◇瀬戸内海をフェリーで
今日も風のない小春日和。
娘の車で広島・宇品港へ向かう。「瀬戸内汽船」のフェリー「四万十号」はやや小型の船で、
乗客も30人くらいで、ゆったりしたもの。11時過ぎに孫娘に見送られて出港。
四万十号
* 江田島を初め瀬戸内海の島々を右に左に見ながら進む。
* 旧軍港「呉」は結構大きな街だった。輸送船や艦船が何艘か停泊していた。
* 「石亭」で用意してもらった「あなご弁当」は、まだ作りたてでまだ幾分温かい。御飯がぎっしり
詰まっていてこれだけで十分満腹した。
* 甲板に出ると、さすがに風を切って走っていることが分かる。
目の前を日本最大の豪華客船「飛鳥Ⅱ」が横切った。神戸を出てどこかへ向かうツーリング。
2006年に飛鳥の後継船として2006年3月就航した。約5万トンで客室400室最大940名
を収容できる。船長は240mである。
* およそ2時間半で松山観光港に着く。
伊予鉄高浜駅から松山市駅まで行って、市電に乗り換えて本日の宿「KKR道後ゆづき」へ。
人気だという「ぼっちゃん電車」も見たが客はそれほどではなかった。
KKR道後ゆづき 坊っちゃん電車
◇湯築城跡
伊予の松山城は白鷺(姫路)城などと並び有名であるが、現在「道後公園」となっている「湯
築城跡」は松山城よりも古く、中世の伊予国守護河野氏の居城として築城されて以来250年
間にわたり伊予国の中心であった。
慶長7年(1602)加藤嘉明が松山城築城の折にはここの城石などを持って行ったらしい。国
の史跡となっている。
外堀土堤 内堀土堤 外堀
武家屋敷跡
◇「坂の上の雲」フィーバー
司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」を元にしたNHK大河ドラマにあやかって、主人公秋山兄弟
(秋山好古・真之)と正岡子規それと親友の夏目漱石を巡る観光ポイントが市内要所にある。
「坂の上の雲ミュージアム」は建物は立派であるが展示内容が空疎で失望した。
今年12月5日から始まる「坂の上雲第2部」に向けて、第1部でドラマ撮影に使われた衣装・
小道具・セットなどの帆が興味深かった(松山城へのロープウェイ駅「坂の上の雲」のまち松山スペ
シャルドラマ館」)。
ドラマで使った大砲模型
◇正岡子規・秋山兄弟
早世した正岡子規の誕生の地・子規堂・秋山兄弟の生家跡などを徒歩で回った。
紅葉した松山市駅前 子規堂 子規生誕地 秋山兄弟生家跡
秋山好古銅像
◇萬翠荘と愚陀仏庵
松山藩最後の城主久松定謨伯爵は陸軍駐在武官としてフランス滞在が長く、大正22年(1922)
社交の場として萬翆荘(翠多い森の中にたたずむ館)を設けた。
皇族を初め多くの賓客を迎え、戦後の一時期は占領軍の将校宿舎にもなった。
* 「愚陀仏庵」は夏目漱石の寓居で、子規が足しげく通って一時同居したところ。
今年7月に土砂崩れで周辺の木と共に流され崩壊してしまった。
◇松山城
伊予松山20万石の藩主加藤嘉明が慶長7年(1603)に着工以来、蒲生、松平と主を代えなが
らも天保6年(1835)松平勝善の代になってようやく現在の店主を含む城郭が完成した。この間
落雷や火災による天守・城郭の焼失が何度もあった。
いまや姫路城と並ぶ典型的な連立式天守を持つ連郭式平山城として完璧な城郭建築を誇る。
◇道後温泉本館
道後温泉の始まりは神代の昔、大国主命と少彦名命に遡る。
道後温泉本館は明治27年、皇族専用の又新殿・霊の湯棟は明治32年、南棟と玄関棟
は大正13年の建築であるが、現在ではいずれも渾然として道後温泉を象徴している。
道後温泉本館の神の湯は銭湯並みに400円で入れるが、2階で浴衣など着て茶を振る
舞って貰ったりすると800円になる。霊の湯はこぢんまりしているが、ちょっとリッチな造り
になっていて、1,200円。個室で休むと1,500円(夏目漱石が休憩した部屋はここ。)。
更に皇族専用の棟を見学すると別途250円かかる。
建物の中心最上階には白鷺がのる「振鷺閣」があって、太鼓で時刻を告げる。
道後温泉駅 道後ハイカラ通り
漱石の部屋外
(以上この項終わり)
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