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物質とは何か(5)

2017-03-05 | 五次元宇宙に生きる(物質)

 移ろい行くもの 枯葉

 

「1なる存在」とは物質の根本的な属性と言えますが、それは物の最小単位である素粒子が集まってできている訳ですから、その集団が大きくなるにつれて、その存在の不安定さは否めません。

 

空間の絶対的な存在と違って、物質の「1なる存在は」同じ空間に無数に存在する訳ですし、その組み合わせは時と共に変化していきます。

 

特に、物質の最高の構造物である私たちの身体は、いのちを宿しており、日々変化を繰り返しています。

生きるということは、己の身体に外部から物質を取り込み、排出する行為を繰り返すことです。 休みなく。呼吸をし、食事をとる訳です。

 

素粒子を積み木と考えれば、この身体は無数に積み木を積み上げ、これ以上積みきれない大きさに成長したようなものですね。

 

一つ間違えば、その構造物(身体)は一瞬で崩れ去るほど、極限の状態になっている。これがいのちある物質だと言えるのです。(呼吸が止まれが数分で死に至りなすね)

 いのちというのは、物質がつくり出す最大で最終的な構造物であり、逆にそれは不安定を意味します。不安定ないのちを維持するために、行う努力が新陳代謝という訳ですね。

 

 

ですから、常にバランスを取らねばならない。

呼吸などは、バランスボールに乗った人間が右左に体を揺らすようなもので、酸素を吸収し、二酸化炭素を吐き出すというリズムを繰り返さなければこの身体を維持出来ないわけですし、食物をとりこみ、排泄を繰り返さなければ、やがて崩れ去るこの身体なのですね。

 

いのちとは、実はこの物質の飽和状態からきてえいるのかもしれません。限りなく大きな「1なる存在」をつくり続けて、もうこれ以上積めない。

最後のピースを積み上げる。

 

すると片方がたわみ、それを安定させるために、身体自らが自分の体外に不要物を排出する。

 

今度は排出のために逆の不安定さが生まれ、それをおぎなおうとして、体外から物質を取り込むのです。

 

この新陳代謝を支えているのが、自己意識だと私は考えます。

自己意識が体内に起こる現象を「快」・「不快」としてとらえ、身体を保持しようとして身体を「快」の方向に導く。自己意識は常に、己を保持し発達させようと働くエネルギーであり、そのエネルギーは宇宙意識とシンクロします。

つまり、生きようとする方向性は宇宙意識と共鳴して「快」となり。

その逆は、宇宙意識と離れるために「不快」となるわけですね。

 

いのちは、この「快」・「不快」が原動力となって、それが必然的に呼吸や食事という形で新陳代謝が始まるのです。

 

 ところで、私たちは己のいのちを日々このように、「快」・「不快」という体感で実感していますね。そこには、内面にある物質の変化を無条件に受け入れている意識があるということなのだと思うのです。

 

その意識は、内面に止まらず、外面の変化も同時に認識することになるのです。

外面に見える物質の姿は、私たちに無常観を与えます。

 

四季の移り変わりや、月の満ち欠け、雲や風、様々な物質世界の変化を動きとしてとらえます。

もぎ取られたリンゴが、食べられずにしなび、やがて腐って地に帰っていく。リンゴ畑ではそんな物質の変化を見ることも出来ますね。

積み木のように積み上げられた物質だからこそ、見えてくる変化です。

 

それを素粒子のスケールで見るなら、まさに積み上げられたピースが、バランスを崩して崩れ去っていく様子であり、

そこにあった自己意識の緊張が消えて宇宙意識に戻る姿なのですね。

 

そして、私たちにとって、最も身近な物質の変化は、自分の身体に他なりません。

 

 

私たちは己の変化を、他人の変化と合わせて理解し、老いを具現化するようになるのです。

 

内観に老いを感じはじめますと、この問題はさらに大きくなります。

この変化を見て、私たちは自然に時間の概念を身に付けました。

時間の概念とは、それ自体が存在する訳ではありませんが、物の変化を測る認識の道具として、人間が自然に身に着けたものだったのです。

 

つまり、時間とは物の変化以外のなにものでもありません。

 

ところが、成熟した人間の認識世界では、時間の概念がまるで独立したもののように人間の心を支配するようになった。

 

それが私たちのいう四次元の世界なのです。

 

四次元とは、この意味で、まさに物質に目を奪われた世界認識なのですね。

 

時の呪縛とは、

 

私たちの眼が、物質に向けて焦点を合わせて世界を見ていることを指すのです。

実際に眼は、何もない空間を見ていても、それを見ているとは思いません。空間を見て私たちは「何もない」という認識しかできない。空間を見るという認識は、四次元では成り立たないのですね。

 

ところが私たちの心の目は、その空間に目を転じることが出来るのです。

それが五番目の概念、スケールという訳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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極限の中で…なるほど。 (人生の素人)
2017-03-06 17:47:19
呼吸を止めたら3分と立たず生き絶える…生物学を習った身でありながら、改めてこの考えに出会う機会に感謝!

何もない事等なく、常に自分も世界も極限状態で動き回っている。この記事のような科学テイストの記事、新しい考えや考えの掘り起こしになります。楽しませていただいてます!
おはようございます折師^さ^ん^ (のしてんてん)
2017-03-07 09:59:27
いつもありがとうございます。

伝えたい内容が、文字となって届くのですが、いくらかでも分かっていただけることばになっているのか、正直不安ですが、

うまくったわっておりますでしょうか。

もちろんその内容の正否は各自の心の中にございますので、

これはないだろうという思いも含め、語り合えたらうれしいです。

折師さんの納得できる考え方に出逢えたら、是非教えてください^ね^。^

つなぎ合わせて、紡ぎ合って、人は人間になっていく。

そんな思いを込めて。

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