脈に沿って鉛筆を走らせます。
表面に薄がわの乾いたものがこびりついていますが、まだそんな表面的なものには目を向けません。
おおむね本質は単純で、表面的なものは複雑だと覚えておいてください。
本質をとらえれば、複雑に見える表面も簡単に描けます。



③   

次に横線を入れます。この場合横線はタマネギの周りをまわる円となります。
この円運動はタマネギの縁を回って見えなくなった反対側を通りまたこちらに出てきます。
 筆触法を用いてしっかりタマネギの本質をとらえてください。



④  

タマネギの本質(形)をとらえるといよいよ飾りの部分を描き始めます。
、どこに何がついているか探検するつもりでよく観察し、それを画面の上にしるしていきます。正確にという意識は捨ててください。正確さより自分の気分を大切にしてください。
床面にもあたりをいれておきましょう。 



⑤    

タマネギに当たっている光を意識しながら少しずつ影を描いていきます。
影は黒く塗るというのではなく描き出すものという考えをもってください。
実際の物事は闇の中に本質があるのです。光はその本質の一部を見せてくれているに過ぎないのです(この一文は観念的ですが、心に納めておいてください。)影の部分は光を失った本質が見えている。玉ねぎを眺めていれば必ず理解できると思います。



⑥   

9割がた完成しました。床面を意識すると影の中にも光があることが見えてきます。
もっとも暗い床との接点に床からの反射光があって、それがタマネギの丸みを強調してくれてます。



⑦   

ここで完成としましょう。

欲をいえば玉ねぎの頭のでっぱりが沈み込んで見えます、デッサンがくるっているのです。どこが間違っているのか写真と比較しながら考えてみてください。

手前の白い部分は練りゴムを押し付けて消しとった部分です。
練りゴムを使う時は決してこすらないこと。
こすると不必要な汚れが作品について回復できません。


こんな要領で、小さなものたちを自分の心の中に入れて遊んでみてください。


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展覧会のお知らせ

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関西平和美術展開催中です。

同展は、芸術を愛するすべての人々に開かれた展覧会です。

会場に行かれると、まず雑多という印象を持たれると思います。作品のレベルが初心者から長年にわたる経験者まで、平等に肩を並べて展示されるアンデパンダン展ならではの風景ですが、芸術は技術の優れた一部の人のものではないという思いが花ひらいているのです。

学校であなたは下手と決めつけられた人でさえ気付くはず。楽しめばいいのだと。そしてそれは、下手と思っていた自分の絵が、世界でただ一つの素晴らしい芸術なのだと理解する入り口になるはずです。

自分はこれでいいんだ。そう思えたものたちの百(花)総覧です。

お時間がありましたら、是非足をお運びください。

私の作品も会場でお待ちしております。(本人はおりません)

 

 

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龍の天蓋と飾り結びに思う (3)

2017-08-01 | 5次元宇宙に生きる(神)

龍の天蓋と飾り結びに想う 

龍の天蓋と飾り結びに想う(2)

の続編です

 

飾り結びが人間と宇宙の関係を表現する素晴らしいモデルだということは前回までの記事に書きました。

 

その中で、もっとも注目出来る構図は、上の図の②組織⇒ ③ヒト⇒ ④気付きの 三つの円相とそのつながりです。

②と④の円相はそれぞれ青とピンクで色分けしていますが、その円相を目で追って頂きますとひもが7か所で交わっています。それを私は7画の円相と呼んだのですが、この7とは、六芒星(宇宙エネルギーの象徴)と五芒星(人間エネルギーの象徴)を統合する星だと理解できるのです。

そしてこの7画円相の中心に③ヒト(頭脳)の円相が作られているという構図です。中央の黄色い円で、交点を見ると5か所あります。つまり5画=五芒星=人間エネルギーという訳ですね。

 

ところで、私が思い描いていたヒトのモデルは次の図でした。これは5次元宇宙から見た人間の姿なのです。

(のしてんてん系宇宙第三部 意識と苦悩)

この図から説明しますと、人は宇宙意識(宇宙空間)をとりこんで自己意識を作っている。水面に浮かぶ泡のようなものだと考えたのです。

自己意識は、自分の肌に張り巡らせた感覚器を照らし出すことで自分の形を知り、さらに思考の働きを照らし出して認識を膨らませていく。これが人だという訳です。

大事なことは、自己意識は完全に閉じているのではなく、宇宙意識と根のところでつながっており、私たちは自分の中に宇宙意識を宿していると考えられることでした。

そしてこれをより具体的に示してくれるモデルがこの飾り結びだったのです。

②組織(青色)の円相を見てください。この円相は次の③ヒト(頭脳)の円相につながって行きますが、その一画が、青色と黄色で示したように共有されているのが分かりますね。

この部分が、 左図の自己意識と宇宙意識のつながっている部分と重なるわけですが、それは②組織と③ヒトが重なり融合してることを意味しているのですね。

②組織の円相は、素粒子を集合させて組織をつくる。最終には身体をつくり出す訳です。

つまりこの肉体は宇宙に属していると言えるのです。そして肉体の最高峰はいうまでもなく頭脳ですね。

何を言いたいのかと言えば、この②と③の共有した一画は、②の側から頭脳が創られ、その頭脳が働きはじめ思考エネルギーを作り始めることで③に属する一画となる。

つまりこの一画は宇宙エネルギーである肉体とヒトエネルギーである思考が共存する形でつながっているという訳です。

するとヒトとは何かと問われれば、それは思考だと答える明確なモデルと言えるのですね。

私たちは肉体と心を合わせてヒトというように認識していますが、それは宇宙エネルギーとヒトエネルギーの融合体だったわけです。

そう考えれば思いあたりませんか。身体は宇宙に属するという考え方は私を納得させてくれますし、ヒトとは思考であるという思いは、苦悩をみだす根本として納得できるのです。なぜ身体は心の思うまま動かないのか、分かるのです。

つまり肉体と思考という形で宇宙とヒトは融合を果たして存在する。ということです。

 

さらに、③ヒトから④気付きの円相(黄色とピンク)の共有する一画が現れます。

同じような考え方でこれを眺めれば、これは自己意識(黄色)と宇宙意識(ピンク)が相並んで一画を作っていると考えられますね。

 

④気付きの円相に進んでいくためには、この区画を移動する間に自己意識から宇宙意識に飛び移らなければならないことが視覚的にはっきりと見て取ることが出来ます。

この区画を通るとき、自己意識にしがみついたままですと私たちは永遠に自己意識から抜け出せない。ヒトの頭脳が作り出す思考エネルギーが際限なく欲と不安と苦悩を生みだすループから抜け出せないまま生を終えるしかない。それが目で見て分かりますね。③ヒトの円相を無限に回転して一生を終えるという訳です。

 

ここに共有する一画があるということは、宇宙エネルギーとヒトエネルギーが融合して頭脳と思考を生みだし、再び宇宙エネルギーとヒトエネルギーの融合に気付くことで無限循環に陥っていた思考を宇宙に帰すシステムだということがはっきり見てとることが出来るのです。

③ヒトと④気付きの円相が共有する一画は結局次のようなことを示しています。

つまり、どんな出来事もそれは自己的にも宇宙的にも考えることが出来るということです。釈迦の悟りは、このヒトエネルギーから宇宙エネルギーに移りなさいと教えているのだと考えていいでしょう。

 

ヒトエネルギーから宇宙エネルギーに移るということは、吾は物という思い込みから、吾は空なりという気付きを得るということであり、そのことによってヒトは空間の円相を通り宇宙に還る。

自己を明け渡すことで大円相の中をめぐる全宇宙のエネルギーとなることを示していると考えられるのです。

さらに言えば、この共有する一画は、ヒトエネルギーの通り道(自己意識)と宇宙エネルギーの通り道(宇宙意識)の二本の道で出来ています。

その道の思考形態が違っているということです。

ヒトエネルギーの通り道で起こっている思考は、受動態・能動態によって自己確立を目指しています。

一方宇宙エネルギーの通り道に起こる思考は中動態です。中動態の思考方法は古代文明で盛んにおこなわれていた思考方法ですが、近代に入ってほとんど忘れ去られ、受動態・能動態に置き換わったという研究もあるようです。

 

その正否はともかく、このモデルを眺めていますと、今この瞬間に生まれる思考から、古代も現在もない時間を越えた真実に触れている気がするのです。それが中動態の思考方法と言えるのですね。

 

いずれにいたしましても、悟りという言葉がありまね。

その意味を宗教や哲学など様々な形で表現されていますが、その本質を目で見ると、この共有する一画を通りながら達成した人々は、思考形態をうまく乗り換えているということなのではないかと思えるのです。

このように、

この飾り結びには、宇宙に素因を持つ人としての歴史がしっかり象徴されていると思えるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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