The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

White birds of my boy's day ・遠い少年の日の白い鳥 20

2017-10-09 09:59:13 | 世界経済

An important ceremony was held , and a monk that was called from mountainside .
When he appeared at the doorstep he was not visible to humans , eyes and ears were sliding down with blown skin .
He might pass a lonely life of decades .
It was crushing rather than enduring it .
He grabbed chopsticks with hands and spilled rumbling and rice .
It seems that it was rice for the first time in many years .

 いよいよ「公示」、衆院選はどうなるか、自民・公明で過半数に達するのか、達しなければ政権の交代。
 北朝鮮の動きもこの選挙の変数になる、小池の人気が落ちている、それに対して、枝野が「オトコを上げた」、今のソーリはちょっと早く動きすぎたのかもしれない、
 「才子 才に溺(おぼ)れる」
 22日の投開票が楽しみだが、その後、どうなるのか。
 
 さて、このシリーズにもどって、大きな法要が開かれることになり、山奥で生活している僧侶が呼ばれた、勝手口からフラリ、手伝いの女性が、
 「キャアー」

 人間の表情ではなかった、何十年もの1人暮らし、言語を絶する貧しさ、それに耐えてきた、というよりも押し潰(つぶ)されてきた、ガサガサの肌、鼻や耳はすり減っている、とても人間には見えない。

 食事が出されるとポロポロとこぼした、久しぶりのコメのメシ、
 「ウッ ウッ ウッー」

 そのうれしそうなことうれしそうなこと、
 「人間を ここまで追い詰めてはいけない」
 「ボウサンたちは なぜ 救いの手を差し伸べてやらないのか」
 「あるいは この世でイチバン残忍で残酷な人々は 彼らなのかもしれない」
 
 そして、
 「こんな人に 法要がつとまるんだろうか」

 「つとまる」も「つとまらない」もない、ぐるぐると回って鈴を「チリン」、くるくる{チリン」、子供でもできる、法要が終わると、宴会で残ったご馳走を折箱に詰めてもらって、山奥のお堂に帰っていった。

 それが、この列島の山奥の下級聖職者の晩年だった。


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