谷川俊太郎 「いのち」 を語る
You Tubeで見つけました。後半に御自身で いのち を朗読なさっております。
字幕も出ています。You Tube でみる をクリックすると始まります。
私 17歳の時、草野心平が御自身の詩 「蛙」を朗読なさるのを目前で聴きました。
そして78歳で 谷川俊太郎が 「把手」 を朗読されるのを目前で聴きました。
日本の2大詩人の朗読を聴けたわけです。
谷川俊太郎 「いのち」 を語る
You Tubeで見つけました。後半に御自身で いのち を朗読なさっております。
字幕も出ています。You Tube でみる をクリックすると始まります。
私 17歳の時、草野心平が御自身の詩 「蛙」を朗読なさるのを目前で聴きました。
そして78歳で 谷川俊太郎が 「把手」 を朗読されるのを目前で聴きました。
日本の2大詩人の朗読を聴けたわけです。
NPO法人 東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ という学校が(立川市柴崎町6-20-37)
ありまして、全然その存在を知らないままでありましたが、「谷川俊太郎さん 宮沢賢治を語る」という
講演会を開かれるのを知り申し込みました。
新奥多摩街道の多摩川の土手に近い処にありました。
申し込んだらキャンセル待ち。やがてテント内で良かったらと言われて「もちろん!」。
それが今日4月28日1:30PM~。暑いくらいで微風が心地よくテント内快適でした。
この学校の開設者 鳥山敏子さんがインタビュアーとなって、お話を引き出してゆきました。
谷川(タニカワ)俊太郎さん、グレーのTシャツにコージュロイのパンツ。
この軽装以上に軽やかに気安くお話を進められました。
”詩人”という気難しい繊細な雰囲気はありません。(こっちが勝手に想像)
タイトルが”宮沢賢治”ですし、ここは賢治の学校という賢治エッセンスの学び舎。
しかし谷川さんは詩人としての観点から賢治を語っていきました。
彼の作品の生まれた処。意識下から浮かんで自然に語りかけてくる詩形。
日本の伝統から離れたポエジー。いつまでも古くならない口調・語調。
ある人は難解、ある人はあいまいというけれど、凄い人。
重なるように御自分の詩作について率直にユーモラスな語り口で話されました。
やはり魅力溢れる詩人でありました。私の文は極めていい加減と思われますが、
生 谷川俊太郎 を見て聴いて 豊か でしたね~。
質疑応答で 草野心平 の話になりました。
実は私、高校生の時「草野心平を文芸講演会に呼んでください。」と先生に掛け合って
石巻女子高に来てもらったのです。ですからお話の進展はワクワクでした。
最後に歌を歌ってくださり、詩を二篇朗読なさいました。
雨が多いですね。それにもめげず眼下の工事は進んでおります。
土を掘り起こしたら、コンクリートの巨魁がいくつもあって難儀している様子。
しかし、それも粉砕して次に進んでおります。
child doctorのアンドリューから来たメールには彼の兄と姉が映っていました。
難病の彼を優しく見守っているようですね。
T子さんへ、
私の息子の為に、ご支援をして下さり、私達家族はとても嬉しく思っています。
どうも有難うございます。あなたが、神様の祝福に守られ、お元気でいらっしゃるよう、
そしていつまでもご支援を続けて下さることができる様、お祈りしています。
こちらケニアでは、本格的な雨季が始まり、雨が降っています。
アンドリューはお陰様で元気にしています。私達家族皆、元気にしています。
今、私達に出来る、あなたへの贈り物は、「有難う」という感謝の気持ちです。
神のご加護がありますように。
アンドリューの父より。
T子さんへ、
写真は、アンドリューと、お兄さん、お姉さんです。
クリニックに一緒に来ました。
スタッフ シャーリーより。
これは先日私が泊まった205号室の窓から撮った朝の風景です。
朝の明けるのは立川よりはるかに早い。東京よりかなり東なのを実感しました。
窓は東向きなので、登った太陽を住吉山(愛宕さん・・・小さい岩山)の樹木越しに見ました。
石巻市では津波対策のプランが色々と検討されています。
何しろ80cmの地盤沈下という厳しい現実を踏まえて、都市計画は大々的なものに
ならざるを得ません。津波の襲来で市内が壊滅することにならないように大堤防を造成する。
線引きは作られ、該当する土地の住人にプランは提示されました。
実は Futaba inn も微妙にライン付近にあるそうです。
もしこの B&B が取り壊されることになったら、この朝日を眺めた部屋からの
写真は私にとってとても貴重な一枚です。
もしかしたら、この建物が撤去
朝食を摂る食堂で何気にカメラを手にしました。
建物の1階は、かなりの高さまで津波の濁流が行ったり来たりして
再開までにどれ程の苦労があったことか・・・・・ ・・・・・
その話題の輪から離れた私でした。 黙・黙・黙・・・・流失した人も沢山あるのですから・・・
石巻市の中でもかなり離れた雄鹿半島の太平洋に面した三陸地方の寒村 雄勝 。
しかしそこは 硯やスレート の特産地であります。
スレートは東京駅の屋根を葺かれていることで有名です。
Futaba innのJUNさんは建築士でもあり、この自宅を建てる時、外壁をスレート葺きに
しました。ダークグレーの石の素材は、天然物のシャープで重厚な存在感を語っています。
しかし、今回津波以来初めて丹念に見廻って感心いたしました。
一枚のスレートもひび割れて居ず、剥落もしておりません。
あの激震 津波の衝撃!!それに耐えたのです。
自動車や木材その他沢山の流出物が激突しなかったのも幸運でした。
しかし素材と施工が極めて優秀だったのだと思いました。
おっと忘れて居りました。 アイデア賞
(最後の1枚は窓ガラスに映った通りの風景です。偶然ですが白い額の絵のようですね。)
荒蝦夷(仙台の出版社)で発行している雑誌「仙台考」に連載されたエッセイに
更に数点が加えられています。
それは2005年6月に始まっていて、東日本大震災の折、仙台在住の彼が
体験した生活を作家らしい視点で描かれています。
更に短編小説「ブックモビール a bookmobile」が載っています。
これは震災後、石巻でボランティア活動している二人の若者がモデルであり、
車を移動図書館に改造して被災地を回って子供達や地元の人との交流を
描いています。やはり訳ありな二人であり、しかし善意な若者です。
伊坂幸太郎は仙台在住の若い作家であり、作品は映画で知りました。
「重力ピエロ」「ゴールデン・スランバー」仙台地方に住む青年たちが主人公でした。
読者となって彼の本を手にしたのは、初めてです。しかし作者に好意は持っていましたよ。
だから、ためらわずこの本は買いました。彼の作品の登場人物は仙台地方の小市民なんです。
あぁそういえば「小市民」という言葉、最近見ませんね~。死語になっちゃったの~
その善意の人々は丸々の善人でもなく、抱えている反社会性もあるわけで、
その味が好いのよ。
エッセイを読んだら作家の彼の性癖が登場人物にDNA?
として伝わって居るのよ。 当然かな? 作者が産んだ人達ですから。
仙台も懐かしかったし(私の知っているのは昭和30年代まで)
石巻にボランテァで入った青年と地元の子ども達とのやりとりが超新鮮でした。
やはり私が石巻出身だからでしょうか・・・・
「伊坂さん。これからは本を買う読者になりますネ。」
この1年に4度石巻に行きました。
最初は津波被害の見舞いでした。あと3回は仏事。
津波が直接の原因ではありませんが、引き金になったことは間違いありません。
今回は市内を見廻ることはありませんでしたが、瓦礫は片付けられ、
道路の信号も正確に働いておりました。しかし片付けられた分、空き地は目立ちました。
実家の周りだけでもFutaba innの両側の家が無くなっていました。
Junさんの自宅も後ろの家が更地になっていました。
人通りが極端に少なくなっていました。
夕食を近くの中華食堂でラーメンを食べようと電話してみると、
「6時までに来てください。」と言われました。
6時以降は客が来ないので、閉店するそうで・・・唖然・憮然・・・・ 厳しい現実です。